第九章 あなたにここにいて欲しい 1

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「妹尾の要求ってのがよ、それの感想が欲しいってヤツでよ」  うん……軽く意味が分からないな。俺はベビードールを握り締めたまま凝視していた。 「新作を着てどうだって」  どうだ? どうだってなんだ!? 「妹尾が着て橋下さんが感想を言うンすか?」 「だな」橋下さんは「煙草吸うぞ」とひと言呟いて、紙巻きの煙草に火を点けた。橋下さんはずっと赤のLARKだ。それ以外の煙草を吸ってるのを見たことはない。すぐに燻ったような匂いがしてきた。 「ああ、こういうのって安くはなかったりしますよね。それを橋下さんに買ってくれ、と」 「テメエ、俺の話を聞いてたか?」橋下さんは眉間に皺を寄せた。 「基本、妹尾が買って持ってくる。それに着替えて、俺がいちいち感想を言うってヤツだ。まあ、たまには買ってやったけどな」 「妹尾のベビードールのファッションショーってヤツっすか?」 「まあ、そうだな」 「橋下さんはちゃんと感想言ってたんすか?」 「そりゃそうよ」 「例えば?」 「そうだな、『その緑はもっと淡い色の方がいい』とか『もっとフリルは抑え目の方がいい』とかな」 「意外にちゃんとしてる」 「当たり前だろ」  というかその強面の真顔で感想を言ってるとか想像しづらいけどな。  俺はそのベビードールを広げてかざした。妹尾はこういうのを着る趣味があったんだな。なんだか想像できないけど。 「──妹尾って女装の趣味があったンすか?」 「女装の趣味はねえって言ってたぞ。なんならワンピースとか買ってやろうかって言ったら、そういう趣味はないって言ってたからな」 「じゃあ下着だけっすかね?」確かそういう性癖があるって聞いたことがある。女性物の下着を身につけるのが好きだって癖。 「うーん、どうだろうな。普段は普通のを履いてるみてえな話だったけどな。まあ、そりゃそうだろう。刑事なんて突然の泊まりだってあるんだろうし。だからこうやってホテルに来る時しか着ねえって言ってたな。ついでに下着っつーか〈ベビードール〉にしか興味なかったからな。ブラジャーとかはしねえって」  そうなんだ。ずいぶん細分化された性癖だな。  俺は包みに触れるとまだ何か入っているような感触がした。ベビードールを汚さないようにテーブル置くと、包みを覗いた。中から取り出す。 「パパパパンティとガーター!?」 「バカか。〈ベビードール〉っていえばそれもセットだろうが」橋下さんは慌てる俺を尻目に、ゆっくりと煙草のけむりを吐き出した。 「せせせ妹尾はセットで着るンすか!?」 「当たりめえだろうが」  どうしてそんなに冷静なんだろうな? 俺だけさっきから驚いてるし。 「一回で何着くらい持ってくるんですか?」 「まあ、会える時間の間が空いた時は五着とかだな」 「妹尾が着替えるのを待ってるんですか?」 「まあ。酒飲みながら待ってるかな。別にそんな気にならなかったし」 「──それから大事な話になる?」 「ならねえわ。別に取り立てて欲しい情報を持ってるわけじゃねえし」  俺は首をひねった。なんというかそういうのって、情報のやり取りをするために会うんじゃねえの? 「まあ、俺も妹尾が色白ぽっちゃりじゃなかったら、ここまで付き合わなかったかもな」  橋下さんは煙草を灰皿に押し付けて、大きく伸びをした。 「色白、ぽっちゃり……」それは女性を表すカテゴリーに入るんじゃねえの? それとも今はそんなこと気にしない時代なのか? 「俺はガリガリが苦手なんだわ。妹尾くらいが限度」限度? どっちの? 「ちなみに俺は?」 「テメエはガリガリだろうが。もしテメエから頼まれても断るわ」  うん? ちなみに俺はそんなにガリガリではない。そりゃ龍神会の方々に比べたら、若干筋肉量は落ちるだろうけど。 「おい、そんなことより膝かせや。そんで一時間経ったら起こせ」  橋下さんはそう言うとソファに横になり、俺の太ももに頭を乗せた。もうすでに目を閉じていた。うっすらとクマがついていた。ここのところ忙しかったんだろう。 「やっぱ、硬てえなあ」  すいませんねッ! どうせ硬いっすよ! だったらこんな小さなソファじゃなくて、大きなベッドで寝ればいいのに。そう言おうと思って下を向くと、橋下さんはすでに気持ちよさそうな寝息を立てていた。
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