五章.サロン・ルポゼとストライカー

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 温もりのある店内に戻ると、みなみが下向き加減でスイの名前を呼んだ。  スイがそっちの方に目をやると、うっすら涙を浮かべているみなみの顔がそこにあった。  思わぬ表情に、スイは動揺を隠せない。 「ど、どうしたの!? 何かあった?」  みなみは首をブルブル振りながら、目を押さえて必死に否定している。  その真相が何なのか、スイには身に覚えがなく、言葉を発してくれなければ理解することができない。  気がつくと、スイはとにかく謝っていた。 「ごめんごめん、何か気に障ること言ったかな!? あ、もしかしたらユアが何かした? いや、俺だよね、とにかくホントごめん!」  取り乱すと余計に空気がこじれるのはスイにもわかっていたが、この不安を隠すことはできない。 「違うんです、スイさん、すいません」 「謝らないでよ、何があったか教えてくれない?」 「私……羨ましくて」 「え?」  羨ましい……その言葉を聞いても、スイは全然飲み込めなかった。  羨ましいのは、スイに対してか、それともユアに対してか。  頭の中が絡まりそうになる中、突然、進藤に言われた言葉が降ってきた。  みなみはスイに気があると言われた、あの瞬間のシーンが、プレイバックされたのだ。  進藤の勘は当たるらしいけど……スイは信じられていない。  もしみなみが、スイのことを好きなんだとしたら、羨ましがっている対象はユアになる。  そこまでスイは考えれたけど、そんなのはあり得ないと思えてしまった。  色々考え過ぎて混乱したスイは、口を開くことを忘れていた。 「スイさん」 「ん、んん?」 「わ、わたし……」  静まり返った空間に、スイの心臓が荒々しい音を立てている。  心臓の音が、みなみに聞こえていないか、心配になる。  この、たっぷり持たせている間が、異様に怖く感じた。 「わたし、絶対優勝します……」  そう言うと、みなみはカウンターに置いてあったテキストを持って、バックヤードに戻っていった。  思わぬ宣言に、スイは拍子抜けして、言葉が返せない。    その日は、スイ自身にもよくわからない複雑な感情が、心の中を独占していた。
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