はじめてのエッセイ~対人恐怖症顛末記~

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 ぼくは産まれた時から不器用でした。  幼稚園の工作課題はいつも2ヶ月遅れ、皆がクリスマスのお絵描きをしている中、一人でお月見の絵を描き。  チャックの付いた服の着かたを理解するのに一冬掛かり、次の冬には忘れてしまい。  小学校へ上がれば、プールの着替えに半日掛かり。  放課後まで給食を食べてる始末。  流石に担任の先生から受診を勧められ、「発達障害」と診断がついたのは小2の頃でした。  それから不器用なりに努力を続け、僕は大学生となり、故郷の北国を遠く離れた関西で、晴れて一人暮らしを始めました。  しかし、人一倍要領の悪いぼくには、荷が重く、少しずつ家事を溜め込むようになり、気付かぬ内に次第に心が蝕まれて行きました。  最初に異変を感じたのは、いつだったでしょうか。  多分、いつもの様に大学に着いて、教室へ向かっている時だったと思います。  大好きな授業の筈なのに、不思議と教室へ入り辛く感じ、動悸がするんです。  遅刻しそうで、走って来たからかなぁ。そう思い、廊下のベンチで休息を取りますが、かえって心拍数は増すばかりで、とうとう授業に出れませんでした。  それから、徐々に授業を休む事が増え始めました。  しかし、当時のぼくは、努力が足りないから、怠け癖がついてしまったんだ、もっと頑張らないと、と余計に自分を追い詰めてしまいました。  この頃、サークル内のトラブルに巻き込まれた事もあり、次第にぼくは、人を疑うようになっていました。    ぼくは、障害のせいで運動機能も不器用で挙動不審に思われる事もたまにありました。  その事もあり、通学の電車内で、突然、こんな考えが頭をよぎります。  ぼくは動きが怪しいから、痴漢に間違われるかもしれない。   元々、発達障害を抱えていたぼくは、「常識の範疇」と言った概念が希薄な為、人の目を気にして常識的に振る舞いなさい、と言った躾をいつも受けていました。だから、徐々に自分の感覚が病的になって行っても、最近のぼくは警戒心が強くなり、用心深くなった、くらいにしか思えませんでした。  結局、通学中は、いつも手摺りを両手で掴んでいました。  症状は更に悪化し、授業で発表がある度に、ぼくは登校出来なくなりました。もう、動悸どころではありません。丸一日吐くわ下すわで、トイレを出る事すらままならない有様でした。  流石にこの頃にはぼくも異変を感じ始めていましたが、病院に行く気にはどうしてもなれませんでした。元々病院に苦手意識があった事に加え、既に、通院や入院と言った環境の変化にも耐えられない程、ぼくの恐怖心は増大していたのです。  こうなってしまえば、後は坂道を転げ落ちるだけでした。  人の目線が、怖い。  買い物が、怖い。  外食も、怖い。  外出も、怖い。  とうとうぼくは、日々の食事にも事欠く様になり、見る見るうちに、ガリガリになって行きました。  採れる食事と言えば、三日に一度、人々が寝静まった夜中に、近所の自販機で購入するポテチだけ。ぼくは、この小さな小さな冒険を「狩り」と、呼んでいました。  最早、人間の暮らしではありません。自分の事が、モグラとか妖怪の様に思えました。  夏休みに、やっとの思いで帰省したところ、変わり果てたぼくの姿を見た家族からドクターストップが掛かり、そのまま休学扱いとなりました。  家族に囲まれて、ご飯の心配も無くなったせいか、ぼくは格段に明るくなり、元通りのおしゃべりになりました。しかし、やはり外出には恐怖を感じ、暫くの間は引き籠もり生活が続きました。  数週間程経って、家族から外出に誘われました。行き先は祖父母の家でした。  「あんた、良く耐えたね」  そう言って祖母は、痩せこけたぼくの腕を握って号泣しました。  恐怖に塗り固められて枯れ果てていた、心の泉がこんこんと甦る様に、ぼくも自然にポロポロと涙をこぼしました。  それまでぼくも家族もどこか取り繕った様な笑いを顔に貼り付けていたのですが、この一件で、ぼくの心はやっと真の快方に向かって行った様に思います。  それからは、病院で薦められた薬の効きも良く、ぼくは半年で復学を果たしました。  しかし、以前として、不安は強く、故郷を発つ新幹線のデッキで、ぼくは人目も憚らずワンワン泣きじゃくりました。  その時、頭をよぎったのは、祖母が泣いている姿でした。あの時、心がスゥーっと楽になったのを思い出し、ぼくの涙は自然と引いて行きました。引き換えに、泣いたって不安だって良いじゃないか、自分を取り繕う事無くありのままで行こう!と、心に勇気と力が漲って来る様に思いました。  幸いな事に、ぼくが正直に不安を語ると、手を差し伸べて下さる方は周りに溢れていました。  病院の先生も、大学のカウンセリングの先生も、懇切丁寧にぼくの悩みに耳を傾けて下さいました。  何よりも有難かったのが、サークルの同期の方からのご支援でした。  彼女は、ぼくが外出に不安を抱えている事を知ると、買い物から通院に役場での手続きまで付き添って、手取り足取りサポートして下さいました。その心強さと言ったら、嬉しさと言ったら、とても言葉では言い表せません。  こうして、周囲の方から温かく見守られ、ぼくは大学を一年遅れで無事に卒業し、現在は故郷の障害者向けの就労支援施設で、イラストレーター研修生として夢に向かって頑張っています。  ぼくは今でも、話の掴みで、  「えーっと、、、、、、緊張してます。」 なんて、しどろもどろに振る舞う事がよく有ります。  コレは実際に緊張しているのは勿論なのですが、 自分の緊張を客観的に一歩引いて見つめる事で、自然と自らの心の有り様を受け入れ、少し楽に過ごせる様になる、と言う理由も有ります。  ありのままのぼくを認めて貰えた事で、ぼくは地獄から這い上がる事が出来ました。  これからは、ぼくを救ってくれた周囲の方に、社会に、自分の好きなアートで、少しでも恩を返して行きたいです。  最後に、ここまで読んで下さった読者の皆様、本当に有難うございます。  もし、気が向かれましたら、ぼくに気軽に絡んで頂ければ、良いリハビリになり、大変嬉しく助かります。  これからも少しでも良い作品をお届け出来るよう、精進して参ります。どうか宜しくお願いします。
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