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男は即死でした。 男の酒癖の悪さはみんな知っていました。同僚と近所の人の証言、試験に落ちた当日であったこと、恋人に日常的に暴力を振るっていたこと等もあり、飲み過ぎで起きた事故だと処理されました。 ()()から少し経って、みーちゃんはお母さんのお見舞いに来ていました。 個室の部屋のベッドで、相変わらずお母さんはどこかを眺めています。 「うるせぇんだよ、クソババア」 お母さんがまた叔母さんに言っています。きっと夢の中で、大嫌いな叔母さんに言い返しているのでしょう。 「うん。そうだね。私も叔母さんのことキライよ」 丸椅子に座り、みーちゃんは頷きます。 「やめて。私の可愛いみーちゃんをいじめないで。みーちゃんの靴下を取らないで。返して、返して。いじめないで」 「……うん。ありがとう、お母さん」 目の前にいるみーちゃんを認識出来ないのに、お母さんは昔のみーちゃんを必死に守ってくれています。 みーちゃんは、お母さんのお腹にそっと触れました。 お母さんの大腸がまた悪くなりました。最近では体力が衰え、食欲がなくなり、わずかな期間で10キロ近くも痩せてしまいました。もう投薬には耐えられず、あまり長くはないだろうと先生は言っていました。 「ねぇ、お父さんは肝臓の病気だったね」 お父さんも最後は痩せ細っていました。 「私、思うの。大腸や肝臓みたいに、〝(こころ)〟っていう臓器があれば良いのに。心が傷ついた時には、そこから血が流れたらいいのに」 いつだったか、みーちゃんは誰かに言われました。 〝辛かったら、泣きなさい〟と。 「……泣いても、鬱陶しがられるだけよ」 涙じゃない。血だ。流したいのは、血なのだ。 私の心が傷ついていることが、誰の目から見てもハッキリと分かるように。 「私、これから、どうなるんだろう」 みーちゃんは男を殺しましたが、驚くほど罪悪感がありませんし、警察に真実がバレてしまうという不安も感じません。 みーちゃんが心配していることは、これから自分が何者になるのかということです。 みーちゃんは、痛みや苦しみを言葉にする能力を持たない大人になりました。言葉にならない怒りを我慢することで、平穏に生きてきました。 でも、みーちゃんにはもう、理不尽を乗り越える力は残っていません。 何となく、お母さんを見てみます。目を閉じて眠っていました。どんなに痩せても、お母さんの横顔には慈愛が残っていました。 「お父さんの死に顔もキレイだった……。この前、お母さんは言っていたよね? 他人を変えることは出来ないから、お父さんとお母さんは自分たちを変えてきたんだって。変わって、変わって、変わって変わって、変わっていった」 どれだけ変化を繰り返しても2人は美しくて優しいと、みーちゃんは強く思いました。 みーちゃんは、次は辺りを見回します。 います。うじゃうじゃいます。 これまで殺してきた〝みーちゃん〟たちが、墓地から蘇ったのです。彼女たちはゾンビのような風体で、病室を徘徊しています。数は異常なまでに多く、ここに入りきらなかった者たちが、病院の廊下やロビー、駐車場にまで溢れています。 もはや病院の敷地を越えて、町中にみーちゃんのゾンビが蠢いています。 みんな嬉しそうです。 約20年も過剰に強いられた我慢。 あの男だけでは足りないと、これからは自分たちが〝理不尽〟を殺すのだと、復讐するのだと訴えています。 「……うん。分かった。もうお墓は作らないよ」 私を守れる者は私だけ。 もちろん優しい人は傷つけない。 要らないのは、私の心をぐちゃぐちゃにする人。 もう大丈夫。 これからは、殺られる前に、殺り返そう。 みーちゃんは予感しています。 自分は両親のようにはなれないと。 自分が変わり果てた最後の姿はきっと、化け物だ。 「行こう、みんな」 みーちゃんは立ち上がりました。 ゾンビたちは嬉々としてみーちゃんの背中について行きます。
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