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研究の余地がある作品は長く読み継がれる
このエッセイが自戒すぎて、書いていると身が引き締まる橘やよいです。
今回のテーマはちょっとタイトルがかたいですね。ゆるっといきたいんですけど……、テーマはこちらです。
「研究の余地がある作品は長く読み継がれる」
私が学生生活を通して学んだことです。先生からもしょっちゅう言われました。文学は研究する余地のあるものが長く読み継がれます。
『源氏物語』なんて書かれてから千年以上経っているのに、いまだに研究されて、いろんな人に読まれています。それでもまだ読み手が「これはどういう意味なんだろう」「この解釈はどうなんだろう」と考えたくなる要素がたくさんあります。だから読み続けられているんです。
私も自分の小説で読み手が考える余地・余韻を残したいです。そのためにも、すべてを丁寧に書かないようにと気を付けています。
たとえば(あまりいい例が思い浮かばなかったんですけど……、ふわっと言いたいことを察してください……)。
主人公が失恋をして泣いている場面。
A「ふられてしまった。悲しくて、私は泣きだした」
B「ふられてしまった。涙がこぼれて止められなかった」
どちらが好きですか?
Aだと主人公の感情が全部書かれていて素直です。「そっか、悲しいんだね」と分かります。
Bだと主人公がなにを思って泣いているのか分かりません。苦しい・悲しい・悔しい・死にたい・逃げ出したい……、なにを思っているんでしょうか。
こういうことを書いていると国語のテストを思いだしますね。
「傍線部の心情を答えよ」という問題を何度出されたことか。逆に言えば教科書にも載るような名作は心情が直接的に表現されていなかったのかなと思います。
ただし、傍線部の心情を導くために、他の描写が手掛かりになっているはずです。でなければ問題が解けません。生徒ブーイングの嵐です。
心情を答えさせたいなら緻密に構成や文章を練らなくてはならないのだと思います。
例文Bだって、この文章だけでは成立しません。大好きだった人にふられて悲しくて泣いているのか。いやいや、この子はいい性格しているから悔しくて泣いているんじゃないか――あー、でも本気で好きだったんだろうし悲しくもあるのかなあ。などなど。
主人公の心情を探すために、作中で性格や二人の関係性など、手掛かりを散りばめなくてはいけませんね。
すべてを丁寧に書かずに、読み手が考える余地を残す。そのためには丁寧に作品を練り上げる。丁寧に書かずに丁寧に書けという……。
私は漫画・アニメ・小説なんでもそうですが、「このとき推しはなにを考えていたんだろう」と思いをはせるのが好きなので、自分もそういう文章が書きたいです。
Aの文章だと「悲しい」という一つの答えがありますが、Bだと色々考えることができますからね。
とはいえ、これは純文学よりの考え方だと思います。ラノベなどは感情や描写を直接的に書いた方が好まれる場合もあります。自分の作風、小説の雰囲気、読み手のターゲット層などなどにあわせて、書き方を考えていくことが必要なのではないでしょうか。
まあ、私の小説は純文学ではないんですけどね!
でもこの書き方がしたいから、うまい具合に折り合いがつけられるように模索しています!
~まとめ~
・研究される余地がある作品は長く読み継がれる。
・その余地を残すためには緻密に作品を構成する必要がある。
・作品によって直接的に書くのも一つの手ではある。臨機応変にいきましょう。
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