花のことば3

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花のことば3

「本当だ、随分痛んじゃってるな」  実際に花を見てみると葉が固いドラセナ以外大方萎れている。それでも水を張ったバケツの中で茎を切れば、持ち直しそうな花もある。  長いつき合いでも会計はきちんとするようにと言われているので、出来れば高価な花は使いたくない。持ち込んだ花も、来週まで持ちそうな少し開き気味の物だ。  メインの花によってレイアウトも変えなければ……。そうして仕事をしていても、つい塁のことに心が飛んでしまう。  高校時代、目立たない薫とは違い島崎塁は学校どころか甲子園の常連で日本中の人気者だった。  圧倒的な存在感と笑顔が印象的で、それを自分に向けられたのはたった一度だけだったけれど。  高校に入学したばかりの薫が、運動場の裏手で花を植え替えていた時だった。野球部員が打ったボールが薫をかすめて苗の入ったポットを倒した。投げた三年生が駆け寄って来る。 「悪りー、悪りー」  そのまま球を拾って行こうとした部員を近くにいた塁が引き留めた。 「この付近は打撃練習禁止だろ。ちゃんと謝れよ、当たってたら大怪我してるぞ」 「あの、僕は大丈夫です」  何でもないと手を振る。 「ほら、メガネくんもそう言ってるし」  今はコンタクトの薫だが、当時大きな眼鏡をかけていて、クラスでもメガネと呼ばれていた。 「彼の名前はメガネじゃないだろ。君は園芸部?名前は?」  こちらを向いていきなり聞かれた薫が戸惑う。 「あ……はい、一年の桜井です。でも本当に平気なんで」 「花に当たってたんだな。すまない桜井くん」  塁は足元のピンク色の花を見て詫びた。花びらが辺りに散っている。 「大丈夫です、花はそんなに弱くありませんから。自分でも一生懸命咲こうとします」  薫が言うと、ボールを投げた部員が声を荒らげた。 「花、花って、チビでひょろひょろして女みてーなやつだな」 「おい、下級生だからって失礼だろ!」  その剣幕に怯んだ部員だが、ただの下級生の自分に対等に接する塁の態度に薫も驚いた。 「俺たちは野球が好きだから練習をしてる。彼は花が好きなだけだ。男が花が好きで良いじゃないか。好きなことに熱中しているのは同じだろ?」 「さすが、人気者は言うことが違うね。ハイハイ、すみませんでした。これで良いだろ」  言い捨てるようにしてその場から去っていった。スター選手がいるとどうしても一人に注目が集まり、やっかまれることも多い。それなのに初対面の自分を庇ってくれて薫の胸が熱くなる。 「ごめんね、君にもこの可愛い花にも。……小さいけど健気に咲いてる花は君みたいだ、何ていう花?」  大きな手で小さなポットを拾い上げる。  普通に聞いたら恥ずかしい台詞だが、スポーツマンだから照れがないのだろうか。まっすぐ見つめる瞳に戸惑いながら薫は答えた。 「プリムラ……さくら草です。すごくたくさん種類があって、僕も好きな花です」  へえとにこやかに笑う塁を見て、自分も彼を花に例えてしまった。 「……島崎さんは向日葵みたいですね」 「えっ、俺の名前知ってるの?」  それを驚くことに薫は驚いてしまう。 「この学校に貴方を知らない生徒はいないです」 「そっか?あ、これお詫びにあげる」  差し出されたのは小さなキーホルダー。甲子園の文字が見えて、薫は慌てて返そうとした。 「あのこれ、大切な物じゃ……」 「大事な物あげないとお詫びにならないだろ。また今年行って買うから」  塁のせいではないと思うが、薫は両手で受け取った。向日葵のような、向日葵が恋する太陽のような微笑みが眩しくて。 「ありがとうございます」  そして宣言通りその年も塁は甲子園に出場し、チームを準優勝まで導いたのだった。
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