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第1話:鶴城十束
一
慣れない手付きでICカードをかざすと、少年は驚いたように「おおっ」と声をあげました。
彼は二階建てバスに別れを告げながら降りると、一つの看板を発見したようです。シックな色合いの看板には英語で「前夜祭会場はこちら」と記載されています。
イギリスの首都、ロンドン。ここのとある街で、明日から始まる祭典の前夜祭が行われます。
少年が鼻歌交じりに歩いてゆくと、大きな広場に出ました。そこには多くの屋台が出ており、生地やボタンなどの素材も販売しているようです。賑やかな風景や人々に、少年は目を輝かせます。
「すっげー……」
辺りを見回しながら歩いていると、二人の人物にぶつかりました。一人は少年とあまり歳が変わらないほどの背丈の少女。もう一人は少年の何十センチも背の高い青年。真っ黒なレザーの上着と髪に派手なメッシュを入れた青年を見て、少年の表情は一気に真っ青に。
「ご、ごめんなさい。周りに夢中で……」
二人にきっちり頭を下げて謝ると、青年は大丈夫、と笑顔を見せます。見た目によらず落ち着いた口調で話し掛けます。
「おれもキョロキョロしててね〜。さっきこの子とぶつかっちゃった」
一緒にいた少女は同意するかのように頷きました。表情が柔らかい青年とは真逆で硬い表情です。青年は話すことが好きなのでしょうか。話を続けます。
「海外は修学旅行で行ったことあるけど、イギリスは初めてで」
「えっ」
少年だけでなく、少女も驚いていました。
「てっきり、地元の人かと思とった」
「私も」
「よく言われるよ。父親がヨーロッパの出身でね〜」
笑みを絶やさない青年に少年は落ち着いたのでしょう、手を差し伸べます。
「オレ、糸賀縁って言います。貴方のお名前は?」
青年は握手に応じます。
「おれはツナグ。よろしく」
「よろしく、ツナグさん!」
少年、もとい縁は手を離し、次に少女に手を差し伸べます。
「お姉さんは?」
「……針本結。結でいいよ」
「結さん?」
「呼び捨てでいいよ。キミにさん付けされるの、なんだかムズムズする」
少し間を置いて、結も握手に応じました。
三人が自己紹介する中、屋台に設置されたテレビの前にはミドル世代の男性が数人ほど集まっていました。テレビに映る人物を見て「今回は出るかと思ってたよ」「俺らの希望の星」「嫁さんまだ復帰しないのかね」など、それぞれの意見を口にします。
テレビにはスーツを着た若者と男性が映し出されていました。二人は並んでテーブルに座っており、視聴者に向かって笑顔を見せています。
『さ〜て! 明日から始まります! 十年に一度の裁縫技の祭典、縫戦祭! 実況は私、生田真名斗がお送りします。全世界のアナウンサーの嫉妬を背負って、頑張りまーす! 解説は世界ランキング保持者の金本剛石さんです!』
『はい、よろしくお願いします』
ハキハキと毒を交えながら喋る生田とは違い、剛石はゆっくりと会釈をしました。
『剛石さんも全世界の解説者を蹴落としてこの座に?』
『いや、僕らの場合は出場したい人の方が多いので』
『なるほど、貧乏くじ』
テレビ前にいるおじさま方は笑っていました。視聴者ウケはよろしいようで。ブラックジョークを交えながら彼らの会話は続きます。
『今回が三回目の縫戦祭、更に今年は地球が再生してから六十周年となりますが……』
広場に近付くにつれ、人も多くなりました。というのも、広場では開会式が行われていたからです。今からある選手の挨拶が始まり、その様子は全世界に生中継されます。
「縁、もしかして島根の出身?」
ツナグは縁と結の歩幅に合わせて歩き、二人は背の高いツナグについていきます。ツナグは時々二人がちゃんとついてきているかどうか確認し、そして話を振ります。
「うん。なんで分かったん?」
「方言が地元の人だなあって思って。おれも島根なんだ」
「私も」
結が小さく手を挙げると、縁は目をキラキラと輝かせます。異国の地で同じふるさと出身の人物と出会えて嬉しい様子です。
「本当!? うわすっご! 奇跡じゃん!」
「まさかこんなところで島根の人に会えるとは思わなかったよ〜」
「そうかな」
二人の嬉しそうなやりとりをさえぎるような、ぴしゃりとした一言。二人は水を掛けられたような顔をしながら会話を止めます。結が足を止めたと同時に二人も止まり、彼女に近付きます。
「……日本は選手の育成に力を入れているし、世界ランク一位の選手の大半は島根出身だから、珍しくないよ」
結は一度伏せた目をまっすぐ、対象の人物に向けます。縁とツナグもつられてその人物に目を向けました。
「あの人がその象徴」
彼のブーツの音はひどく大きく聞こえました。というのも、大衆が一斉に静かになったからです。喜んだり、悔しそうに口を結んだり、拝んだり。様々な複雑な思いが、彼に向けられていました。
ぴっしり角度も正確なお辞儀をし、顔を上げます。服の上からでも分かるたくましい身体付きのお辞儀はとても様になっていました。髪と瞳は深く暗さが掛かっていましたが、その表情は希望に満ちています。
「皆さん、こんにちは。鶴城十束です」
たくましくも繊細さを感じる声が広場中に響くと、一定の人々は声を上げ、十束は大量のカメラのシャッター音やフラッシュの瞬きに包まれます。
その光景に圧倒されたのか、縁は後ろにいたツナグにぶつかりました。
「大丈夫?」
ツナグの気遣いに、縁は頷きます。
「あの人……」
「"ゴッドマフラー"……鶴城十束選手だよ。十年間、世界ランク一位をキープしている人」
縁の疑問に結が答えると、縁はただただ彼に視線を向けていました。十束の挨拶が始まります。
「なっっが」
十束の挨拶を聞いて、彼のチームメイトは我慢できず口から文句が出てしまったようです。瞳をギラつかせて十束を見ている彼の名前は松江紅馬と言います。
「小学校の校長並みになっがいわ」
「大会本部に頼まれてるんだろ。普段はメディア露出が少ないし」
紅馬の疑問に答えたのは竹矢山吹。二人は十束の幼馴染で、幼稚園からの付き合いです。今は少し離れた場所で十束を見ていました。
山吹はメガネのブリッジを指で調整します。
「それにしてもカメラ多いな」
「そげ! オレの会見の時もこんなにおらんかったのに!」
「あの会見、面白かったで。結婚おめでとう」
「おう、だんだん」
山吹が拳を軽く突き出すと、紅馬はそれに応じるように軽く拳を当てます。
「でも、大丈夫なんかアイツ」
「大丈夫とは?」
「鶴城、カメラ向けられるのダメだけん」
「……そうだな。後でフォローしような」
そんな二人の心配をよそに、十束は涼しげな表情を浮かべているように見えました。
「ん? あれニシじゃね?」
「は? ニシ?」
紅馬が指差す方向には、十束の言葉に聞き入る縁がいました。そんな十束の有難いお言葉は、ようやくクライマックスに入るようです。
「……裁縫技の発展を祈っています」
一歩下がり、再び礼儀正しいお辞儀をしますと、広場はたくさんの拍手に包まれました。その興奮が冷めない中、マイクを持った司会の女性が元気よく登場します。
「鶴城選手、ありがとうございました! さて、次は中学生以下の選手が挑める前夜祭の一大イベント! 前回の優勝者であり世界ランク一位の鶴城十束選手との手合わせです!!」
縁は結に呼ばれ、ハッと我に返ったようです。
「大丈夫? 貧血?」
「あ……ごめん。真剣に聞いちょった」
「え〜。おれは長すぎて半分寝てた」
欠伸をするツナグはそのまま「出ないの?」と縁に聞きます。
「鶴城選手と試合が出来るんだって」
縁と同じくらいの年齢の子供たちが、一斉に手をあげます。みんな憧れの選手と手合わせしたいのでしょう。声を張り上げたりジャンプをしたり、一生懸命アピールしています。縁はそれにも圧倒されたのか、肩をすくめます。
「む、結ちゃんは?」
「私? 私は去年小学校を卒業したから無理」
「あっ、ごめん」
縁は下を向きました。そのまま他の選手の声に埋もれそうなほど、弱気な雰囲気を漂わせています。
「当てられるか分からないけど、手をあげてみたら?」
「そうそう。私なんか出たくても出れないし」
「気には、なるけど……」
でも。縁から弱気な言葉が出てきます。
「オレ……縫戦祭に出場するの、悩んでて……そんな中途半端な気持ちで、世界で一番強い人に挑むのは……」
うじうじと効果音すら聞こえそうなほど暗い縁に、結は優しく背中を叩きました。
「大丈夫。挑戦することが大切だって、うちのパパが言ってた。裁縫だって、針に糸を通さないと始まらないでしょ?」
縁は顔を上げて結を見て、それからツナグを見ます。彼はニコリと親指を上げて笑顔で答えました。
「当たって砕けろ」
台無しになる一言でしたが、縁には背中を押す一言になったようです。
「ちょう、せん」
その始まりの単語を再び口にすると、縁は静かに、まっすぐ手をあげました。するとどうでしょう。辺りを見渡していた十束の動きが止まります。そして縁の元へ近付いてきます。
「え、うそ」
予想してなかったのでしょう、結は目を丸くして近付いてくる十束を凝視しています。十束は縁の前で止まり、広場全ての人の視線が十束と縁に向けられます。
「手合わせをお願いしたい。いいかな?」
縁は後ろを振り返りましたが、十束の「きみだよ」という答えに反応し、すぐ振り返ります。十束が縁の前にしゃがみこみ、二人の視線は近くなりました。縁は何回も瞬きしながら、目の前のチャンピオンに視線を送ります。そして反射的に「はい」と返事をしました。
「私は鶴城十束。きみの名前は?」
「糸賀、縁、です」
縁は視線を離さず、十束と対峙していました。
裁縫技の公式戦は専用のフィールドで行われます。ですが、それは特別な物のため、各国で設置数が限られています。それだと練習などがままなりません。そのため、こういった試合には簡易フィールドが作られるのです。
四つのポールを正方形になるように一定の離れた場所に立てると、視覚できる電子のベールが貼られます。これで専用フィールドと同じ力を発揮できるようになります。
係員に案内された縁は、防護用の布を装着し終わり、十束の待つ簡易フィールドに向かいます。周りには大勢の観客。相手陣地には十束がポツンと正座し、針を持って頭の上で軽く動かしていました。どうやら針を髪の毛に押さえつけているようです。
「鶴城十束のルーティンだ!」
その様子は彼のルーティンらしく、観客は自らのスマートフォンやカメラに収めようと再びシャッターを切ります。
ふぅ、と深く息を吐くと、十束は立ち上がりました。針に糸を通してまた一息。持っていた針の切っ先を上にすると、その針は竹刀ほどの大きさに変化しました。これが裁縫技に使う競技用の針、本来の姿です。縁も同様に腕時計型の裁縫箱から針を取り出し、変化させます。
「さて。準備はいいか?」
「あ、はい!」
「先攻はきみからだ。自分のペースでぶつかってこい!」
彼の言葉に感動しながら、縁は針を持つ手の力を強めました。
「頼むポロちゃん……オレに力を貸してくれ!」
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