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(1)
「お前たち、ヒコウはするなよ」
担任の先生が教壇に立って、威嚇するように生徒たちをにらんでいる。
ヒロトは頬杖をついて、先生の話を聞き流しながら、窓の外を眺めていた。
先生は、ねたましいんだ。子どもの『飛行』が。さっさと飛べなくなってしまえばいい、と思っているに違いない。
「大体、ヒコウなんてすると、ろくなことにならないんだから……」
先生のお説教はまだ続いていて、こっちはあくびが出そうだった。
鳥に生まれてきたなら、どうだったろう。ヒロトは思う。いずれ翼を失う人間よりは、幸せだろうか?
「ヒコウはやめろ。自分のためだ」
そしていよいよ翼を失おうとしている今、自分たちはどこへ飛んでいくか決めなければいけないのだった。心の準備もできていないのに。
ずっと先、まだ何も見えない未来。翼のない自分は一体、どこに立っているのだろう。
「お前たち、ヒコウはするなよ」
先生が生徒たちをにらんでいる。
教室にいる生徒はみんな、返事もしないで、眠そうな顔をして、先生のつまらないお説教を聞き流している。
* * *
一歩目。二歩目。
ヒロトは快調にコンクリートの壁を蹴り、並んだマンションの間を、ジグザグを描きながら屋上目指して飛んでいる。
足もとはスニーカー。肝心なのは、はき慣れた靴でやることだ。そして、タイミング。
このジグザグ昇りは、失敗すればちょっとした怪我をするくらいじゃ済まない、危険な技だ。といっても、ヒロトには朝飯前だったが。
マンションは七階建てだ。六階付近を通り過ぎればゴールは目前。大きく飛んでフェンスを越え、無事着地でフィニュッシュ。
ぱちぱちぱち、ぱちぱちぱち、と拍手の音。
「お見事、お見事」
友人のトモノリがヒロトの飛行に拍手を送っていた。ここはトモノリの住んでいるマンションで、屋上には二人の他、だれもいない。
「いやー、何度見ても鮮やかだよ、お前の飛びっぷり。お前、きっと、うちの学校で一番飛ぶな」
「さあ、どうだか」
「それにしても、こんなに上手い飛行を見てるのが俺一人だなんて、もったいない。弓倉はどうしてみんなに見せびらかしてやらないわけ? 絶対、目立てるのに」
「目立ちたくない」
「わかんねー。俺だったら、うんと目立って自慢する」
目立ったところで良いことばかりじゃない。ヒロトにとって、目立つということはリスクが大きすぎた。
「しかしなぁ」
トモノリはフェンスに手をかけ、地上を見下ろした。
「よくもまあ、こんなに高く昇れるもんだ。片ちゃんが見たら、びっくり仰天、大激怒だな」
片ちゃんというのは、ヒロトたちのクラスの担任教師だ。生徒の飛行には特に厳しく目を光らせていて、ひょっとしたら飛行そのものを憎んでいるのかもしれない。
「これだけ飛べたって、そろそろ、意味なくなるけどな」ヒロトは小声で言った。「もうじき、飛べなくなるんだし」
トモノリは、はあ? という顔で振り向いたが、すぐに、ああ! という顔で、納得。
「そっか、そうだな。俺たち、十五になるんだもんな。なんか全然、実感ないよ」
子どもにとって十五歳という年齢は特別だ。
もうじき、飛べなくなるのだから。
飛べなくなる。口ではそう言いつつ、ヒロトは、心のどこかで信じられずにいた。
* * *
もの心がつくくらいから、子どもは飛べるようになる。飛べると言っても、ほんの少し。大人の手の届かないところまで飛んでしまう子は滅多にいない。
大人たちは「浮ついた」子どもが良くないことをしでかさないよう、必死で「飛んではいけません」と教えこむ。
それでもみんな、うっかり飛んでしまうから、親たちはよく怒る。
そして最も飛行能力が伸びるのが、十三歳から十五歳の間で、飛ぶヤツは、すごく飛ぶ。三メートルくらい、平気で飛ぶ。
歌の上手い子、絵が上手い子、がいるのと同じで、飛ぶのが上手い子もいる。その反対に、飛ぶのが下手な子というのも、当然、いる。
小さい頃より聞き分けが悪くなっているのに、もっと飛べるようになっているから、この時期は大人とよくもめる。しめつけは強くなり、反発も強くなる。
しかし、この飛行能力は、十五歳前後をピークに、急速に衰えてしまうのだった。見えない翼がしおれていくかのように。
十六歳になると、すっかり飛べなくなったという子も大勢いた。
それが当たり前なのだ。
けれど、ヒロトは不満だった。どうせ飛べなくなるのなら、いっそはじめから飛べない方がましなくらいだ。
そうは思いつつ、ヒロトは飛行が好きだった。飛行が得意で、大人の目を盗んではのびのびと飛んでいた。
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