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PUMA のスピードモンスター
「しょうがないなぁ」彼女はそう言って、んしょっと膝に乗せたランドセルを開けた。
「これ、あげるから」出てきたものは、片方きっとどこかに捨てられたに違いない靴とまったく同じ、PUMA のスピードモンスターだった。ネイビーと空色のお気に入りのシューズ。それを見つめる僕の目は、もう真ん丸になっていたに違いない。
「弟がさ、もうちっちゃくなって履かないからって、友だちの弟にあげるつもりだったんだけど」
「僕がもらっていいの?」
「だって、片っぽ裸足じゃおうちに帰れないでしょ。さ、早く履いて」履いてみたらサイズもぴったりだった。僕は立ちあがった。家に帰れる足を取り戻したのだ。
「これ、どうしよう」片方の靴を持て余した。
「ランドセルにしまいなさい。それからね、それを学校に持っていって先生に言いなさい。片方捨てられましたって」
捨てられたなんて口にしていないのにバレた。
「でも……」仕返しが怖い。
「勇気を持ちなさい」そう言って僕の頬をなでた。「あたしがいるから大丈夫」
「う、うん。また会える?」
「会えるよ」
「いつ?」
「イチ君があたしに会いたくなったら」
彼女は美尋と名乗り、僕は一路と答えた。この日からふたりは、イチ君、ミヒロと呼び合うようになった。ミヒロは小学五年生だった。
「さ、遅くなっちゃうからそろそろ帰ろうか? おうちの人も心配するし」
彼女は立ち上がり、スカートのお尻をパタパタと叩いた。
「夜になっちゃう。またさ」
んしょ、とランドセルを背負い、にゅっと笑った彼女は、僕になにかを飲み込ませるようにゆっくりと何度も頷いた。
「来るから。でさ、また少しだけ」
「うん?」
「イチ君の力になるから。また会おうね」
「うん、いつ会う?」
「ヒロ君があたしに会いたくなったら、また来る」
「また来るって、いつ? どこに?」
「だからあ、ヒロ君があたしに会いたくなったとき」
よくわからない言葉を吐いて、ミヒロはやさしく微笑んだ。
「じゃね、バイバイ、イチ君」ミヒロは、僕の頬をピタピタと叩き、小さく手を振った。
「明日も晴れるよ」
ピンクのランドセルが遠ざかっていった。
隣町に住んでて、○○小学校に行ってると言ったミヒロが歩き去ったのが、まるで違う方角だったことに、あのときの僕は気づかなかった。
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