一章.サロン・ルポゼでハミングを

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「私は公務員になってほしくてね。大学まで行かせたのに、急にやりたいことができたって退学したのよ」 「やりたいことですか?」 「何になりたいって言ったと思う?」 「何でしょうか」 「エステティシャンだって」  決め台詞のような目の見開き方。共感を求めている時によくある表情だ。  スイは、無理矢理にでも芝野宮の表情についていく。 「それはそれは」 「ごめんなさいね。あなたに言ってもしょうがないわよね」  エンジンのかかったトークが、静かにブレーキを踏んだようだ。  これに乗じて、話題を変えた質問をする。 「お仕事は立ち仕事ですか? 座り仕事ですか」  この質問は、セラピストにとって定番の質問だ。  座り仕事か立ち仕事かで、体の疲れ具合が大きく違う。 「普段は座り仕事よ。デスクワークだけどたまに外出することもあるわ」 「ではPCや資料を見ることが多いですね」 「ええ、その通り」 「かしこまりました」  質問をしながら、反応のありそうな部位にチェックをつけていく。  デスクワークの場合は座りっぱなし、つまり腰への負担。  さらに、PCや資料の小さな文字を見ることによって起こる目の疲れ。  そして……。 「ん……? あの、イライラが止まらないとは?」 「ああ、それは……」  お客様シートに書いてあった気になる一文を、スイが拾い上げる。  ようやく触れられた指摘に対して、芝野宮は顔を俯かせながら、また静かに語り始めた。
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