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すべて描写しなくても大丈夫では?
アニメやドラマを観ていると、「このシーンを小説で表現するなら、どうやって書くかな」と想像してしまう橘やよいです。色んな経験を執筆に活かしたいです。ある種の職業病ですね。
というところで、今回は私が本を読んでいて「ああっ!」と衝撃を受けたことを書いてみようかなと思います。タイトルはこちら!
「すべて描写しなくても大丈夫では?」
私がずっと悩んでいた描写があります。それが「お茶の乗ったお盆を持ってきてくれる人」の描写です。なんだそれ、と思う方もいると思いますが、本当に悩んでいたんですよ! たぶん皆さんが思っている以上の悩みぶりです。
実際長編で書いたことがあるんですが、上げてみますね。
「ウツギが盆にお茶の入った湯吞みを乗せて歩いてくると、トウカの隣に座った。」(『鳥居をこえた向こう側-紐解き結ぶあやかし縁-』より)
「盆」「お茶」「湯吞み」と名詞が三つ続くのが気になってしまったんです。もう少しコンパクトに書きたい、でもこれ以上短くできない……! お盆にお茶の入った湯吞みを乗せて歩いてくるイケメンのシーンを思い浮かべてほしいんだもの!
今読んでみても、長いというか、くどいというか……。なんだかなあという自己評価です。もうちょっとリズムよくいきたいんですよね、でもこれが私の文章力の限界だった。
で、先日書籍を読んでおりましたら、同じような描写があったんですね。それが大体こんな感じです。
「彼がお盆を持って歩いてきた。お茶のいい香りがした」
なんてスタイリッシュ! 私は三回くらい読み直しました。衝撃的でした。すごくないですか、この文章! テンション高くてごめんなさい!
「湯吞み」とか「カップ」とか書かれていませんが、彼がお茶を持ってきてくれたんだな、と想像ができます。そのうえ視覚情報と嗅覚情報の二つで訴えてきます。お茶、しかもいい香り。素敵なティータイムの予感がしますね。こんな表現の仕方があったのかと、もう私はニヤニヤが止まりませんでした。
全部描写はしなくていいと思うんです。うまく情報を出してあげれば、読者は想像してくれるはず。その想像の予知が、私は大好きです。ガチガチに固められた描写よりも、「自分で考えていいよ」とある程度自由を与えてくれる方が、伸び伸び読めます。自分で想像するのが快感です。
(書いていて思ったんですが、マニアックな楽しみでしょうか。私が読書好きで、かつ創作好きな人間だから、自分で想像させてくれる文章だと楽しい……ということかもしれない。読者層によってはきちんと描写してあげた方が親切なときもあるかもしれませんね。とはいえ……)
意外と描写や文章は削っても大丈夫なことが多いと思います。「推敲するときは、とにかく削れ!」という教えもよく聞きます。一度原稿を書き上げてから、読み直すときに不要な部分を削っていくんですね。
私もよくあるんですが、重複描写が初稿の段階だと多いです。言葉を変えて何度も同じようなことを書いてしまう。「読者に伝わるかなあ、伝わらないかも、もう一回説明しておくか……」と親切で書いているつもりなんですが、あとで読み直してみると「この文章さっきもあったじゃん、くどい」と思ってしまうことがあります。
不要な部分はばっさり削る勇気も必要ではないでしょうか。そのためにも、初稿を書いたあとは、一日くらい置いて推敲するのが良さそうですね。頭の中をリセットして、読者目線に立つ。大事です。推敲のため、公開や締め切りには余裕を持って書きたいところですね。
以上。文章はスタイリッシュに、読みやすく、親切にを心がけたい橘でした。さて今日も執筆頑張りましょう!
~まとめ~
・すべて描写しなくても、読者には伝わると思います。
・推敲は時間をおいてするとよし。
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