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三章、醜行の者
十一話
こんなこと、今まで何回も繰り返してきたはずだ。
短剣で槍で、切られて刺されて。体中に醜い傷跡が残ってる。
でも、それだけだった。痛い、傷が残る。それだけ。傷以外の何かが残ることはなかった。
「……変な感じ」
変な感じ。その一言で片付けられることじゃない。わかってるけど、もうそう言って笑うしかない。
もう過ぎたことだ。どうあがいても過去に戻ることはできない。
俺の左目はもう眩しいと感じることはない。
「あ! 翠様! お戻りになってたんですね」
「……はい。お久しぶりです、蛍さん」
咄嗟に左目を手で隠した。
何もしなければいいのに。俺の左目が見えなくなったことは見た目じゃわからないはずなんだ。
誰にも言ってないし、言うつもりもない。
俺の目は金眼、妖魔の目。見えたって見えなくたってこの国の人達にはどうだっていいことだ。
「翠様、隣国でなにかあったのですか?」
「えっ」
「なければいいのですが、なんと言うか……なんでしょう?」
商団内の室。初めて蛍さんと出会った客間に蛍さんと向かい合うように座る。
目の前の蛍さんは思ったことを言葉にするのが難しいらしい。うーんうーん、と唸り続ける。
せっかく蛍さんと話せるってのに、もっと楽しい話がしたいのに……。
「……目が」
「えっ、」
「なんだか目の色がおかしくないですか? 左目だけ暗い色な気がして……」
左目を隠したのがまずかったのか。それとも、本当に左目の見た目が変わったのか。
よくわからないが蛍さんに心配をかけたくない。なんでもないです、と室を出ようとすると蛍さんはそれを邪魔する。
「どうして逃げようとするのです?」
「……厠に行きたくて」
「ならなぜ、手で左目を隠すのです?」
「これは、ですね……その」
「往生際が悪いですよ。さっさと手をどかしてください」
俺の手をどかせようと蛍さんは手を伸ばすが、手が届いてない。頑張って背伸びしてぴょんぴょこと飛び跳ねる姿が小動物みたいで、あまりに可愛すぎて、笑いがこぼれる。
なんなんだよ、この人。なんだこの可愛さ。
「ちょ、翠様! 何に笑ってるのです?」
「蛍さん可愛いなって」
「……はぁ!? 年増にそんなこと言っても誤魔化せませんからね!」
とか言いつつ、蛍さんは顔を真っ赤に染めてる。
ほんっと、本当に、この人には敵わない。
「わかりました。目見せます。見せますから」
蛍さんは俺を椅子に座らせて、腰を屈めて俺の目を見つめる。
蛍さんの目の中に俺が映ってるのがはっきり見えるぐらい近い。
「灰色がかってるように見えます」
なぜ目の色が変わってるように見えるのか。
理由なんてわからないが心当たりは一つしかない。俺はその心当たりを蛍さんに話す。
「……では、今翠様は左目が見えてないのですか?」
「はい。女王サンに左目をぶん殴られてから見えないんです」
あの後、燐灰が売春小屋の生き残り二人を殺した後、燐灰と一緒に女王サンのとこに戻った。
燐灰も女王サンも俺の体のことなんて気にしないで、俺が血を流してるのなんて見えないってそんな態度で、交渉が始まった。
「翡翠、お前の計画の目標に金剛を殺すことを入れろ」
燐灰の目的は兄王である金剛を殺して、自分一人で王になること。
「実母だけでは飽き足らず、実兄も自らの手で殺すのか」
「……実母と実父の毒殺を成功してる俺の知識と経験は翡翠の計画にも役立つと思うが?」
女王サンは実父という言葉を聞いて、一瞬だけ目を見開いた。だが、すぐに表情は戻る。
「わかった。凰国がどうなろうと私の計画に変更はない。使者は金水、それ以外は認めない」
「あの裏切り者か……まぁ使者など誰でもいいか」
燐灰と女王サンはそれから少しだけ話を続けて、燐灰は室を出ていった。
やっと手当をしてもらえる。朦朧とする意識の中、ふらふらと立ち上がって女王サンに近づいた……はずだった。
記憶はない。その一瞬だけ、記憶は抜け落ちてる。
「……何をしでかしたかわかっていないようだな」
気づいたら床に転がってて、全身痛くて、痛くて。
「あの性悪に何を話した!?」
女王サンの怒鳴り声を聞くのは初めてだった。
何があっても冷静で冷たくて、誰に対しても同じ温度で対応してた。
いつだって人間味のない温度の人。それが俺が抱いてた女王サンへの印象だった。
「蛍にお前を会わせる予定もなかった、この国に連れてきたのもただ学ばせるためだと言うのに……なぜ燐灰と共にいる!? お前はなぜそうも余計なことしかしないのだ!」
顔を歪めて、口を大きく開けて飛び出してくる怒鳴り声。
怒りが抑えられなくて近くのものを手当たり次第にばんばんと俺に投げつけてくる。
どうすりゃいいんだよ。俺が何したって言うんだよ。
「お前のせいで……全てお前のせいだ!」
どすどすと音を立てて近づいてきた女王サンは俺の左目をぶん殴った。
俺の目がそんなに苛ついたかよ。そんなに気に食わなかったのかよ。
「痛ってぇ……なぁ」
威嚇するように低い声を出すと、女王サンはうるさいと声を荒らげて俺を殴り続けた。
目、鼻、顎。顔だけでは終わらず体中至る所。
元から血流してるってのに、俺はもう何も出来なかった。指一本動かすのすら辛かった。
金水さんが止めに来るまで、俺はただ一方的に殴られ続けた。
「気づいたら俺は気を失って眠ってて、起きたら目が見えてなかったんです。まさか、色まで変わってるとは思いませんでした。金水さんにも女官さん達にも何とも言われなかったんですよ? 蛍さんだけが気づいてくれましたね」
「……どうして」
「何か言いました?」
蛍さんの声は小さくて聞き取れない。
俺が聞き返しても何も言ってくれなくて不安になる。
「蛍さん?」
「どうして……どうして笑ってるのです!?」
蛍さんは目に涙を溜めてる。
「……俺が悪いんです」
「何が悪いんですか!? 翠様が何をしたかは知りませんが、何をしても失明させるなんてことが許されるわけがないでしょう!」
俺だってそう思いますよ。
失明させるなんておかしい。俺の目はもう治らない。どう足掻いたって時は戻らない。
片目が見えないことがどんなに不自由か。真っ直ぐ歩くことだって難しいし、立ち上がる時は慎重にならないと転ぶ。
普通に過ごすことすら難しいのに、凰国から帰ってきてすぐに兵の訓練に参加しろって言われた。
うまく歩けないんだよ。走るなんて自殺行為だ。
こんな体の俺が訓練なんてできるはずがない。
毎日転んでみんなの邪魔して、荷物扱いされてるだけ。
「……でも、相手は女王なんです」
俺の一言で蛍さんは黙った。
黙るしかない。俺を失明させたのはこの国で一番権力を持ってる偉い人。
蛍さんはただの寡婦。俺は異人の奴隷。
ちっぽけな存在の俺たちにできることなんて存在しない。
「私たち、なんの力もないちっぽけな存在のことなんて……王宮の人達は見えてないし考えてないのでしょうね」
「その通りです。王宮で過ごしてると嫌ってぐらい……本当に毎日実感します」
俺はただ生きてるだけ。女王サンに奴隷として買われただけ。言われてるから王宮で過ごしてるだけ。
それなのに、金眼の者なんて呼ばれて馬鹿にされて疎まれてる。
俺がお前らに何したって言うんだよ。
「……私、玉さんのことが苦手なんです」
「えっ」
「玉さんって王宮で女官なのでしょう? 翠様はよくお会いするのですか?」
あっ、えーっと、そうでしたね……あははなんて笑って誤魔化す。
そういえば女王サンは商団では玉って名乗ってて、女官として王宮にいるって設定だったな。すっかり忘れてた。
「女官は王族達に仕える。それが仕事だってわかってはいるんですけど気に食わなくて……それに、見た目のことなので玉さんは全く悪くないのですが……あの緑色の目を見るとどうしても女王様が重なってしまうのです。玉さんは女王様の妹なので、同じ色の目を持っていても何もおかしくはないのですがね」
あぁ、そうだったそうだった。もう全部すっかり綺麗に忘れ去ってた。
あの緑色の目はこの国では珍しい。血縁者ってことにしないと辻褄が合わないんだと。
「玉さんは女王様のことが大嫌いだから女王様の邪魔をしたいっていっつも楽しそうに言っておりますが……実の所、私はその言葉を信用できていないのです」
「どうしてですか?」
「……女王様と同じ血が流れてる者をどうして信用できるのです? 人間は誰でも嘘つきなのです。誰も信用できません……あっ、いえ、商団の人は別ですよ。玉さんも商団の人ですが……頭や翠様、他の人はみんな大事な仲間です!」
必死に慌てて、身振り手振りを加えて弁解する蛍さん。小さな体を忙しなく動かしてるのが、やっぱり小動物みたい。
「ふふっ」
「ちょ……もう! 翠様ってばなんに笑ってるのです!?」
いつまでもこうやって蛍さんと過ごせたら、左目のことだって思い出さなくてすむのに。
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