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「今日は酷暑日ですので、出来れば水分を摂られた方が賢明かと思いますが」
私がペットボトルを捨てた後も、青年はなぜか食い下がる。
「いえ、本当に今は…」
少し怖くなり、横をすり抜けようとして、ふと匂いに気付いた。
この匂い…ハンバーグじゃない。
始終我が家に溢れるあの匂いをもっと濃密にしたような…。そう、あの茶色の渋い奴の匂いが、
青年の服から漂っていた。
「あのっ!」
今度は青年が少し引く番だった。
よれよれTシャツに加え、汗だくな私が、逃げ腰を撤回、詰め寄ってくるのだから。
「どう…されました?」
「いえその、どこで働いておられるのかなって」
「あ…、え?」
うまく飲み込めない感じで青年が訊く。
普通なら、制服らしきものに店名が刺繍されたりしているのだが、ザッと見たことろ見当たらなかった。
青年は戸惑っているようだったが、もう1度自販機の方に視線を送ると、こう言った。
「お教えすれば、この自動販売機で飲み物を買われますか?」
「だからそれは…」
「ご無理なら、僕もおいそれと勤務先をお教えすることは出来ません」
「それはその、私にも色々事情があって。
わかりました。もう結構です」
ようよう考えれば、珈琲ショップなんて銀座には山程あるはずだ。
それに、まだ到達していないが、
目的地には必ずや、スマートフォンの地図が連れていってくれるというもの。
それでもわからなければ、道行くお洒落マダムに訊けば良い。
「では」
仕草だけでもと、銀座っぽくしとやかに頭を下げ、
立ち去ろうとした時、ふと些細なことが気にかかった。
そういえば、この自販機ブースは、
見たところ、一風変わった自販機ばかりだった。
あご出汁や米、中には高級食材の缶詰なんてのもある。
それが珍しいですよと勧める訳でもなく、青年は何の変哲も無い自販機で、暑いから何か買えと食い下がる。
普通のことだが、普通じゃ無い。
なんせ勤め先の店と引き換えにするぐらいだ。
そう思い、青年の顔を見ると、青年は怪訝そうに眉根を寄せた。
「あ…いえ、あなたの勤め先は、本当にもう良いんですけど、どうしてそこまで、その自販機で私に買うのを推めるんですか?
ひょっとして…その自販機の管理をしているお店の方とか?」
「違います」
青年はピシャリと即座に答え、
淡く茶に染まる指先で、自販機のディスプレー下部を指した。
「見てください、ここを」
「はぁ‥」
自販機の白い本体には、くっきりとした十字の赤マークが付いている。日本赤十字社と言う大きな文字も読み取れた。
「これが‥何か?」
「何か?
いいですか、この自動販売機で誰かが飲み物を買えば、その収益の一部が日本赤十字社に寄付されるんです。僕がここに来た際には、必ず1本購入しますが、
だからといって、僕だけの気持ちじゃあ寄付なんてものは成り立たない。だから僕は、通りすがりのあなたにもお願いしたんです」
青年は至って真面目に滔々と説く。
そう聞けば聞いたで、はい、わかりましたとは立ち去りにくく、私は正直に伝えることにした。
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