一章、暴君と呼ばれる女

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五話  がばっと勢いよく体を起こすと、ぐきりと音が響く。今のは俺の体から出た音だろう。腰が痛い。 「おはようございます、翠様」 「……あっ、はい!」  暴力女が無理矢理名付けた翠って名前、全く慣れない。呼ばれても反応するまでに少し遅れてしまう。 「初めまして翠様。私は女王様に仕える女官長をしております、(らん)と名乗る者。よろしくお願い致します。ではさっそく」  藍さんとやらが後ろの人たちを見た瞬間、静かに立っていただけの人達が一斉に動いて俺の周りを囲む。  俺は抵抗する時間も与えられず、されるがままに建物から出されて、されるがままに服を脱がされ、そして頭から水を被らされる。なんだこれ。 「私たち女官は王族に仕える身ですが、女王様の命により、本日から翠様にも仕えるさせて頂きます。何かございましたら、すぐにお呼びくださいませ」  俺はごしごしと濡れた体を拭かれたまま身動きができない。そんな状態の俺に藍さんは深々と頭を下げる。 「男の俺の世話をここにいる女の人達がするんですか?」 「はい」  今現在進行形で世話をされてるのにおかしなことを聞いてしまった。 「俺、男ですし、異人ですし、そもそも奴隷なんですよ? あなた方より明らかに俺の方が身分が低いんです。それでいいんですか?」 「私たちに意思などございません。女王様が仰られたことに従うだけにございます」  俺は今全裸だ。男の全裸など見たくないだろうし、触りたくもないはず。  それにこの国では身分が何よりも大事にされる。女官という人たちがどのぐらいの身分なのかは知らないが、異人で奴隷の俺より低いはずがない。  そんな俺に仕えさせられる。きっとみんな、あの暴力女のことを恨めしく思ってるんだろう。 「では、女王様がお呼びですのでご案内致します」  綺麗にされた体に綺麗な服を着せられて、言われた通りに案内される。  ほんの数日前の格子を眺めては恨めしく思ってた俺が、まさかこんな場所でこんなに綺麗な服を着れるなんて。誰も思ってなかった。誰も予想できなかった。 「思っていたよりは様になっている」  案内された部屋の奥、真ん中に置かれた……なんかよくわからない物。布でできてるんだろう、それぐらいは俺にもわかる。けど、名前はわからない。  そんなよくわからない物に偉そうに座ってる暴力女。その前には色とりどりの皿に見たこともない食べ物たちがのせられてる。  美味そう、思わずよだれが垂れそうになる。 「着いた途端に床で眠るなど、許されることではない」  暴力女の左側、俺は硬い床に正座させられてる。暴力女はなんかよくわかんない綺麗な布に座ってるのに、なんで俺は床なんだよ。 「金水から聞いているだろう」 「……どのことですかね? えぇっと、あ、玉座の上の娼婦ってのは覚えてます」  格子の中に戻ってたまるか。この女のご機嫌をとって隙を見て逃げ出す。  いつか逃げ出すために俺はこの女のところにいる。こんな女と一緒にいるなんて無理に決まってる。いつかは逃げ出せるから、その日までは我慢してご機嫌をとる。  そう思ってたから頑張れてたけど、王宮のこんな奥にいて逃げ出せるわけがない。馬鹿な俺でもわかる。  もういい、無理だ。わけわかんない暴力女の言いなりになるぐらいなら格子の中に戻ってやる。殺されたっていい。  なんでも思ったことをそのままこのくそ女に言ってやる。 「藍、席を外せ」 「かしこまりました」  藍さんは女官たちをぞろぞろと連れて部屋を出る。直後、鈍い光が一瞬見えた。そして俺は着たばかりの高そうな服に血を垂らしてた。 「躾がいのある狗だと思っていたが、私が思っていたよりも愚かな狗らしい」  痛い。右頬から流れる血を必死に拭きながら、服の裾で傷を強く押す。止血しなきゃ、また血が足りなくなって倒れそうだ。  暴力女は立ち上がったかと思うと、俺の後ろに転がる短剣を拾い上げる。あの短剣は俺の左腕に刺さってたやつだ。俺はあの短剣に何ヶ所刺されればいいんだ。 「あんたさ、何がしたいんだよ。俺をぼこすか殴って、物みたいに扱って、左腕と右頬に短剣ぶっ刺して、仕舞いにゃあお前を殺せだの俺も殺されろだの。何がしたいか全くわかんねぇ」 「お前の意見など関係ない。どう感じようが、それは私には関係の無いこと。お前は私の一部、何も言うことなく静かに大人しく私に従え」 従え、従え、従え。 暴力女は馬鹿の一つ覚えみたいに同じ言葉ばっかり言いやがる。 「……女王サンさ、あんたのことなんて、俺が殺さずとも誰かに殺されるんじゃねーの?」 「確かに、私に恨みを持つ者など数え切れぬほどいるだろう。が、私はそこらの者に殺される弱者ではない。いつでも私は奪う者。強者なのだ」  自信満々に、誇らしげな顔で自分を強者という女。こんな女が治めるこの国は破滅の道を辿るしかないだろう。  まぁ、俺はこの国の行く末なんてどうでもいい。これっぽっちも興味ない。 「藍たち女官にはお前に従うように言ってある。何かあったら使え」 「……使うってなんにだよ」 「好きにしろ。血は違えど私が迎えたのだから、お前の扱いは王族となる。王族として困ることがあれば使え。日々の世話、性処理、身代わり、なんに使っても罪を問うことはしない」  つまり、あれだ。暴力女は人の命の重さに違いがあると言いたいんだろう。  確かにそうだ。その通りだ。  俺みたいな異人で奴隷の命の重さは軽い。思ってる以上に軽い。鳥の羽ぐらいの重さしかない。  王族に仕える人たちの重さはわからないが、女王サンたち王族と比べたら軽い、そういうことだ。  鳥の羽ぐらいの重さしかなかった俺の命は、王族と同等になった。らしい。 「んなこと、女王って呼ばれてる人がよく言えるな」 「当たり前のこと。世の中の常識を言ったつもりだが、何か気になるようだな」 「あぁ、そりゃそうだろうよ。俺の命が軽いのはわかってる。そのことについては言いたい文句がたくさんある。けどさ、お前らみたいなくそな連中と同じ命の重さにはなりたくない」  言い終わってすっきりとした笑顔で暴力女を見ると、暴力女もにっこり笑って汁物を俺の顔にかける。 「あっつ!」  あっつ、え、いや、熱い、痛い。 「学べ、頭のない狗」  さっきまで綺麗だった服は、血だらけになって今ので汁だらけになった。誰もこの服がほんのちょっと前まで綺麗だったとは思えないような、そんな状態。  顔を強く拭きすぎたみたいで、傷から止まってた血がまた流れ出す。 「あのさぁ! お前は俺にどうして欲しいんだよ!」 「大人しく従う賢い狗になれ。先ほどからそう言ってる」 「あっそ。なら、俺絶対無理だから捨てるなりなんなりしたら? 女王サンと俺、相性最悪みたいだし」  無理だ。出会って十日も経ってないけど確信した。こんな暴力的でくそみたいな女と一緒にいるなんて俺には無理。  何言ってんのか理解できないし、求められてることもできる気がしない。ぼこすか殴られるのだって気に食わないし、短剣で刺されるとかありえないだろ。  奴隷なのは気に食わない。なんでなんだよってずっと思ってた。  もし、俺が奴隷じゃなくなったら。奴隷以外の生き方ができるなら。そんなことを考えた夜は数え切れない。そんな夢を毎日見てた。  実際、女王サンが俺を買った時、格子が見えなくなっただけで引くぐらい嬉しかった。本当に、とてつもなく、この世界と神様とやらに感謝した。  けど、蓋を開ければこれだ。  王になれだとか、暴力女を殺せとか、殺されろとか。わけがわからん。 「それでいい。お前は私を恨み続けろ。さすれば、私を殺す時も未練なく容易く殺せる」 「……じゃあ、俺は今、あんたを殺したい」 「今は死ぬ時期ではない」 「女王サンが死ぬのに時期があんの? んなの知らないんだけど、俺は、今、無性に、あんたを殺してやりたい」  暴力女から無理矢理短剣を奪う。そんなに殺されたいなら今すぐ殺されろ。大人しく死ね。  恨み辛みを込めて短剣を暴力女に振り下ろす。 「学べ、同じ言葉を何度も言わせるな」  短剣を持ってる右手を払われ、足を引っ掛けられて地面に転がされる。  あっ、右手首が痛い。じんじんする。こりゃ、あれだ、多分骨折れた。
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