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九話
「裏切り者って……金水さんのこと?」
俺の言葉に男は顔を歪める。
「誰と話していると思っている。本来ならば胡人が話せる身分ではない」
冷たい言葉。それに冷たい表情。
その視線に俺は凍りつく、気がしてる。指一本動かせない。迫り来るなにか……恐怖としよう。どうするべきかがわからなくて、固まることしかできない。
「胡人、お前は翡翠の奴隷だろう」
この圧迫感。女王サンや黄鉄殿と同じだ。
玉座に座ってたぐらいだからかなりの偉い人だってことはわかる。普通に考えたらこの人も王様ってことになるんだろうけど……女王サンはこの人を追い出した。
「なぜ胡人の奴隷如きを清殿の中まで連れてくる?」
清殿は……あれだ、さっきこの人と会った建物だよな。名前が覚えられなくて一瞬どこのことかわからん。
「わざわざ凌寧の言葉を話してやっているのだ、口があるならば話せ」
「……あなたは俺が何を話すことを望んでるんですか? 俺にはそれがわかりかねます」
怖いは怖い。けど、固まったままでいられない。
この人が俺に何を話すのかを望んでるのか全くわからん。想像もつかん。だから、正直に聞くしかないだろ。
「名は」
「翠です」
「翠? 翡翠の名から一文字もらったのか。奴隷如きになぜ自らの名を与える?」
あぁ、今になってあの時の言葉を理解した。
初めて会った日、水たまりみたいな滝つぼで女王サンに沈められた時。
この先のお前の人生は全て私の一部だ。
なるほど。名前からして俺は女王サンの一部になってるわけだ。
名前は大事だ。その人を表すもの。その一文字をもらうってのは普通は光栄なこと。喜ばしいことだろう。
だが、俺の場合は違う。女王サンの言葉からしてただの呪いだ。おっかない呪い。俺は知らず知らずのうちに女王サンの一部になってる。
「応えよ」
「大層な理由があるとは思えません。俺はただそう名付けられただけです。知りたいのでしたら、あなたから女王サンに聞いてはいかがでしょう? 私よりも親しい付き合いのようにお見受け致しましたので」
……合ってる? 俺の丁寧な言葉合ってる? 自信がなくて下向いちゃったよ。
こういう言葉得意じゃなくて、女王サンにも金水さんにも怒られてばかり。
「奴隷如きが生意気な」
あ、こりゃだめらしい。やらかした。
女王サンだったらなんかぶん投げて刺さって終わりだけど、この人は違う。俺が暮らす凌寧が宗主国と仰ぐ隣国、凰国のお偉いさんだ。
「私の名は燐灰。この国を治める金剛王の弟、そして兄王と共に凰国を治めている」
殺されるって身構えてたけど、男は名を名乗って自分の身分を明かした。
「そう身構えるな。お前の命などに興味はない」
燐灰様、とやらは俺が両腕で顔を隠してるのを見て少しだけ笑いをこぼす。
「翠、お前は翡翠の何だ?」
「え……何って……?」
「聞き返すな」
この人怖いけど優しい人なのかもと錯覚したのは一瞬。やっぱりこの人は怖くて嫌な人だ。
「何だと言われましても……俺自身もよくわかってないん……わかっていないです」
気をつけてないと普段の話し方になる。怖い人に普段の話し方で話すなんて度胸を俺は持ち合わせてない。
「ただの奴隷ではないだろう」
「……はい」
「では聞き方を変えよう。お前は翡翠に何を望まれてる?」
「それは簡単ですよ。俺は女王さんを殺して……今のなし」
これは確実に言っちゃいけないやつ。
女王サンに言っちゃだめと言われたことはないけど。ないけども、言っちゃだめなやつって頭の悪い俺でもわかる。
「なしにはならない。聞いてしまったからな」
「お願いですから聞かなかったことにしてください!? 殺されるどころじゃなくなります。ほんとです、ほんとですから、お願いします」
がばっと勢いよく頭を下げる。
頭を下げてるわけだから燐灰様の顔は見えてないけど、これまでの言葉からしてにやにやしてるに違いない。絶対どう料理しくれようかって顔してるよ。
「心配せずとも良いわ。そのように怯えるな。小狗をいじめる狼になったようでいい気分がしない」
俺が呆気に取られてだらしなく顔をあげると、予想は当たってた。どう料理しくれようかって顔はしてるけど、呆れたように肩を落としてる。
「翡翠から話は聞いてる。私も協力を頼まれている身、隠すことはない」
「……それなら早く言ってくださいよ!? 俺、女王サンに殺されると思って、一瞬で色々考えまくりましたよ……心臓に悪い」
燐灰様は意味ありげなにっこり笑顔で俺を見つめる。
「心臓に悪いのはお前自身だ。私にそのような言葉を使うな」
「……たいへん、申し訳ございません」
気を抜くなよ! 俺!!
この人親しみやすさを出してくるくせにそれに乗ると怒られるんだけど。取り扱い難しすぎる。
「翡翠が言っていたものがお前だったということだ」
「……あの、女王サンの名前ですよね? 翡翠って言うのは」
「知らなかったのか? 女王となる前、王女として生まれて女王として即位するより前は翡翠という名の女だった。それに、忌々しい過去の記憶だが、私とあの性悪女は一時期婚約者として共に過ごしていたこともある」
「こ、こん……やくしゃ?」
婚約者って……知ってる。聞いたことはある。
何となく想像はできるんだけど……なんて言うか、こう、ちゃんと理解できてるわけじゃない。
「翡翠は十一の時に私の婚約者としてこの国に来た。私には兄がいたから王太子になる身分ではないが、属国の王女が宗主国の王族と婚約するなんて前例がなかった。それで凰国は大いに騒いだらしい。私はその時まだ八つだったからあまり記憶にない」
「十一歳と八歳が婚約する……したんですか?」
「遅いぐらいだ。王族は生まれてすぐ結婚する相手が決まっていることも珍しくはない。翡翠は忘れ去られた王女だったが、私は過保護な父王が相手を吟味していた結果遅くなった」
本当に俺は女王サンのことを何も知らない。
知らなくていいと思ってたけど、もしかしたらそれじゃだめなのかもしれない。俺はあの人の後を継がなきゃいけないんだ。
継がされるのを隠して、自分が継ぐという意志を持ったと思わせなきゃいけない。
「俺、女王サンのこと何も知らなくて……燐灰様が知っている女王サンのことを教えて頂けませんか?」
あ、あとあれだ、色々忘れてた。
「あと、燐灰様が国王様の弟ということはわかりましたがなぜ玉座に座られていたのか、金水さんに対しての裏切り者って言葉の意味と」
「質問が多い」
「あっ……すみません。聞きたいことがたくさんありまして」
燐灰様は座り、俺は立たされてるけど、最初に感じた冷たさ、圧迫感、恐怖は感じない。
足が冷たくはなってるけど、そういうことじゃない。この人は思ってたより悪い人ではない。
多分、女王サンが言ってた性悪ってのは燐灰様のことだ。その言葉は合ってる。確実に性格の悪い性悪だけど……そんなに悪い人じゃない。
言葉にすると説得力がないけど、今の俺にはこの表現が限界だ。
『燐灰? 風邪をひいてしまいますよ』
優しい声。びゅーびゅーと強かった風が、声と同時に止まったような気がする。
ふんわりと包まれるような、そんな温かい声が後ろから降ってくる。
『王妃様』
燐灰様がそう言って立ち上がって頭を下げる。
俺も燐灰様の真似をしようと振り返る。王妃様……王妃様って王様のお嫁さんだよな。王妃様、俺にはあまり馴染みのない名前と存在、そして美しい王妃様の姿を見てぼうっとしてしまう。
造宮、という建物が凌寧の王宮に存在する。
王妃様が過ごす為の建物らしいが、女王サン女だし、女王サンには旦那さんがいない。
誰も使っていない造宮は雑草が生い茂る荒れた建物に成り果ててる。
造宮なにかに使えないかな……庭が広いから俺にいじらせてくれたらいろんなことができる。例えば、
「翠、今すぐに頭を下げろ。凰国の王妃様だ」
頭を抑えられて力づくで下を向かされる。
考え始めると周りが見えなくなるの直さなきゃな……。
「燐灰、いいですから。そのような乱暴なことをしなくても私は気にしません」
燐灰様が凌寧の言葉を話すと、王妃様も燐灰様に合わせて凌寧の言葉で話し始める。
「ですが、属国の奴隷なのです。王妃様のお気持ちではなく、これは決まりなのです」
「わかりました、わかりましたから、もうその手を離してください」
燐灰様が手を離しても俺は頭を上げない。正しくは上げられない。
この状況で頭を上げてもどんな顔をしていいかわからん。
「大丈夫ですか?」
王妃様の優しい声。頭を下げてる俺に手を差し出してくれる。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
仕方ない。これは頭を上げないと。
王妃様の手を恐る恐る取り、そのまま頭を上げて王妃様と目を合わせる。
「とても美しい目をしている。琥珀のような目」
琥珀、女王サンと同じことを言う。
あの時は女王サンと言うよりはババアだったけど……俺の目を見て美しいって言ったのはこれで三人目だ。
「凌寧から来たのか?」
「は、い。女王サ……翡翠様の……ど、れい? にございます」
「そうか、翡翠の供の者か。凰国へようこそ」
『王妃様、遅れてしまいますのでお急ぎください』
『わかった、すぐに行く』
王妃様は俺にふわりと笑いかけてまた会えると良いな、と声をかけて体をくるりと回して庭園から出ていく。
王妃の呼び名があんなに似合う人もいないだろう。優しい笑顔、声は包まれるような温かさを感じる。指先まで美しく、どう動いても絵になる。
「燐灰様、王妃様って」
ぐらり。視界が動いた。
その後に酷い鈍痛。頭だけに感じた鈍痛はどんどん全身を駆け巡る。
痛みで何もわからなくなってきた。痛、痛い……これは慣れない……方の、痛み……だ。
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