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技巧VS読みやすさ
ゲームだとパワー型、バランス型、補助型などがありますね。だいたいバランスか補助を選んでしまう橘やよいです。
さて、今回のテーマです。
今回は私の悩みを赤裸々に書いてみようと思います。
「技巧VS読みやすさ」
技巧を凝らした文章はお好きですか?
技巧、もしくはギラギラした文章、もしくは「あ、これあの人の文章だな」と分かる特徴的な文章。そういう文章を書く方はパワー型なイメージがあります。イケイケ系です。
某ノーベル文学賞を毎度期待されている方とか、某鈍器かと言われる妖怪ミステリー長編を書く方とか。ちょっと時代はさかのぼって、幻想文学と名高いお豆腐好きの方とか。そのあたりの文章を読むと、作家名を見なくても「あ、あの人だな」となんとなくわかります。
「私の世界を堪能しやがれ」みたいな、がつんとぶつけてきている印象があるのです。その力強さに圧倒されます。
そして疲れます。いい疲れではありますが、疲れるものは疲れる。
パワー型の文章は決して読みやすいわけではないと思うのです。
では、読みやすい文章とはなんでしょうか。
それは作者の顔を隠した文章、模範的な文章、あっさりした文章、やさしい言葉選びの文章……。そういうものだと思います。できる限りの装飾をはずし、必要なものだけをとどめた文章は読みやすいです。
私はどうしても読みやすさを重視してしまうので、いらない単語や文章はばっさりと切ってしまいます。読みやすく、自分の書き癖や特徴は排除する……。
ですがそれをやりすぎるとどうなるか。
作家の色がないといわれるんですね! そうですよね、おっしゃる通りです! 自分から排除してますからね!
ただ、やはり作家の色がないと書籍化を目指すには難しいでしょう、ということは私も思います。だれでも書ける文章だったら、その人が書いている意味がなくなってしまいます。設定、展開、構成なんてものも大切な要素の一つですから、そのあたりで独自性を出すということもできるでしょうけれど。
だけども。やっぱり私は凝ったものより、単純明快に分かりやすくしてしまうんですよ。文章も構成も。
あとは個人的な意識として、「私がみてほしいのは物語の世界そのものだから、そこに私という作家の顔は見えなくてもいい」という思いもあります。「あの人の文章癖出てるなあ」などと気を散らすことなく物語に没入できる作品をつくりたい。
ですが作家性も大事。あの人の作品をまた読みたい、あの人だから読みたいとも思われたい。
最終地点としては作家性が物語に深みを出す、物語のよさをさらに引き出す、というところにもっていければ完璧なのだろうなと思っています。言うのは簡単ですが、難しい。
技巧VS読みやすさ、今後も模索していきたいものです。
~まとめ~
・技巧派は作家の個性が出ている分、印象に残るが読むのは疲れる
・読みやすさ重視にすると作家の色は薄くなる
・橘やよいは迷走中です
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