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八話
「蛍さんは来てないですよね?」
「翠様の空っぽの頭はいつになったら記憶を入れることが可能になるのでしょう」
……これだから嬉しくないんだよ。蛍さんと会えるかもってちょっと期待しただけなのに。
「商団の者で玉と名乗る人物が女王様であることを知る者はおりません。それなのに、凰国に連れてくればその努力が水の泡になります。口に出す前に考えてからと何度言わなければならないのでしょう」
「いや、わかってはいるんですけど……」
「否定から入るのもやめてください。翠様に言う言葉はどれもこれも似たような言葉ばかり。どうすれば一度で空っぽの頭に入れていただけるようになるのでしょう」
「……すいません」
「謝られても苛つくだけです。努力をなさってくださいませ」
謝っても謝らなくても怒られるんだ。八方塞がりもいいところ。
「女王様は凰国王とお話をされているのですか?」
「はい。みんな追い出して王様と二人で話してます。あ、そういえば女王サンがこの国の王様のことおかしな王って言ってて、玉座二つあるし二人座ってたんですけど、あれってどういうことですか?」
「では、歩きながらお話しましょう」
金水さんは門をくぐってどこかに向かう。女王サンと同じで、案内もないのに足取りはしっかりしてる。
金水さんもこの宮殿を知ってるのか?
「ここは後苑、凌寧の王宮内にある秘苑と同じく宮殿内にある庭園にございます」
秘苑にはよく行くけど、この後苑って庭は全然違う。
赤が基調なのは同じだ。建物の屋根と壁は赤が基調で飾りに緑、たまに黄色。
でも、秘苑はそういう建物はごく一部。建物を主役にするんじゃなくて、庭を主役にするためにあとは質素な茶色、門は石から作ったものが多い。茅葺き屋根の建物もある。
小さな小川を作って、小川は池にたどり着く。池のほとりには石で作られた椅子がいくつかある。俺のお気に入りだ。女王サンに殺されかけたらその椅子に座って黄昏れる。そのせいで椅子に血がついちまった。
それに比べて、後苑はどの建物の色も赤。華やかな天井画が外からものも見える。
大きな川、川は滝となり音を立てて落ちる。滝となった水が辿り着くのは滝つぼ。でかい。かなりでかい。女王サンに沈められた水たまりみたいな滝つぼを思い出す。
「凰国の歴代王は派手なものがお好きな方が多いのです。建物も庭も、全てを大きく華やかにしておられます」
「……趣きがないっすね」
「ふふっ、翠様からそのような言葉を聞ける日が来るとは思っておりませんでした」
俺はこんな見た目だが庭とか、人の手が入った自然が好きだ。
女王サンは宝石とか俺には理解できない芸術品、食器なんかが好きだ。俺はそういうのに興味がない。
もし、もしもの話だが、俺に自由な時間があって何をしてもいいって言われるなら、土まみれになりながら庭を作ってみたい。
「それでは、凰国についての復習とまいりましょう」
「うげ」
「うげ、ではありません」
俺だったらあそこにあの花を植えたい……なんて考えてるところに、金水さんの最低な提案。
「では初めに、凰国と凌寧の関係性を述べてください」
「凌寧は凰国の属国で、凰国を宗主国と呼んでいる」
「宗主国と属国とはどんなものでしょう?」
「宗主国は属国に対して内政をどうこうできるし、属国は貢物をしなくちゃいけない。属国で王が変わる時は宗主国に王になることを認めてもらわないといけない。宗主国に認められてないと、いくら属国で認められていても正式な王とは呼べない」
ここら辺は叩き込まれたから自信がある。
「言葉があやふやなのが気になりますね。帰国したら言葉に出して説明できるように、もう一度教育し直すとしましょう」
あっれ? どうやら上手くはいかなかったらしい。いいじゃん理解してるんだから、なんて悔しい気持ちと恨めしい気持ちで顔が歪む。
「私を睨んでも何も変わりませんよ」
「……金水さんの鬼」
「翠様は要らぬ言葉や表現ばかり覚えますね。叩けばその頭のつくりが変わるのでしょうか?」
金水さんは笑顔のまま怖いことを言う。いつもながらとてつもなく怖いし鳥肌たつからやめてほしい。
「では、続いて凰国についての説明を」
「凰国はでかい。あっ、えっと……大国で凌寧以外の国とも宗主国属国の関係を築いてる。建国は二百五十年以上経ってて、都は東の海沿い。西には砂漠が広がっていて、北は異民族との戦跡が残る。南は貧しい人達が多いけど、みんな仲良しって感じで……えっと、血の気が多い凰国じゃ珍しく平和な村が多い!」
金水さんは頭を抱えて項垂れる。
「合っているのが非常に悔しいです」
「悔しいんですか? 俺結構覚えてると思いますけど?」
「覚えているから悔しいのです。この際その言葉遣いは引っぱたいて直しますので置いておきましょう」
「えぇ……それは嫌です」
それからも金水さんの復習とやらは続く。
「凰国の建国年数を具体的に」
「……二百六十、九年?」
金水さんは俺が間違っているであろうことを言うと何も言わずに微笑んでから、持っている書に何かを書き記す。
あれ何書いてるんだろう……絶対帰国したら怖いことに使われるじゃん……。
「宦官として著名な」
「異民族に対しての政策で」
「凰国と朝貢関係を結んだ国の中には」
「今のところにはなりますが、凰国最大の農民による反乱は」
「凰国を建国した初代王はなぜ都を」
金水さんの質問、というのかなんというのか、凰国に対しての復習は止まらない。
「……疲れました」
本当はそんなに疲れてない。疲れてはいるけど、言うほどじゃない。
商団で金水さんに色々教えられてる時の方が何倍も疲れる。
「こんなことで疲れていただいては困ります」
「しょうがないじゃないですか……こんな長旅初めてだし、俺、凰国に来るの初めてですよ? 気張りっぱなしでなんか疲れが一気に押し寄せてきてるんです」
「初めて……ですか、なるほど」
金水さんの言い方、なんだあれ。すっごい気になるんだけど。
今の嘘は自然に言えた自信があるのに、もしやバレた?
「足の傷、まだ痛みますか?」
椅子に座る俺の前にずっと怖い顔して立ってた金水さんが、突然しゃがんで俺の足に触れる。びっくりして足を動かすと、鈍い痛み。まだまだ痛いんだよな。
「痛いです」
「槍で刺されたのでしたっけ?」
「そーです。その通りです」
「また傷が増えてしまいましたね」
「別にいいですよ。いや、良くはないんですけど、今更だなとは思ってて」
もう二年……まだ二年と言うべきだな。
女王サンと出会って二年しか経ってないのに、俺の体ばずたぼろだ。
俺が見える範囲、前半分にはあらゆる傷が所狭しと並んでる。後半分も見てないけど同じようなことになってるんだろう。女王サンに後ろから刺されたり蹴られたりぶん投げられたり、そんな記憶がいっぱいある。
「綺麗な傷もいくつかありますね」
金水さんは俺の左足の傷を確認してたはずなのに、気づいたら服をめくりあげて腹を見てる。
「うわっ、ちょっ、何するんですか! 変態ですよ!?」
「何を今更。女官たちに世話をしてもらっている方がなぜそのようなことを言うのです?」
「あ、あれは……未だに慣れないんです。やめてくださいって言ってるのに、女官さん達は女王サンの命令だってやめてくれないし……ほんと、勘弁してほしいんです」
金水さんは傷を撫でながら優しく笑う。くすぐったくて我慢ができない。体をよじりながら笑い声が漏れる。
「女官に“さん”をつける人がこの世に存在するなんて、以前の私でしたら信じられないことです」
やめてください、と笑いながら金水さんの手を掴む。金水さんは変わらず優しい笑顔のまま。
女王サンにしても、金水さんにしても、あんまり笑う人じゃないのに……この国にいるから笑えるのか?
「綺麗な傷は女官が手当てを?」
「っていうのもありますけど、だいたいは蛍さんが手当てしてくれたやつだと思います」
「蛍が、ですか?」
「はい。王宮に来た時に俺を見つけて傷の手当をしてくれるんです。いっつも怒りながらなんですけど、手つきは優しくて。ほんと、蛍さんは母親みたいで……」
母親みたいで? 本当に?
俺が抱いてるこの感情は母親に対しての愛情なのか? それとも、違う愛情……?
「翠様……悪いことは言いません。蛍は」
『何をしている』
金水さんは言葉を止める。顔つきが一瞬にして、重苦しい、苦々しい顔に変わる。
しゃがんでる金水さんには見えてないだろう声の主の顔、俺はその顔が見えてる。何者かはわからないけど、さっき見た顔だ。覚えてる。
金水さんは声だけで誰かわかって顔を歪めてる……のか?
「お前は、翡翠といた胡人か」
「お久しぶりにございます。燐灰様」
「……お前も来ていたか。確か、名は金水だったな?」
「左様にございます」
俺の顔を見てから、男は凌寧の言葉を話し始めた。
こいつは玉座の左側に座ってた男。女王サンに追い出された人だ。
「胡人と話がしたい。お前はどこかに行っていろ」
「かしこまりました」
金水さんは男の……燐灰? って名前だったよな。
燐灰様とやらの言葉を聞いてどこかに行く。いや、置いていかないでくれよ……俺どうすりゃいいんだよ。助けてくれ。
『主人を裏切った者を……翡翠は相変わらず甘い』
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