家出少女とマンドラゴラの秘密

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家出少女とマンドラゴラの秘密

「いいこと? お母さんに隠しごとなんて、絶対しちゃダメだからね!」  腰に手を当て、キツい顔をする母に、私は黙って首を垂れた。  これでもう、四回目。  またお皿を割ってしまった。夕ご飯が終わって、早くドラマが見たいからと、焦って食器を運んだからだった。私の家では『ご飯を食べている時にテレビや携帯を見てはいけない』というルールがあり、それで慌ててしまったのだ。いくら録画できるからと言っても、早く見たいものは見たい。明日には中学校でミヨちゃんたちが、ドラマの話題で持ちきりになっているに違いないのだ。私一人だけ乗り遅れる訳には行かなかった。  お皿を割った、その後が不味かった。早くサオトメカズキ(ドラマの主演男優だ)に会いたかった私は、思わずお皿をカーペットの下に隠してしまったのだった。今思えば軽率だった。 「お母さんはね、お皿を割ったから怒ってるんじゃないの。悪いことをして、それを黙って隠そうとしたから怒ってるのよ! ねえ、聞いてる!?」 「聞いてます……」  当然、母にはすぐにバレてしまった。ドラマが始まった瞬間に炬燵の前に座れた時は、興奮で胸いっぱいだったのだが、その気持ちはすぐに針で刺した風船みたいに萎んでしまった。 「お母さんはエリカをそんな風に育てた覚えはありません! 今度やったら、ただじゃすみませんからね!」  それから約一時間、クドクドとお説教が続いた。これがもしドラマだったら、視聴者はとっくに飽きてチャンネルを変えてしまっているだろう。何てったって、母はさっきから何回も同じ内容を繰り返しているし、「全く中学生にもなって」とか、「貴女は昔からああだこうだ」とか、とにかく話が支離滅裂なんだから。 「しばらくドラマは禁止にします!」  一時間後、ようやく母が声高々に判決を下した。あまりにも不当な裁判である。私は法律には詳しくないが、これは明らかに私の『ドラマを観る自由』を奪う卑劣な宣言である。私がそう訴えると、我が家の最高裁判官は、「あんまり屁理屈ばっかり言うと、お父さんを呼ぶわよ!」と最後の切り札を出してきた。それで私は決心した。  家出しよう。  涙を飲みながら、私は心の中でこっそりそう誓った。毎週カズキに会えないのなら、私がこの家にこだわる理由も、あんまりない。  一週間後、私は夜行バスに揺られていた。  出かける前、私はこれまで生きてきた十四年間で、最も気合を込めてオシャレをした。『お気に』の白いワンピースを着て、つばの大きな花柄の帽子を被り、それにお化粧もバッチリ決めた。ちゃんとマスクもしたし、おっきなサングラスだって。  横浜に行くつもりだった。  カズキに会うためだ。ちょうど今、湘南でドラマのロケをしている。ひと目見るだけでいい。そう思った。その後のことは、特に考えてなかった。祖父母からもらったお年玉やお盆玉を切り崩して、財布の中に万札を五枚ほど突っ込んで出発した。バスが出たのは、夜十時を過ぎていた。バスの窓から覗く夜景はどこまでも続くコンクリートの壁で、殺風景とはこのことだ、と思った。早くここから脱出したいと、そう強く願った。 「ねえ」  不意に夜中に声をかけられて、私はびっくりして目を覚ました。アイマスクを外すと、隣に、ちょうど同い年くらいの女子が座っていた。私が寝ている間に、途中から乗り込んできたのだろう。バスは名古屋を過ぎて、東名高速道路に入っていた。道のりはようやく半分と行ったところだ。 「あなたも東京に行くの?」  女の子は好奇の目で私を見つめていた。私は面食らって、しばらく返事できなかった。腕時計を覗くと、夜中の二時を回っていた。到着まで後四、五時間はある。  改めて隣の女の子を見つめる。日に焼けた褐色の肌が、ふわふわとした亜麻色の髪に良く似合っている。私の中学は染めるの禁止だったから、羨ましかった。 「ねえ?」 「……そうよ」  褐色の女の子が再び聞いてきた。私は頷いた。まさか『家出』とは言えなかったから、慎重に言葉を選んだ。周りの乗客は寝静まっているから、二人ともヒソヒソ声だ。 「ホント!? 私も! 私、まりんっていうの」 「……そう」 「ホントはシャーロット・マリン=キャベンディッシュって言うんだけど。全部じゃ長いからね」「外国の人なの?」  私は目を丸くした。よく見ると確かに彫りが深く、東洋人離れした顔つきをしている。 「そうよ……ここだけの話、私魔女なの」 「魔女??」 「うん、正確には、見習いの魔女。ここではない、別の世界から来たの。誰にも言わないでね。絶対内緒よ!」  まりんの目は本気だった。おかしな人だ。アニメか何かの設定だろうか。最近じゃコスプレとか、そう言うキャラに()()()()()()人も少なくない。下手に反論して噛み付かれるのも嫌なので、私は適当に流すことにした。 「あ! その顔、信じてないでしょ?」 「ううん、そんなことないよ……まりんは、魔女なんだよね?」  バスが時々思い出したようにガタゴト揺れる。私はあくびを噛み殺しながら答えた。夜中の三時を過ぎて、私は再び睡魔に襲われていた。 「そうよ。あなたは?」 「……エリカ」  おしゃべりな魔女が、目を水晶のように輝かせる。魔女っていうより、まだ魔法少女だ。 「エリカ! いい名前ね。待って……占ってあげる。私、そう言うの得意なの」 「魔女だから?」 「魔女だから」  まりんはクスクス笑った。それから私の目をじっと見つめ、口の中でブツブツ呪文のようなものを唱え始めた。私はなんだかくすぐったい気分だった。 「いいわ……占いの結果が出た。エリカは……そうねえ。今、悩みを抱えてる?」 「うん」  私は吹き出しそうになった。古今東西、悩みを抱えていない人間などいない。 「それは、家庭の悩み?」 「そうよ」 「分かるわ。私もオリバー叔母さまにはもううんざり。あ、オリバー叔母さまって言うのは、私の叔母で、魔法の師匠でもあるの。この間も、マンドラゴラの調合をたった一()()()間違えた程度で……一()()()よ、一()()()! 分かる? もうやんなっちゃう。それで思わず……これ、魔女以外にはホントは秘密なんだけど……私ね、マンドラゴラのを……」  ……そんな調子で小一時間、魔女としての訓練が如何に厳しいかと言う愚痴が続いた。私は感心した。本当かどうかも分からないが、作り話だとしたら、よくそこまで思いつくものだ。見たこともない、幻想的な魔法世界の話を聞くのは、案外楽しかった。それに、世界は違えど、同じようなことで悩んでいる子がいるんだと知って、何だか嬉しくもあった。 「……それでね、そう。だから私は東京に逃げて来たってワケ。東京には、素敵な魔女の先輩がたくさんいるしね」  散々話してさすがに疲れたのか、最後にまりんはそう締めくくって、それから深くため息をついた。私はぐったりとしたまりんを見遣って言った。 「……だけどやっぱり、勝手に出ていくのはマズイと思うわ。オリバーさんも、きっと心配されてると思う」  どの口が言うか。  自己矛盾した言動に、苦笑いしそうになりながらも、私はまりんを諭さずには要られなかった。だって、いくら魔女だからって、こんな年端もいかない少女が。たった数時間前会ったばかりだけど、話しているうちに、なんだかお転婆な妹ができたような気分になった。 「一回は、連絡しておくべきだと思うわ。私は無事だって。せめて東京に着いた後にでも」  私はまりんをじっと見つめた。どうして他の人のことならこんなことが言えるんだろう。どうして自分のことになると、上手く見えなくなるんだろう。まりんも、クリクリっとした目で私をじっと見つめ、やがて静かに頷いた。 「……そうね。うん……。じゃあ、今度はエリカの番」 「え?」 「エリカの話も聞かせてよ。ね? 絶対内緒にしとくから……」  結局それから空が白み始めるまで、私たちは身を寄せ、交互に自分たちの四方山話(よもやまばなし)を語り合った。結局家出のことも話した。お互いの連絡先を交換したり、後は……後は、二人だけの秘密だ。  朝方になると、ようやくコンクリートの壁を抜け、出来立ての太陽が雲の隙間からおずおずとこちらの様子を窺っていた。昼過ぎにはいい天気になりそうだ。眠たい目を擦り、私は胸を躍らせた。目的地でバスを降りた時、私を待っていたのは透き通るほどの青い海、白い砂浜、そして憧れのサオトメカズキ……ではなく、私の父と母だった。 「エリカ!」  母が叫んだ。驚いたことに、『鬼神』の異名を持つ我が家の最高裁判官は、目にたっぷりと涙を浮かべていた。一方、毎週ゴルフ三昧のぐうたらな我が家の首相は、これでもかと言うくらい機敏な動きで私に向かって走って来た。父が、ゴルフの準備をする以外に能動的に動いているところを見たことがなかったので、これまた私を驚かせた。 「もう! 心配したんだから!」    父と母が、呆然と突っ立っていた私を素早く挟撃した。もしかしたら窒息死させるつもりだったのかもしれない。それくらい強い力で、長いこと抱きしめられた。詳しく話を聞くと、どうやら夜中に匿名で、()()()()の電話があったらしい。それで高速をすっ飛ばし、出口で先回りしていたと言う訳だ。こうして私の家出計画は、初日で潰えてしまった。 「お願いだから、もう私たちに、黙って出て行ったりしないで」  母が涙声で訴えた。両親の腕の中で、私は不思議に思った。家出のことは、誰にも話していない。まりん以外には。だけど、仮に彼女があの時間帯にこっそり電話したとして、そこから両親が車を飛ばしたとしても、いくら何でも距離的に絶対追い抜けはしないのだ。一体誰が、どうやって……? 「どうしたの?」 「ちょっと……」  マンドラゴラのように泣き叫ぶ両親の()()を振り払い、私は忘れ物を取りに行く振りをして一旦バスに戻った。私の隣の席に、まりんの姿はなかった。他のどの席にも。私が羽交い締めにあっている間に、こっそり降りてしまったのだろうか。 「エリカ? どうしたの?」  バスの入り口から母が私を呼んだ。  私は誰もいなくなった席を見つめた。(いず)れにせよ連絡先は交換しているし、いつかきっとまた会えるだろう。それに、もし彼女が本物の魔女なら……。 「誰かいるの? お知り合い?」 「……ううん。何でもない」  私はゆっくりと首を振った。  バス停から覗く波は穏やかに、私を歓迎するように水平線の彼方から手招いていた。帰り道。後部座席でウトウトしながら、私は出会ったばかりの自称・魔法少女のことを考えていた。まりんのことは、やっぱり私だけの秘密にしておこう。本当かどうかも分からない、ちょっぴりワクワクするような、私たちだけの隠しごと。こんな隠しごとが、いつかもっと増えたらいいな、とその時私は思った。
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