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上野が濡れた髪のままベッドに入ってきて、俺が文句を言い、だって、と上野が毎回違う言い訳をするのを聞いてから、結局俺が起き上がって拭いてやる、というのが、寝る前の儀式みたいになった。
たまに。毎日やるわけじゃない。
今日は、
「だって、早くしないと岸さん寝ちゃうと思って」
と言う。
「はいはい」
読みかけの本を伏せて体を起こす。半分本気で面倒くさい。でも、毎回こいつが嬉しそうににやにやしているのは悪くない。
首にかけたタオルでくしゃくしゃ髪を拭いている間、上野は目を閉じていたり、俺の顔をじっと見ていたりするが、今日は唇を噛みながらぼんやりしていた。
何かを思い出す時に唇を噛む癖がある。
こいつがヘアドライヤーに手を触れない理由はわからない。多分、昔何かがあったんだろう。おそらくこいつ自身は忘れているのではないか。
忘れていてくれればいいと思う。いやな記憶なら。
あらかた拭き終わって手を止める。
「ありがと」
「自分でちゃんと拭いてから来い」
「マジで面倒くさそうに言うなよ」
「マジで面倒くせえ」
上野は笑い声を立てた。こいつが笑うと、いつも窓から光が差し込むみたいに、気持ちが明るくなる。
眼鏡を外してサイドテーブルに置き、伏せた本を閉じる。
「電気消していい?」
「うん、もう寝る」
灯りを消すと、上野は、俺が伸ばした腕を勝手に調整して横になり、ふう、と息を吐いてしばらくじっとしていたが、そのうち、ねえ、と言って俺の方に体の向きを変えた。
「あのさ、岸さんが髪拭けって文句言うと、僕がなんで拭けなかったか言うでしょ」
「おお」
「あれ、何かに似てると思ったらあれだ、はないちもんめだ」
「何だっけ、それ」
上野は、え、知ってるでしょ、と言って、小声で歌い始めた。
「……お布団かぶってちょっと来ておくれ、お布団びりびり行かれない、って、他にも言い訳があって」
「そんなんだったかなあ」
上野は俺の肩に顔を埋めた。また唇を噛んでいる気がして、湿った髪にキスした。顔を上げたので、唇と額にもキスする。
「上野くん、おやすみ」
「うん」
「言い訳たくさん考えときなさい、拭けない言い訳」
「うん」
「ずっと、このままだから」
ぎゅっと力を込めて抱きついてきて、頭や背中を撫でているうちにゆっくりと緊張が解けて、俺の腕の中で眠り始める。
さっき歌っていた時の子どもっぽい声を耳の底で繰り返しながら、俺は暗い部屋をしばらく眺めていた。
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