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4.勇者くん。
どんなに拭っても、涙が後から後から止めどなく流れていく。
「……母ちゃん…父ちゃん……グスッ」
だだっ広い部屋の、だだっ広いベッドの端にちょこんと座って、彼は泣き続ける。
母親と森に木の実や果物を探しに行った。思った以上に沢山取れて、家で待ってる父親や妹達は喜んでくれるだろうと、母親と話しながら帰るさなかそれは現れた。
圧倒的な大きさ。ただ呼吸しているだけなのに、その息で吹き飛ばされると感じるほどの圧力。絶対的な捕食者。
まるで撫でようとするかのように、それはゆっくりと手を差し伸べてきた。ただ動けずそれをじっと見ていると、母親が自分に覆い被さってきた。
ばっと目の前に広がる赤。投げ出される彩り。全てが一瞬で永遠とも思えた。ぐったりとした母親の重みに喘いでいたら、ふっと母親が離れ息がしやすくなった。顔を上げると立ち上がった母親の肩に何かが乗っていた。そして、そこから流れた赤が自分に降り注ぐ。
「……逃げ……て」
流れ続ける赤をただ見ていた彼に、ようやく聞き取れた小さく震える声。母親がゆらりと揺れた。
それが母親を襲い、肩に喰いつき引きずり連れて行く。
その事実をようやく理解した時、体中が燃えるように熱くなった。そして体の奥、自分でも分からないずっと奥から湧き上がる何か。
その何かは抑えきれない怒りになり、爆発的な力となった。
その後は良く覚えてない。気が付いたらそれが足下に横たわっており、顔の半分がぐしゃぐしゃで胸に穴があいていた。そして、傍に倒れていた母親を抱き起こそうとしたら、自分の両手が真っ赤で驚いた。
それでも、動けない母親をなんとか担ぎ村まで帰った。
辛うじて意識のあった母親が、彼が救ってくれたと話し、ちょっとした騒ぎになった。彼があまりにも子供だったから。
あれが『キングベア』と呼ばれる恐ろしい魔獣で、子供一人ではもちろん、大人の冒険者や兵士が何十人もいないと倒せないと後から知った。
瞬く間に彼の噂は村中に、町中に、ついには国中に流れ、とうとう王都から役人が彼を迎えに来た。母親は泣いて嫌がったし、父親は断り続けた。だけど、彼は無理やりに連れ攫われた。
王の命令には逆らえば、家族はおろか村人全員が殺されると脅されて。
そして、王都で変な剣を持てと言われて持ってみた。彼の背丈くらいあった剣だったが、意外に軽く何故か手にしっくりきた。すると周りが彼の事を『勇者』と呼び騒ぎ出した。
そして告げられる。
『お前はこれから『勇者』として、『魔王』を倒しに行くのだ』
と。だから、もう村には帰さないと。そして、閉じ込められた。窓には鉄格子がはめられ、ドアの前には武器を持った見張りの兵が立っている。
何でこんな事に。自分はただ母親を助けたかっただけなのに。『ゆうなんとか』とか『まーなんとか』なんかどうでもいい。
帰りたい。みんなに会いたい。
---ただ、それだけだった。
「ははっ、マジで子供じゃねぇか」
不意に声が降ってくる。顔を上げると傍に男が立っていた。髪が真っ黒で、着ている服も黒いから、まるで『夜』みたいだなぁと思った。
「お兄さん…だれ?」
「ん?俺?『魔王』だよ」
「…ま、おう?」
「そう、『魔王』!」
どこかで聞いたなぁと考えていたら、名乗った青年がにかっと笑った。真っ黒い中に真っ白な歯が浮かび上がり、何故だかそれだけで安心できた。だから、彼もニコッと笑う。
「こんばんは。魔王さん。ボクは『トトル』って言います」
相手が名乗ったら自分も名乗る。挨拶の基本だと教えられたから。涙を拭い、ベッドから降りて手を差し出した。
「くはっ!マジか!俺に握手とか。トトル君、マジっアグレッシブ!!」
青年の言葉は、半分以上彼には理解できなかったが、青年は何故か嬉しそうに手を握り返してきた。
「は~、マジでヤバい!今なら俺、いい人モード発動出来ちゃうわ~」
「…も、もうど?…って、あの?」
「あのさ、今、この国から兵士がトトル君の村に向かってんだよね」
「…え?」
「多分、村を襲って『魔王』の仕業にして、トトル君のやる気?を引き出すつもりじゃねぇのかな?」
「!」
そういえば、訓練を嫌がり泣いてばかりの彼に、この部屋に閉じ込めた男が言っていた。
『早く強くならないと『魔王』がお前の村を襲っても助けられないぞ!』と。
だけど、どうしてこの青年はその事を知っているのか…彼は不思議に思う。
「…で、でも…そんな。なんで…?」
「なんで俺が知ってるか…か?」
こくりと頷く。怖い。…でも、知らなくては。
「俺もされたんだ。同じ事をさ」
「………っ!」
「勝手に連れて来られて、めっちゃ命令されてよ?訳分かんねぇし腹が立って無視したら、こっちで出来た大切な人達が襲われた」
ドクンと心臓から嫌な音がした。じわじわと得体の知れない恐怖が足下から這い上がってくる気がして、彼はぶるりと震えた。立ってる事が辛くふらりとしたら、青年が優しく抱きしめてくれた。迷わず抱きつく。青年は何故か爽やかな森林の薫りがした。
青年の服をぎゅっと掴み、見上げると静かに見下ろす青年と目が合った。薄暗い部屋では瞳の色はよく分からないけど、優しい眼差しをしてるのはわかった。
そういえば、この青年は自分の事を『魔王』だと言っていたが、本当にこの人が、皆が言っていた『魔王』と同じなんだろうか?と、彼は不思議に思っていた。
「どうする?」
「…え?…どうって…?」
「俺、今いい人モードに入ってるから、トトル君のお願い聞いてあげちゃうけど?」
そう話す青年はとても楽しそうだ。さっきまで得体の知れない怖さに震えていた体が、気が付けば温かさに包まれている。だから、するりと本音が出てきた。
「…うちに帰りたい。みんなに会いたい」
「いいぜ、村に連れてってやるよ」
にかっと笑った青年が、頭をガシガシ撫でまわしてきた。何だかドキドキする。
「で、でもね、まどからはむりだよ?鉄のぼうがささってるから。それに、ドアの前にはこわい人が長いやりを持ってみはってるの」
「あ、そう?なら…」
ひょいっと青年に抱え上げられる。そうするとお互いの顔が近付き、その瞳がよく見えた。
「目の色も黒なんだね」
「そうだよ。この世界じゃ珍しいみたいだけどな」
「うん。とてもキレイ」
「………」
「夜みたい」
「くはっ!いいね!実にいいっ!トトル君最高だわ!気に入っちゃったわ~俺」
ぐんっと体が持ち上がる衝撃に、咄嗟に彼は目を瞑る。ふっと肌に風を感じて目を開ければ、何故か外で宙に浮いていた。
足下には屋敷が見え、少し顔を上げれば下の方に見える薄いまばらな色。遠くには山らしきものが見えた。
宙に浮いてるのに、青年の体温を感じるせいか、不思議と怖くはなかった。
「怖かったらしっかり捕まってな。なるべくゆっくり飛んでやっから」
「…すごい…すごいね!魔王さん!」
「はっ、大丈夫そうだな。マジっぱねぇわ、トトル君は。
本当はワープのが早いけど、一応見といて欲しいから空から行くな」
「(わぁぷ?)…見るって…なにを?」
「この世界のクズっぷりさ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
足下の遙か下に、大群が蠢いてる。
ここに来るまでに青年は、空から王都を。そこから彼の村を見せてくれた。
そして、また王都に向かう途中でその大群を見つけた。
確実にその大群は村に向かっている。
「おぉー、こりゃあスゲぇ。予感的中!何百年経っても、やるこたぁ一緒って!逆に尊敬するクソ遺伝子だわ~、あの王族達」
青年は何が面白いのか笑いっぱなしだが、彼は青年にしがみつく事しか出来なかった。
小さな小さな村だ。村人全てが顔見知りで、助け合いながら家族のように暮らしている。
「…これ、ぜ…全部、村に行く…の?」
知らず彼の声は震える。大群の全てが鎧を着て、手には村では見た事のない武器を持ってる。そんな大群が村に?
「そうだよ。確実に、一人も残さず、綺麗さっぱりに刈り取るつもりだな。誰も知らない、知らせない。ここは『魔王』に攻められた不幸な村として皆の記憶に残す」
「…で、でも…『魔王』さんはここにいるのに…」
「うん。だけど、それを知ってるのは、ここに居るトトル君だけだからな」
「………そんなっ!じゃあ…」
どうすれば良いのか。このままここで見てるだけなんて出来ない。だけど自分が教えて皆で逃げる時間があるのか…彼は一生懸命考える。
だけど何も思いつかないまま、不安はすぐに全身に回り、視界がぼやけてくる。青年が優しく目元に触れると少し視界がひらけた。
「んじゃ、ちょっとした取引を俺としてみるか?」
窺うように覗き込んでくる顔が、にかっと笑った。どうもこの青年のこの笑顔には、安心させる何かがあるようで、彼はすぐに落ち着く事ができた。
「取引って、ボクなにもできないよ?」
「い~や?トトル君にしか出来ない事なんだなぁ、これが」
「?」
「実はさ、俺。人間の魂がたくさん必要なわけよ。そりゃ、うーんとたくさん、な。
で、その魂があると、知り合いの死にかけちゃってるエロ爺さんが長生きできちゃうわけよ。だから、あの大群は好都合なんだわ~」
「…そっか。そのおじいさんは、魔王さんの大切な人なんだね」
「んー?なんでそう思うわけ?」
「だって。魔王さん、目がやさしかったよ」
「…………優しい?俺が?」
「うん!」
「………」
「?」
「くはっ!マジかっ!!俺にそんな事言うヤツ初めてだわ~。っぱないわ~。さすが『勇者』様ってか?」
「??」
上機嫌な青年は、空に浮いてるままクルクル回りだした。
「わっ、わわ!ま、魔王さん、目が回るよ~」
「大丈夫!離しはしない!よーし。なら、ちゃちゃっと取引しちゃうおっか?」
「あ!そうだ、取引!ボクはどうすればいいの?」
「うん。俺があの大群を始末する代わりに、トトル君には『勇者』をやめて欲しい」
「………え!それだけ?」
「それだけ」
「……………。ボクが『勇者』になっちゃうと魔王さんはどうなるの?」
「確実に死ぬな」
「そんなっ!!やだ、やだよっ!じゃあ、やめる!絶対『勇者』なんてやらないよっ!!」
「くはっ!やべぇわ、トトル君!めっちゃ滾るわ、それ!既に犯罪者気分だし!最高だわ~」
青年はにかっと笑った。それはそれは嬉しそうに。だから、彼も嬉しくなった。少しの間、二人はくるくる回って笑い合った。
「さ~て、しばらくトトル君には眠っててもらおうかな」
「……で、でも…」
「大丈夫。次に目が覚めたら、全部終わってっから安心しな」
青年の手のひらに瞳が覆われると、彼の意識はゆっくり遠ざかった。自分に寄りかかるように眠ってしまった彼を青年はそっと抱きしめ、そして、足下の遙か下を進む大群を見やる。
「いいね!実にいいっ!!もともと、ありもしない良心だったけどさ。たとえ僅かにあったとしても、ち~っとも痛まない光景だわ~。うん!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そこにあったのは、絶対的で圧倒的な蹂躙だった。誰一人、自分に起こった事を認識できないまま、無と化した。
後に残ったのは、そこまで続いていた無数の足跡だけ。それ以外は、何一つ痕跡がなく、三百もの大群がまるで最初から存在しないかのように消え去った。
後から、その者達を探しに来た百の大群も消え、王都が慌ただしくなった頃、王族やその親族、王宮に勤めた人々が消え始め、ついには王城が一晩で消えた。その不可解な出来事に怯えた民衆は王都から離れ、王都は機能を失い、やがて歴史から消える事となった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「うわっ!出たーっ!頼むっトトル!」
「はいはいっと!」
村人を今にも襲わんとする狼の群れの前に躍り出る。すっかり手に馴染んだ『それ』を、横に滑らすように振り抜くと、僅かな抵抗を感じた時には終わっていた。
「うわ~、呆気ない…」
「あの数が一瞬って…」
「あ~、咄嗟に斬っちゃったけど…。首を狙えば毛皮がキレイに取れたのになぁ、失敗した」
そう言いながら、彼は『それ』に付いた血を一振りして吹き飛ばすと鞘に収めた。初めて見た時は、自分の背丈と同じ長さだったのに、今では彼の背丈の半分くらいの使い易い長さになっていた。
「しかし、トトルが護衛してくれるようになって、森の奥にまで来られるから嬉しいよ」
「ああ、この辺は果樹や木の実の食材が豊富だが、獣や魔獣が多いから怖くて来られなかったからな。本当に助かってるよ。ありがとな、トトル」
「いやいや、皆さんのおかげでボクも美味しいもの食べれるし、こちらこそ感謝ですよ」
村人達はそんな話をしながら、驚いて投げ出した荷物を拾い集めるために動き出したので、彼も自分に馴染んだ『それ』を腰に収め手伝う事にした。
「あれから、もう十年かぁ…」
「ん?なんか言ったか、トトル?」
「ううん、何でもないよ」
十年前のあの日、彼が自宅で目を覚ますと、本当に全てが終わっていた。あの大群は待てど暮らせど来なかったし、再び王都に連れて行かれる事もなかった。
そして、しばらくして、王都に大変な事が起きたらしいと村人達が騒いでる時に、青年がふらりと村にやって来て
「トトル君、これ君のだから持ってなよ」
と、王都で触った『剣』を渡された。
「これ、ボクのじゃないよ?」
「あー、まぁそうなんだが。一応、代々?の『勇者』様に受け継がれてるものみたいだからさ」
「っ!ボク『勇者』やらないって言った!」
「くはっ!それな!
けどよ、お母さん達を守るのには必要だと思うわけよ?どーせ、持ってたヤツらはもう欠片も存在しねぇし?もらっちゃって大丈夫だからさ」
「………」
「んじゃあな、トトル君」
彼に剣を渡すと、青年はあっさりと踵を返す。
「ま、待って、魔王さん!」
「ん~?」
「…また、会える?」
「………」
「………」
「…なんで?」
「…会いたい、し。もっと…もっといっぱいお話したい!………から」
「………」
「……魔王さん、だめ…?」
「……マジか…。計算じゃないとこがあざといわ~」
「?」
「…しかし、嫌じゃない!ってか、既に滾ってる自分に驚くわ~、うん」
「えっと?…それは、…だめって事ですか?」
「いや、むしろオッケーカモン!って感じなんだけどな」
「??」
「でも、さすがに今のままはマズいっしょ?流血させてパーンてさせる自信あるし」
「???」
「だからさ、トトル君がもちっと大人になって、それでも俺と話したいって思ってたら会いに来るよ」
絶望した。だって彼は今は子供で、大人になるにはまだまだ時間がかかるからだ。
(どうして今のままではダメなんだろう?魔王さんは本当は子供が嫌いなのかな?)
悲しくて涙が滲む。だけど、泣いたらもっと子供と思われる。だから、彼は歯を食いしばった。
「…わかりました。ボ、ボク、待ってます。だからっ絶対!会いに来てね?約束だからね!」
「くはっ!やべぇ!もう待たなくてもいいかって気にさせやがる!とんでもねぇ魔性っ子だわ~」
「????」
「ま、うん。『約束』…か。なるほど。いいね!実にいいっ!!よしっ、『約束』しよっか!」
「はいっ!」
青年はにかっと笑った。そして、その笑顔は、忘れられない想いと共にずっと心に燻り続けながら、その後の彼を縛り続けたのだった。
(もう、大人だと自分では思うけど、まだダメなのかな?)
そう思うと落ち込むけれど。希望はまだある。だって、自分はやっぱり魔王さんと話したい気持ちがあるし、あの時の想いの正体も、はっきりと自覚出来てるくらいには大人に近付いてると思うから。
彼はその想いを胸に秘め、これからも待ち続けるつもりだ。しかも、会えたら必ず伝えようと密かに燃えてもいたのだった。
そして、彼の願いは近いうちに叶うのだが、それはまた別のお話。
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