一章、暴君と呼ばれる女

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二話  女は俺に服をばんばん投げつけてくる。顔面に何度も当てるな、痛い。 「早く着ろ」 「……あの、俺がこれからどうなるかとかって……教えてもらえますか?」  目の前にいる女はババアだったはずなのに全然ババアじゃなかったし、俺の前で突然全裸になるし、俺のこと水の中に沈めるし、俺より小さい女のはずなのに……俺は女に全く敵いそうにない。  俺が今置かれてる状況が全く理解できない。 「いいから早く着ろ。頭巾を深く被って絶対に誰にも顔を見られるな。何があっても声を発するな。それだけを覚えて付いて来い」  丁寧な口調で教えてくれって言ってるのに、女は話す気がないらしい。  心の中ではどんな悪口でも文句でも言えるけど、言葉に出すわけにはいかない。  また格子の中に戻ってたまるか。あんなところには二度と戻らない。また売られてたまるもんか。俺はこの女の機嫌をとる。どんなことを言われたってされたって、へらへらと笑って言うこと聞いてやる。  格子の中より、このわけのわかんない女のところにいた方が逃げるのは簡単だ。  そんなことを考えながらゆっくりと服を着ようとしたら、女が遅いって股間を蹴った。  服を着てても打ったり蹴られたりしたら悶絶するほど痛いのに、間に何もない直で蹴られるのがこんなにも痛いものだと初めて知った。痛すぎて地面に倒れ込んでのたうち回ることしか出来ない。 「奴隷如きが主人を待たせるな」  女は俺のことなんか知らないと言わんばかりに歩き始める。  いや、待て。俺は今股間が痛すぎて動けない。そんな状態の俺をなぜ置いて行ける? 「……ぶっ、ころ、す」  痛みに耐えながら絞り出した声が女に届くはずもなく、いつの間にか女の姿は豆粒ほど遠くに見える。よかった、聞こえてたら殺されてた。  ……森から出てしまえば女の姿は見えなくなる。ってことは、それまでここで寝たままでいれば、あの女から離れられるはず。こんなに早く逃げられるとは思ってなかった。嬉しくてにやにやが止まらない。  それからしばらく寝たままでいると、痛みは何とか引いてくれた。そろそろ歩けるだろう。女が投げつけた服を着て、そろそろと女が消えていった方向と反対側に歩き出す。 「阿呆、少しは頭を働かせろ」  木の影から女の声が聞こえた。びくびくとしながら声のした方を向くと、腕を組んで偉そうに立っている女。あぁ、俺、死んだわ。 「次、私の言うことに逆らえば傷をつくる。覚悟しておけ」  女はそう言うと俺の腹を思いっきし殴って、倒れこもうとした俺の襟首を引っ張って引きずり始めた。  この国の人と比べたら、俺は体が大きい。体重もその分重いはず。  それなのに、女は俺を何ともない涼し気な顔で引きずり続ける。砂が足にどんどんまとわりついてくるし、たまに石が刺さって痛いし最悪。 「じ、自分で歩きますから!」  女は突然ぴたりと止まって、何の前触れもなく手を離した。何にも構えてなかった俺は為す術もなく地面に叩きつけられる。痛い。俺は今日何回痛い目に合えばいいんだ? 「早く来い」  付いて行きたくなんかない。本心はそう思っているが、女への恐怖心の方が上回る。  会ったばかりの異人の俺を水の中に沈め、股間を蹴り、腹を殴り、無理矢理引きずるおかしな女。恐怖しかない。  頭で考えるのが苦手な俺でもこの女に逆らわない方がいい、と本能でわかる。  あぁ、嫌だ、歩きたくない、目の前の女から離れたい。そんな風に思いつつも離れる勇気なんてどこにもない。  仕方なく、嫌々、とぼとぼと女の後ろを歩き続ける。 「ここからは気を張れ」 「……それって、どうい」  ぶわり、生暖かい風が頭巾をめくる。視界の半分が頭巾で隠れていたが、一 気に視界が広がる。  賑やかな町。狭い路地にまで出店が所狭しと並んでいる。粥にまんじゅう、布に紙、高そうな装飾品、あらゆる物が売られている。 「私は言ったことを守る」  慌てて頭巾を被り直して話すのもやめたが、遅かったらしい。  ごり、鈍い音が腕に響く。音だから耳で聞くはずなのに全身で聞いた。そして何かが左腕から滴る感覚、その後に痛み。今までも痛いという感情は何度も感じているが、俺が感じてきた痛みの中でも最上級の痛み。 「傷をつくる、私はそう言ったはずだ。次は頬を切りつける」  女は血のついた短剣を布で丁寧に拭いてから鞘に仕舞う。俺の下には小さい血の水溜まりが出来あがってきてる。 「先を急ぐ」  痛てぇ、血が止まらねぇ。  腕と一緒に刺された服にも穴が空いてる。見てないが、腕にもこの服と同じような穴が空いてるんだろう。  さっき響いたごりって音は、あの女が刺した短剣が骨に当たった音のかもな。あぁ、くそ、痛い、痛すぎる。痛くて何にも考えられない。  女の後を追って歩く。簡単なはずなのに、今の俺にはとてつもなく難しい。  視界がぼやけてくる。頭巾が邪魔だ。ただでさえよく見えてないのに、頭巾が視界を狭めてきやがる。  今すぐに頭巾をめくりたいところだが、次はあの女に殺されるかもしれない。あぁ、ってかもう、今すぐ死ぬかもな。  視界が、本当に、ぼやけて……。  ۞  ひやり。何か冷たいものが体に触れて目が覚めた。 「お目覚めですか? 傷の手当てはもう済んでいますが……傷の処置をせずに放っておけば死ぬかもしれません。次からはこのようなことなさらないでください! いいですね、わかりましたか?」  うっすらと開けている目には知らない女が映ってる。誰だこの女。 「……ありがとうございます」  とりあえず体を起こして女に礼を言って頭を下げる。  どうやら俺は誰か知らない人に助けてもらったらしい。多分、血を流しすぎて倒れてたんだろうな。 「ありがとう(ほたる)。その人ったら突然姿が見えたくなったから探し回ってたの」 「いえ、血を流して倒れてる人を見つけたら助けなきゃと思うものです! (ぎょく)さんの知り合いの方だったなんて思いもしませんでしたけどね」  蛍と呼ばれた明るくて人懐っこい笑顔を浮かべる俺を助けてくれたっぽい人と……椅子に座って俺を見てる玉と呼ばれた女……無性に殺してやりたい。 「入るよ。おやっ、目を覚ましたようね。蛍、ありがとう」 「(かしら)、この方は新しく商団に入られる方ですか?」  新しく入ってきた女、頭と呼ばれたがここは何かの集まりか? だとしたら、この中で一番偉いのは頭って呼ばれた女なんだろう。 「玉に頼んで連れてきてもらった王宮の方だよ。人に見られないようにと念入りに言っておいたはずなんだけど、蛍には見られちまったようだね」 「では、この方のことは誰にも言わないのでご安心してください。というか、私のこと信用してくれてないんですか? この商団の一員なのですから、頭に言われたことはなんでも聞きますよ。頭の部下なのですから」 「それは助かる。この方のことはここにいる私たち三人の秘密だ。よろしく頼むよ、蛍、玉」 「はい!」  蛍と呼ばれた女は元気に返事をすると律儀にお辞儀をして部屋から出ていく。その瞬間、空気が一変する。鈍感な俺でもすぐにわかるぐらい、本当にがらりと空気が変わった。 「蛍のことは心配いりません。私にお任せ下さい」 「初めからそのつもりだ」  頭と呼ばれていた女が一番偉いのかと思っていたが、玉と呼ばれた暴力女、どうやらこいつの方が偉いらしい。 「三日後までにこいつにこの国のことを教えろ」 「わかりました。その後はどう致しましょう」 「蛍と共に途中まで向かわせろ。迎えはやらない。後はこいつだけで来させる」 「かしこまりました」  女が椅子から立ち上がると、頭と呼ばれていた女は腰を曲げて頭を下げる。尻を向けないように女に合わせて体を動かす。 「あぁ、お前は今日から(すい)と名乗れ」  俺の存在なんて無視してた暴力女が、突然俺に話しかけてくる。 「……もし、俺に名乗る名前があったら、その名前を捨てろってことですか?」  この女の言うことに素直に従わなかったら、捨てられるかもしれないし、また酷い目に合うかもしれない。そんなことはわかってる。わかりきってはいるが、なんか言ってやらないと気が済まない。 「お前のような奴隷如きに、名前などという贅沢品があるとは思えない」  名前が贅沢品と言われる……か。まぁ、それもそうだ。俺たち奴隷に名前なんて必要ない。 「もし、お前がそんな贅沢品を持っていようが、それは捨てろ。お前の全ては私の一部だと言ったはずだ」 女はそう言うとすぐに部屋を出て行った。
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