一章、暴君と呼ばれる女

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一章、暴君と呼ばれる女

一話  俺の景色はいつも同じだ。  太陽が出てるのか、雲で何も見えないのか、雨が降ってるのか。  天気によって見える景色は違ってるのかもしれないが、目の前にある格子のせいでいつも同じに見える。  格子の中は汚くて、その格子の中に入れられてる俺たちも汚くて、格子の外から見てる奴らは俺たちと違っていつも綺麗な格好をしてて、俺たちの世話をしてる奴らはそれなりに汚いけど、俺たちほど汚くはない。  誰がどう見ても、身分は明らかだ。  この店の連中は俺たち商品を綺麗にして売り出すこともできないらしい。このままじゃ、俺は誰にも買われずにここで飢え死にするか、それとも店の連中に好き勝手されて殺されるか。まともな選択肢は用意されてない。  必死こいて逃げてきたのに、こんな国に来てしまった自分を恨むしかない。  この国じゃ、俺は人間として扱われることはない。人間として生きることは許されない。  格子の中の奴らも外の奴らも、俺のことを獣か何かだと思ってるらしい。 「珍しい毛色の(いぬ)がいるようだな」 「旦那様はお目が高い! これはこの国からずっと北にある国の生まれで」  店の奴らはいつも同じことしか言わない。体が大きくなるから力仕事に向いている。珍しい毛色をしているから観賞用しても良いし、愛玩用でも生贄にしても良い。  とにかく俺を誰かに買ってほしい。ただそれだけだ。それ以外には何もない。 「だがなぁ……この毛色だと目立って仕方ない。それに、何よりも不吉だ」  これもいつも同じだ。  格子の外の奴らは俺の見た目が気に食わないらしい。  別になんだっていい。買われたって、買われなくたって、俺は惨めに死んでいくだけだ。  いつまでも同じ景色で、同じ汚ぇ場所で汚ぇ連中と一緒に閉じ込められて、綺麗な奴らは俺をちらっと見てはどっか行く。  何にも変わらない。  俺という名前の短くて汚くて、誰かに話して聞かせる価値もない。そんなくだらない人生。 「もし、そこのお方」  綺麗な奴らは背筋が伸びてる男が多いが、今目の前にいるのは背筋がくるっと丸まった小さい奴。声からしてババアだ。 「透き通るような肌の色をしておりますね」  格子の中を覗いてるけど、誰に声掛けてるつもりだ? 「狼のような目をしていらっしゃる。金眼(きんどう)は妖魔の目と言われているのをご存知ですか?」 「ちょっとばーさん、営業妨害するなら帰ってくれ」  営業妨害? ババアは事実を言っただけなんだろ? だからお前らはそんなに慌ててるんだ。 「営業妨害だなんてとんでもございません。私はこの金眼のお方を買い取りたいのです。商品を買いに来ただけなのに営業妨害と言われてしまうのでしょうか?」  頭巾を深く被ってるからババアの顔はよく見えない。俺を買う、ババアが言った言葉が本気かどうかを表情で読み取るのは無理らしい。 「ばーさんさ、金持ってんの?」  ババアは汚いボロ切れに身を包んでいて、奴隷を買うような身分には見えないし、金を持ってるようにも思えない。 「これでどうでしょう。多いぐらいだと思いますよ」  ババアは巾着を地面に落とす。ガチャンと金属が擦れる音がするのと同時に、巾着からいくつかの金貨が飛び出てそこかしこに散らばる。 「金眼の人を連れ帰ってもよろしいですか?」  巾着の中身を確認した奴はぽかんと口を開けて、だらしない顔で固まってる。 「お釣りは結構ですよ。皆様で美味しいご飯でも召し上がってください」  俺は乱暴に格子の外に出された。 「私の家は遠いの。来るだけで疲れてしまったから、おんぶしてくださいな」  俺がどんな格好をしてるのか見えないのか? こんなに汚い俺におんぶしろって……どうやらこのババアは頭がおかしいらしい。 「……俺、汚いけどいいんすか?」 「構いません。汚れなど後で流してしまえば良いのですから」  ババアをおんぶすると、見た目よりは重さがある。落とさないように足を手で支えているが、どうもババアの体には思えない。  しっかりと筋肉がついて引き締まっている。  見てはいないが、触った感想はそんな感じだ。 「家はどっちですか?」 「まずはここから東に進んでください」  格子が視界に入らないのなんていつぶりだろう。目の前に俺を阻むものはなく、ただ広い世界が広がっている。  いつも同じだと思ってたのに、こんなにも突然にいつもが崩れるとは。 「重くはないですか?」 「大丈夫……です」  ババアに声をかけられる度にびくりと反応してしまう。  捨てられるわけにはいかない。俺はもう格子の中には戻りたくない。ババアのご機嫌を取り続けなきゃ、俺は殺される。  俺の命の価値なんて、考える時間も惜しいぐらいに軽い。ババアが俺に飽きればすぐに殺される。 「私はね、たくさんの方々を見てきたの。だからね、自分の観察眼には自信があるのよ」 「……なんで俺を買おうと思ったんですか?」 「目が琥珀の様に美しかったから」 「こ、はく?」 「あら、琥珀を知らないの? あなたの目と同じ色のとても美しい宝石よ。虎が死んだら石になるの。その石が琥珀。あなたの目の色はそんな素敵な琥珀と同じ美しさを持っているのよ」  ババアは金眼は妖魔の目だって言ってたくせに、今は美しいと褒める。  こはくなんて石……知りたくなかった。  それに、俺の命よりずっと価値がある石のことなんて、考えるだけで苛つく。俺より価値のあるものを考えだすと、俺の価値の低さを改めて実感させられる。 「美しいって……」 「あら、何か言ったかしら?」 「あっいや……何も言ってない、です」  思ったことをすぐに言ってしまうのは直さないと。これが俺の直すべき性格、頭が悪いから何も考えないですぐに言葉が出てくるし体が動く。ババアに捨てられないために性格を変える。時間はかかるかもだけど、性格は変えられる。見た目はどうしたって変えられない。  この国では黒髪黒目で黄色がかった肌が当り前。  色素の薄い茶色の髪、この国では妖魔の目と呼ばれる金眼、そして白い肌。俺はこの国の当たり前を何も持っていない。 「そこの茂みに入ってちょうだい」  ババアに言われるがまま茂み入る。茂みって言葉の意味はあんまりわかってないが、俺が知ってる言葉で言うと森。  背の高い木が揺れてみしみし、きしきしと耳障りな音が聞こえてくる。 「っと、」  ババアは俺から下りて、背伸びをしてる。体を右左に伸ばして、手も空に伸ばして色々と体を動かしてから、こっちと短く言うと慣れた足取りでどこかに向かう。  まっすぐに伸びた背にしっかりとした足取り。  明らかにさっきまでのババアとは違う。 「早く来い」  俺がゆっくり歩いてるのが気に食わないらしい。ババアは一度だけ振り返ってそう言うと、またすぐに歩き出す。  なんなんだよ、俺今どういう状況なんだよ。どこ行くんだか知らないし、まずババアは何者なんだよ。  歩くのが早すぎるババアの後を必死について行くと、突然開けた場所につく。  滝、というにはなんだかしょぼい。岩をつたってちょろちょろと落ちる水。水が落ちる先には、思ってたよりも大きい水たまり。多分水たまり以外の言い方があるんだろうけど、俺はその言い方を知らない。 「お前も入れ。その格好ではどこにも連れて行けない」  ババアは頭巾を取って服を脱いだ。俺が目の前にいるのに、何も気にせずに躊躇なく服を脱いだ。 「ババアじゃ……ない!?」 「私がいつ年老いてると言った?」  全裸で水浴びをしてる女を直視出来ず、咄嗟に後ろを向く。何なんだよあの女。ババアじゃねぇし、それに男の前で全裸になるなんて何考えてんだよ。 「初な反応をしてくれる」  女は後ろを向いてた俺の前に突然立ちはだかり、抵抗する俺を引きずって水の中に無理やり入れる。 「……やめてください、って!」  女があまりにわけのわからんことをするから思わず手が出た。女と離れたくて思ってたより力が入った。思いっきり突き放そうとした手は女に弾かれて、そして掴まれた。俺はぴくりとも動けない。  動いたら腕が折られると本能でわかってしまう。 「相手を見定めろ。私はお前如きが敵う相手ではない」  この時、俺は初めて女の顔を見た。  黒髪に緑色に輝く目、この国の人たちより濃い肌の色に彫りの深い顔。  この女も俺と同じ、この国の生まれではない異人。 「お前の主人は今日からこの私ただ一人。それを肝に命じて生きていけ」  緑色の目はとても強く、そして気高い。女が只者ではない、そのことだけは俺にもわかる。 「今までも地獄を生きていただろうが、これより先は今までを極楽だったと思えるほど過酷な地獄になるだろう。覚悟しておけ」  突然掴まれてた腕を離されて体が自由になり、為す術もなく水の中に沈む。俺はこの先どうなるんだ? そんな不安を覚えつつ死にたくもないから仕方なく水から顔を出す。 「この先のお前の人生は全て私の一部だ」  女はそう言うと無邪気な少女のような、輝く目とあどけない笑顔を浮かべていた。
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