3人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
事の始まり
銀座の夕暮、乾いた風が夢になった。時おり掠める爽やかな青い風の翼に、まるで奇跡にでも慄くように僕は震えた。それは想定外の転職先が決まったからなのだと思った。英語が社内の公用語、多国籍社員の会社、社内の情景を想像するだけでも震えが沸いてくる。この転職先は僕にとっては確かに奇跡に違いなかった。
暑さにも疲れて僕は、ブルガリイルバーで綾瀬玲子の到着を待った。暫くすると、彼女が遣って来た。一人ではなかった。連れは中年の男だった。男はだらけた感じのグレイのポロシャツにだぶついた紺のジーパンをはいていた。彼女自身は、はだけた濃色のカーディガンに透けた感じの繊細な花柄のレーススカートをはいていたので、この二人の光景があまりにも奇異に思えてならなかった。男の足取りは、無礼なほどの蟹股歩きで、周囲に向けて侮蔑感すら放っているように見えた。
「諒太さん、お待たせ。この人、私の父です。ここに来る途中ばったり出会っちゃて、いい機会だから、涼太さんに紹介しょうと思ったの」
僕は戸惑った。どう口火を切ってよいのか皆目わからなかった。
「君ですか、玲子のボーイフレンドは…」
「影山諒太と申し上げます。お父様ですか。お会い出来まして嬉しいです」
「なかなかのイケメンだね。安心した」
おなざりの言葉しか言えなかったが、あの目つきは僕を見下していのは確かだった。僕の頭の天辺から靴先までなでるように眺めて、僕ではなく玲子の顔を見つめながら怠そうに喋ったのだ。
「急いでいますので、まずはこれにて。玲子、これで二人でディナーでも楽しみなさい」
「あら、いいの?じゃ、遠慮なく頂くわ」
「景山さん、今度あらためて私の家にお出でください。これからのことを話し合いましょうや。じゃ、これにて」
なんということだろう。不躾な振る舞いをする人間とはこのような人なんだろうと思った。素っ気なく、しかも名乗ることもせず去っていくとは。
最初のコメントを投稿しよう!