1.彼の名前

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 朱里はスマホを操作しながら 「リンダも今、友達と新橋で飲んでるみたい。すぐ近くにいるから、そろそろ呼び出していい?」 「え? え? 紹介って今日の話? 今から? ……そんなの困る。私、明日も仕事だし、今日も9時までには家に帰りたいし」 「大丈夫だって。まだ6時半だよ? 十分話せるでしょ」  そう言いながら、朱里は彼氏にメッセージアプリで何かを送っている。 「無理だよ! 初対面の人となんて緊張して話せない!」    そんな場面を想像しただけで赤くなる私の顔を、朱里が大きな瞳でじっと見つめる。 「実梨って本当に免疫ないよね。いくら鳳凰(ほうおう)女子大卒って言っても、それは行きすぎじゃない?」  鳳凰女子大というのは白金にある私の母校で、世間ではいわゆるお嬢様女子大と認識されている。  全くの余談だが、中学から大学までの一貫教育をしているこの学校は、中学から大学まで出た学生を『鳳凰』、高校と大学に通った者を『鶴』、私のように大学のみの卒業生は『サギ』と呼ばれる。  高い学費を払ったのに失礼な話だと思う。 「だから、合コンとか苦手なんだってば」  大学生の頃、周りの雰囲気に流されて合コンなどに参加したことはあるものの、初対面の男性にしつこくされてすっかり怖気づき、以来、そういう場所には全く行かなくなってしまった。  何より、恋人が居なくても私は自分の人生をちゃんと楽しんでいる自負がある。  この世に映画や小説や音楽がある限り、お一人様でも十分に充実した暮らしが送れると思うのだ。  だけど朱里は口を尖らせて文句を言う。 「そんな男に免疫がなくて、仕事になるの? 実梨の会社って男だらけなんでしょ?」 「そんなことないよ! アシスタントは皆女性だし、営業も3割位は女性だし、企画課でもたくさん働いているし……それに仕事の時は、モードを切り替えるから平気なの!」 「だけどプライベートではそのモードが働かないの? 案外不便な体質なのね。ねえ、やっぱり実梨って本当はまだ処女なんじゃないの?」 「ちっ、違うけど、もうほんとそういう話を外でするのはやめて……」  朱里はTPOなんて知ったこっちゃないという顔で、 「だけど、いつまでもそうしてたら一生誰とも付き合えないじゃん! 最初で最後に付き合ったのがあんな男って言うのは、いくらなんでもナシでしょ?」 「そ、そこまで言わなくても……」  私は彼女の勢いから目をそらしたくて、ワイングラスを口に運んだ。
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