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極北の王国
ラグーン王国という王国がある。
北の極北の大地の中にあり、東の大陸の覇者だったバルド帝国とつい百年ほど前に戦いその土地を追われた民族が建てた貧困の王国。
‥‥‥のはずだった。
「暖かい‥‥‥」
「そりゃそうだろ、嬢ちゃん。
ここはあれだよ、精霊王様の結界の中にあるんだ。
お陰様で、常春なのさ。
まあ、土地にしても夏にもなれば短いが普通に猟も出来る。
住むのに不便はしねえやな」
「あ、そう‥‥‥」
妙に髪の長い少女はそう言って、着込んでいた毛皮の上下を脱ごうかどうか迷っているように見えた。
このままでは体温が上がって汗をかいてしまう。
そうなると、風邪を引くまでまっしぐらだ。
常春とはいえ、土地は常に北国なのだから。
どこまでも暖かいとは限らない。
それに――
「太陽は上ね。
まあ、当たり前か‥‥‥」
「そりゃ、そうだろ。
ここはまだ、白夜になる地域じゃないからな」
「そう、ね。
六人‥‥‥」
「あん?
ああ‥‥‥着替え、か」
「そう」
少女はこくり、とうなづいた。
会話をしていた相手は、少女の顔はあまりにも無表情で、その瞳にも感情の機微が見えない気がした。
さて、どうしたものかな?
少女を含めた七人が乗る馬車はいま王国の国境を越えてその中に入ったばかりだ。
まだこの特殊な土地柄に慣れていない旅人がいても、それは不思議ではなかった。
「お客さん、このもう少し先に、休憩所があるんですわ。
お客さんのように、この土地が初めての方が衣装替えたり、持っている金貨や銀貨なんかを両替したりね。
そういうのができる場所」
「両替‥‥‥宿屋、とかは?」
「まあ、無いわけじゃないけどなあ。
ちょっとした商店街になってるからね。
付近には民家もあるし、あれだよ。
兵士さんたちの詰所もある」
少女はちょっと思案して、
「遠い?」
「いや、かかってそうだな。
まあ、一時間はかからん」
「ならー‥‥‥それで」
「ありがとさん」
そう言い、少女は幌で覆われた本当の意味での馬車の車内に戻って行った。
狭い車内。
さっきまで一面の氷の世界で凍えそうな気候に震えていたのに。
でも、そうだよね、と少女は分析する。
この辺鄙な田舎で、きちんとした木造の屋根付きの馬車を利用できるのは貴族様か、神殿の関係者か、裕福な商人だけだ。
あとは、車輪のついた荷台に据え付けられた相席の台車に幌を被せた粗末な物がほとんど。
あ、そうだ。
忘れていた。
軍隊の馬車も前者だ。
少女はそう付け加える。
兵隊は嫌い。
それにしても、帝国に追われた王国、ね。
バルド帝国‥‥‥世界には一体、何個の帝国や王国が存在するんだろう。
数えるだけでもめんどくさい。
周りの客に迷惑かなあ?
男性陣なんて、さっさと上着を脱ぎ捨ててズボンも何枚か履いているんだろう。
一番上を脱ぐだけでいいなんて、便利ね。
そう思ってしまう。
「あなたー‥‥‥下には着込んでないってことはないでしょ?」
「え?
あー、ええ。
それはないです。
でも、ちょっと」
見られたくないものもあるのだ。
でも、それは言えない‥‥‥
困ってる少女を尻目に、隣の女性は変な子ね。
そんなことを言いながらさっさと、寒暖の差を自分で調節し始めていた。
脱げるなら脱いでますよ。
そう、心で彼女はぼやいていた。
脱いだら、みんなが困るから脱げないんですよ。
その言えない一言を我慢して、その場に座り込んでいた。
「これが‥‥‥商店街?
村?」
「まあー‥‥‥国境近くだからな。
そう、肩を落とすなよ」
「春用の服なんて持ってない‥‥‥」
「おう、それはー‥‥‥問題だな。
古着屋ならあるぜ?」
「なんでこんなとこに古着屋!?」
「そりゃあ、用途があるからに決まってるだろ?
あんたみたいな、な?」
ああ、なるほど。
そう言われてしまえばそうかもしれない。
少女は納得し、ここまでの旅程を思い出す。
このラグーン王国の手前にあった駅舎は帝国と王国の共同経営だったはず。
その前と、その前と、その前。
四つ前から乗ったけど、そこは帝国の管轄だった。
徒歩でやってきたこんな若い女に、彼等は驚いていたものだ。
あの近郊は、人間なんか近づけない野生の精霊たちが跋扈する氷の死の世界。
猟師や、氷の大地で狩りをして移動する民ですらも近づかない魔物の世界だったから、最初は駅舎の役人は驚き、もしやどこかの魔族か、そう身構えたものだった。
彼女が、数種類の身分証を出すまでは。
と、そこで回想が途切れる。
休憩所とやらで、馬車が止まったからだ。
馬車は数日後にまた王都に向けて出る便になると告げられて乗客の数名は納得しているのが、少女には驚きだった。
「なんでー‥‥‥数日後?」
「んー」
御者の指差す先にはそれなりに広い河。
それは橋がかかっていたが‥‥‥
「氾濫?
北国なのに?」
「しゃーねーだろ。
ここの結界手前で氷が溶ける。
この時期は、結界の外も夏に向けて、な?
橋のたもとにまで水が増水してりゃ、危険はできねーよ。
嬢ちゃん」
「あ、そう」
これは無理は言えない。
歩いて渡ると言えば、それはそれで止められるだろう。
もし、濁流に巻き込まれたなんてことになれば、それはここの管理組合の責任になるだろうし。
納得するしかなかった。
乗客がほどんど降りた後、少女はどうしたものかな?
そう辺りを見渡し、数件しかない家々の看板に目をやり――
御者に古着屋はどこかと尋ねた。
「服を、買いたいんだけど。
どこにあるの、その古着屋?」
「用があるから、載せて行ってやるよ」
それはありがたい申し出だ。
御者はハンスと名乗った。
見た目は四十代。
つるつるに反り上げた頭皮が陽光を照り返して、妙に眩しかった。
何か所か夜所があるから、この馬車付近で待っていてくれ。
そう言われて、少女は背丈ほどもある巨大な荷物を抱えると、近くの巨木の側で一人、佇んでいた。
「暑い‥‥‥でも、脱げない」
ぼやき、そして、
「うるさい。
あんたも我慢しなさい」
そんな、誰もいない空間に向けて命じていた。
ようやく戻って来た馬車に隣にある荷物を運んでやるよ、と御者は言うが彼女は不敵に笑い、
「無理しないでいいわ」
そう告げるだけだった。
失礼な奴だな。
不機嫌な御者は荷物を持ちあげようとしてー‥‥‥。
「どうやって抱えてたんだ、これ?」
「だから、無理だって言ったでしょ?」
「いや、でもどうやって載せるんだよ、これ」
「わたしがやるから、いい」
お前が?
その細腕で?
どうやって?
ならやってみろよ、そうからかい気味に言う御者はその数秒後。
唖然として、黙り込んでしまう。
少女はなんの掛け声もいらずに、荷物を簡単に荷台に載せたからだ。
信じらんねー‥‥‥。
悪い夢でも見たことにするか、なんてぼやいているから悪いことをした気がしてしまって彼女は黙って御者の隣に座り込んでいた。
銀色に近い青い髪。
少女はこれまで多くの顧客を運搬した御者がまだ、見かけたことの無い人種だった。
そしてその着ている衣服。
暑くないのかと思いながらも、ついつい品物の良さに目が行ってしまう。
「しかし、いい毛皮だな、それ。
どこで手に入れたんだ??」
「これ?
うーん‥‥‥狩った」
「狩ったああ??
だって、それ‥‥‥熊のだろ?」
「そう、シェイバルの氷雪熊の」
「魔物の上位のやつじゃねえか‥‥‥」
どんな存在だよ、そんなヤバイ熊の毛皮を手にする奴って。
御者は、とんでもない猟師がいるんだなあ、そう言いながら感心しきっていた。
自分で狩ったの。
そう言いだせなくて、少女――エミスティアはまた黙り込んでしまっていた。
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