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「お前たち、ヒコウはするなよ」  担任の先生が教壇に立って、威嚇するように生徒たちをにらんでいる。  ヒロトは頬杖をついて、先生の話を聞き流しながら、窓の外を眺めていた。  先生は、ねたましいんだ。子どもの『飛行』が。さっさと飛べなくなってしまえばいい、と思っているに違いない。 「大体、ヒコウなんてすると、ろくなことにならないんだから……」  先生のお説教はまだ続いていて、こっちはあくびが出そうだった。  鳥に生まれてきたなら、どうだったろう。ヒロトは思う。いずれ翼を失う人間よりは、幸せだろうか? 「ヒコウはやめろ。自分のためだ」  そしていよいよ翼を失おうとしている今、自分たちはどこへ飛んでいくか決めなければいけないのだった。心の準備もできていないのに。  ずっと先、まだ何も見えない未来。翼のない自分は一体、どこに立っているのだろう。 「お前たち、ヒコウはするなよ」  先生が生徒たちをにらんでいる。  教室にいる生徒はみんな、返事もしないで、眠そうな顔をして、先生のつまらないお説教を聞き流している。  * * *  一歩目。二歩目。  ヒロトは快調にコンクリートの壁を蹴り、並んだマンションの間を、ジグザグを描きながら屋上目指して飛んでいる。  足もとはスニーカー。肝心なのは、はき慣れた靴でやることだ。そして、タイミング。  このジグザグ昇りは、失敗すればちょっとした怪我をするくらいじゃ済まない、危険な技だ。といっても、ヒロトには朝飯前だったが。  マンションは七階建てだ。六階付近を通り過ぎればゴールは目前。大きく飛んでフェンスを越え、無事着地でフィニュッシュ。  ぱちぱちぱち、ぱちぱちぱち、と拍手の音。 「お見事、お見事」  友人のトモノリがヒロトの飛行に拍手を送っていた。ここはトモノリの住んでいるマンションで、屋上には二人の他、だれもいない。 「いやー、何度見ても鮮やかだよ、お前の飛びっぷり。お前、きっと、うちの学校で一番飛ぶな」 「さあ、どうだか」 「それにしても、こんなに上手い飛行を見てるのが俺一人だなんて、もったいない。弓倉はどうしてみんなに見せびらかしてやらないわけ? 絶対、目立てるのに」 「目立ちたくない」 「わかんねー。俺だったら、うんと目立って自慢する」  目立ったところで良いことばかりじゃない。ヒロトにとって、目立つということはリスクが大きすぎた。 「しかしなぁ」  トモノリはフェンスに手をかけ、地上を見下ろした。 「よくもまあ、こんなに高く昇れるもんだ。片ちゃんが見たら、びっくり仰天、大激怒だな」  片ちゃんというのは、ヒロトたちのクラスの担任教師だ。生徒の飛行には特に厳しく目を光らせていて、ひょっとしたら飛行そのものを憎んでいるのかもしれない。 「これだけ飛べたって、そろそろ、意味なくなるけどな」ヒロトは小声で言った。「もうじき、飛べなくなるんだし」  トモノリは、はあ? という顔で振り向いたが、すぐに、ああ! という顔で、納得。 「そっか、そうだな。俺たち、十五になるんだもんな。なんか全然、実感ないよ」  子どもにとって十五歳という年齢は特別だ。  もうじき、飛べなくなるのだから。  飛べなくなる。口ではそう言いつつ、ヒロトは、心のどこかで信じられずにいた。  * * *  もの心がつくくらいから、子どもは飛べるようになる。飛べると言っても、ほんの少し。大人の手の届かないところまで飛んでしまう子は滅多にいない。  大人たちは「浮ついた」子どもが良くないことをしでかさないよう、必死で「飛んではいけません」と教えこむ。  それでもみんな、うっかり飛んでしまうから、親たちはよく怒る。  そして最も飛行能力が伸びるのが、十三歳から十五歳の間で、飛ぶヤツは、すごく飛ぶ。三メートルくらい、平気で飛ぶ。  歌の上手い子、絵が上手い子、がいるのと同じで、飛ぶのが上手い子もいる。その反対に、飛ぶのが下手な子というのも、当然、いる。  小さい頃より聞き分けが悪くなっているのに、もっと飛べるようになっているから、この時期は大人とよくもめる。しめつけは強くなり、反発も強くなる。  しかし、この飛行能力は、十五歳前後をピークに、急速に衰えてしまうのだった。見えない翼がしおれていくかのように。  十六歳になると、すっかり飛べなくなったという子も大勢いた。  それが当たり前なのだ。  けれど、ヒロトは不満だった。どうせ飛べなくなるのなら、いっそはじめから飛べない方がましなくらいだ。  そうは思いつつ、ヒロトは飛行が好きだった。飛行が得意で、大人の目を盗んではのびのびと飛んでいた。
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