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「イヨさま」
名を呼ばれて、うっすらと目蓋を開く。
目と鼻の先を、一羽の美しい蝶がひらひらと舞い遊んでいた。
「イヨさま、面白き話があるのですよ」
声が響くのは、眼前の蝶から。ひらり、と身をくゆらせた青い蝶は、瞬きの間に妖艶な女の姿へと転身した。
「ムラサキか」
光の具合で銀色にも光彩する不思議な色合いの双眸が、青い髪の女に注がれる。森一番の高貴な存在と言わしめる彼の双眸に映り、清風のように涼やかな声で名を呼ばれる。それだけで至上の幸福だと感じるムラサキは、藤色の双眸を愉悦に歪ませた。
「いつぶりでございますかね。相変わらずご健勝な様子で、安心いたしました」
「ふん。悠久の時を生きる我らだ。ゴケンショウでない方がおかしいだろうよ」
「まあ、それでもそうですね」
あっさりと認めたムラサキは、微笑みながらイヨの隣に腰かける。隣に存在することに、イヨはとやかく言わない。更に気分をよくしたムラサキは、普段の彼女以上に饒舌になっていた。
「麓の里に大変興味深い子どもがいるのをご存知ですか?」
「人間になど興味はない」
「まあ、そうおっしゃらず。話だけでも聞いてくださいな。その人間のことが、我らの中でちょっとした話題になっているのですよ。イヨさまも流行りに乗り遅れないためにも、話くらい聞いておいた方がよいと思います」
銀色の鋭い眼差しが、ちら、と女を射る。無礼な口が過ぎたか、と首を竦めるムラサキだが、謝罪することはない。やがて、興味なさげに流された視線に、ほう、と無意識な溜息が零れた。
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