花のことば2

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花のことば2

「知ってるの?島崎投手。まぁ地元出身の有名人だから知らない方が珍しいか」  エレベーターに向いたままの薫の様子に、石田が一人で納得する。 「高校の……先輩なんです」 「へえ」  懐かしさに涙ぐみそうになり、視界が揺れる。 「こっちに帰ってるんですね」 「おじいさんの告別式だったそうだ。宿泊名簿を書く時にお兄さんが……って今のオフレコでお願い!」  両手を合わせる石田に薫は頷くが、喪服姿の男とのやり取りで内容はすぐ明らかになった。 「塁、どこへ行くつもりだ!」  行く手に塞がる兄に苛ついた様子で、スエットのポケットに手を突っ込んだまま答える。 「明日から病院だから、夜に出歩けるのも今日だけなんだ」 「じいちゃんの葬式だったんだぞ。それを家に泊まりもしないでこんなホテルに」  聞いていた石田が小声で「こんなって、ねえ」と言ってくる。 「家にいたら近所の人がサインしてって来るし、親戚は写真撮ってくれって……。ああいうの面倒なんだよ」 「めったに帰って来ないんだから良いだろ。みんなお前の応援してくれてる。じいちゃんだって……」 「最期はもう俺のこと分かんなかったよ。臨終には間に合ったし、葬式と初七日も今日やるって言うから居ただろ。明日帰ったら入院してすぐに手術だよ」  兄の方が短く息をして塁を見る。 「帰ったら、か。お前の家はここだろ?」 「…………」  言い返そうとした塁はやめた。 「とにかくもう外へは出るな、今日はゆっくり休め」 「分かったよ」  まだ話は続いたが、声のトーンが低くなり二人の会話は聞こえなくなる。兄が出口に向かい、塁はそのままエレベーターに乗って部屋へ上がって行った。 「ドラフト一位でプロ野球に入団してすぐ一軍で活躍して、オールスターの常連だったのにな。肘の靭帯損傷して再建手術するって噂、本当だったんだ」 「え、手術……!」  石田の言葉に、薫はバケツを落としそうになる。 「月に叢雲、花に風ってね、人生そう上手くいかないか」  珍しく真面目に言ったその時電話が鳴り、フロントに走りながら石田が薫に言う。 「ごめん。あと頼むね」 「はい」  全国で教室や講演も行う華道家の沢木が、ビジネスホテルに花を生ける。薫は初めてここに来た時に学生時代からの二人の約束だと聞いた。家の寺を継ぐか華道を選ぼうか悩んだ時に鳳が「使いたい花を好きなだけ使って練習しろ、買い取って自分の所で飾るから」と沢木を応援したという。  後に旅館が経営不振から大手ホテルの買い取りに応じるかを悩んだ時には、形を変えても親の旅館業を続けたい鳳の後押しを沢木がした。  寺は姉が婿養子をとることで落ち着き、華道家となった沢木は今も経営しているフラワーショップから可能な限り花を生けに来る。今日はあいにく留守で、石田からの電話を店じまいをしていた薫が受けた。明日も配達の予定が一杯で、逆に今夜ならと急ぎやって来たのだ。  薫は一方通行ではない二人の関係が羨ましい。自分は今ここにいられるきっかけを作ってくれた塁に恩返しをする術もない。だがまずは与えられた仕事をしようとバケツを持つ手に力を込めた。
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