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(3)
* * *
「弓倉君」
机に伏せてまどろんでいたヒロトは、誰かの声で現実に引き戻される。目を細めて顔をあげると、女子が一人立っている。
みどりだ。
飛ばない、みどり。
「ノート、提出するから集めてるの。弓倉君出してないでしょ?」
あー、と声を出して数学のノートを引っ張り出す。ノートを渡す時、一冊のノートの端をヒロトとみどりがそれぞれ触れる。なぜかヒロトはそこでみどりの名字を思い出した。
岬みどりだ。
みどりは受け取ったノートの表紙をしげしげ眺めている。
「弓倉君って、下の名前、なんて読むんだっけ?」
「ヒロト」
「へえ、タイショウかと思った。大きく翔けるって書いて、ヒロトか。弓倉大翔」
頷いて、真顔のまま、「なんかさ」とみどりは続けた。
「すっごく飛びそうだよね」
どういう意味だ?
ヒロトはまばたきを繰り返してみどりを見上げる。みどりはほんの少しだけ笑うから、ますます意味がわからない。
けれど名前の話が出たついでに、こっちからも聞いておくことにした。
「岬」
「何?」
「下の名前、みどりだよな」
「そうだけど」
「みどりってどんな漢字?」
「平仮名だよ、私」
なんだ、そうか。勝手に「翠」じゃないかと思ってた。
こいつが誰かに「ミドリ」と呼ばれているのを聞いて、カワセミが頭に浮かんだことがあったのだ。翠の意味は、よごれのないみどりの羽。カワセミを漢字で書くと翡翠で、雄を翡、雌を翠とかいったはずだ。
鳥を連想したから、みどりの下の名前を覚えていたのかもしれない。
「なんで?」
みどりが当然の質問をする。カワセミがどうのこうのとは言えないから、「いや、なんでもないけど……」と言葉を濁すしかない。
「ところで弓倉君って、鳥マニアなんだって?」
「え?」
ヒロトは眉をしかめた。愛想がないのでこんな顔をすると「弓倉って怖いよね」と引いてしまう女子もいるが、みどりは気にならないのか平然としている。
「伊藤君が教えてくれたんだ。弓倉君、鳥に詳しいって」
みどりに余計な情報を与えたのは、我が友、伊藤トモノリ君であるようだ。
トモノリの奴、ベラベラしゃべりやがって、と心の中で毒づいていると、「岬さーん、ちょっとー」と誰かに呼ばれたみどりが去っていく。
岬みどり。
割と物静かな女子だったはずだ。二年の時に転校してきた。クラスメイトみんなに「君」とか「さん」とかつけて、呼び捨てにはしない、他人とどことなく距離がある女子。
うるさいのよりはいい。
ヒロトの隣の席には自称「めっちゃ社交的」な女子が座っていて、これがとにかくうるさい。「弓倉ぁー」とか「おい弓倉ヒロトぉー」とぞんざいに呼んでくるヤツで、ヒロトはあまりそいつが好きではなかった。
下校時間になって、一緒に帰るトモノリを、ヒロトは問いつめた。
「お前、何で俺が鳥マニアだとか人に言うわけ?」
「本当じゃん?」
トモノリは悪びれもしない。
「マニアじゃないし」
ヒロトの不機嫌は長くは続かなかった。トモノリに怒ったところで反省もしないから何にもならない。
「あの、岬って、二年に転校してきたよな」とヒロトは岬の話をする。
「そうだったな」
「飛行測定の日、見学してたけど、あれ、何で? 三年になって二度目だけど、前も測ってなかったよな、あいつ」
並んで歩いていたトモノリは、ヒロトに目を向けると、意外そうな顔をした。
「お前、知らないの? 岬って、飛行不能なんだよ」
知らなかったヒロトは、驚いてトモノリを見た。
みどりは、飛行不能だったのか。
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