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「どうだ、飲んでみろ」
バリスタよろしく珈琲を煎れ終えた父が、
ダイニングテーブルに私を座らせ
似つかわしくない真剣な眼差しを向ける。
白いコーヒーカップの中、
漆黒の液体から立ち昇る湯気は、
粉っぽい香水のような匂がした。
これなら似たものなら、前に嗅いだことがあるが、
麝香臭が一段と強い。
恐る恐る口に含めば、
苦味と酸味が抑えられた、丸味ある味が舌を覆い、
飲み進めるにつれ、カカオだかナッツだかの優しい甘みが口内に満ちていく。
「確かにおいしい。けど前に飲んだやつと似てる気がする」
「不正解だが、違いがわかるとは、さすが我が娘。
正解は、カペ アラミド!
風子が前に飲んだのは、コピ ルアク。
親戚のようなもんだが、豆採取の過程が違うんだ」
ということは、これもジャコウネコの糞から採取された豆か。
糞と聞いて最初は仰天したものの、今はもう驚きもしない。
ここからは父の蘊蓄話に付き合うのみだ。
「過程って?コピなんとかは、養殖ジャコウネコにコーヒーチェリーの実を食べさせてとか言ってたよね。
あれは確か…100gで4、5千円あたりだっけ?」
毛虫に似た父の片眉がピクリと動く。
「ま…ぁ、値段の話はさておき、そうだったな。
でだ、このカペの方はだな、ジャコウネコの糞って所は一緒なんだが、全くの天然物なんだ」
「天然物…、糞はどれも天然みたいな気がするけど」
「違ーうっ!僕はそもそも、養殖スタイルをとっていることに疑問があった。
だいたいジャコウネコは肉食なんだ。
養殖ものはきっと、コーヒーチェリーの実をバカほど食わされているに違いない。主食状態でだ!
だが、コピは違う。
コーヒーチェリーの実を食した野生のジャコウネコの糞を探す。
フィリピンの人が1日かけて採取したって、1キロも採れない」
力説する父の頬から、涙と見まごう程の汗が流れ落ち、では更に高額なのだと見当がついた。
「なるほどね…。じゃあ、これは」
素人目には、他のものとさして変わらぬ茶褐色の液体が、うるうると私を見つめている。
「100g、1万5千円だった。小遣いの半分が飛んだ。
だがな風子、世の中にはもっと高額の豆もあるんだ。
それはだな」
「もういいよ。聞かれてもお母さんには値段言わないから安心して」
父の言い訳は、テストの点が悪い小学生の言い訳と似ている。
誰それ君はもっと悪いとかと、そう変わらない。
「サンキュ、風子。
うん、美味いなぁ〜。やっぱり焙煎士の腕が良いんだな、ここは。そりゃあ長蛇の列な訳だ」
同じように淹れたての珈琲を口に含んだ父は、
満足げに頷いた。
「そんなに流行ってるの?」
「あぁ。銀座店が1号店らしいが、多々ある老舗の珈琲店を圧倒してるよ。豆ってのはさ、どんな高級豆でも、それを焙煎する焙煎士が魔法をかけられなきゃ駄目なのさ」
「ふうん。じゃあハリーポッターでもいれば万々歳だね…って、何?」
「いや、風子、もうちょっと感動してくれよ。
わかるか?流行りのラーメン屋でも、国内や海外の大手コーヒーチェーン店でもない。
たった1店舗のみで珈琲屋に人が並ぶんだぞ!?
しかも今日みたいな炎天下でさぁ。
これは凄いことなんだ」
反応の薄い娘に嘆いたかと思えば、キッチン奥に姿を消し、小走りで例の紙袋を持って来る。
「この店の名前、覚えておいて損はないよ。
そのうちさぁ、日本のトップになるから」
よれた紙袋は、中身が減ったせいで余計に見づらい。
仕方なく父が折込んだ部分を伸ばすと、
控え目に印字された店名が見えた。
【絵伝珈琲 〒104-0061 東京都中央区銀座‥】
「えつた‥かいでん‥ねぇ、これなんて読むの?」
「難しく読まなくていいんだよぅ。
そのまんま読んで」
「そのままって‥まさか‥」
「お洒落な名前だろ。確かこの店のオーナーの」
「エデンっ!?」
貴重な私の大声に、父があんぐり口を開け驚く。
けれど、叫ばなかっただけマシだ。
止まっていた心の針が動き出し、
体の火照りが止まらない。
こんな偶然があるだろうか‥。
だが、エデンという珍しい名と、珈琲。
その2つが繋がれば、可能性はゼロでは無かった。
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