第九章 あなたにここにいて欲しい 1

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 俺は再びベビードールを広げた。  妹尾がこういうのを着て、橋下さんに見せていた? 見せるだけだったんだろうか? 橋下さんの話ぶりからすれば、そういうことなんだろう。  話が混乱している。少し整理しよう。  妹尾は橋下さんにお互いに情報提供することを持ち掛けた。妹尾が情報提供する時の報酬は、自分のベビードール姿の感想。感想ってのも不思議な話だけど、自分の趣味について誰かと共有したいっていうのは何となく分かる。そういえば橋下さんの報酬はなんだ? いま聞いた感じだといろいろ情報提供してもらってるから、たまには提供しとくかみたいなふうにしか聞こえなかった。確かにそれなら報酬はいらないだろう。それって〈エス〉とかいう関係だろうか。どちらかというと〈趣味友〉の域じゃなかろうか。それにこの感じだと橋下さんは、妹尾に時々ベビードールを買ってあげてたことになる。橋下さんは妹尾のベビードール姿を嫌々見てたわけじゃなさそうだし。  だったら……俺が棺にこれを入れに行ってあげてもいいのかもしれない。橋下さんが妹尾の葬式に行くことは出来ない。仲のよかった友人の葬式に俺が代わりに行く。それならこの依頼は引き受けるべきだろうな。  俺はベビードールを丁寧に畳んで、もとのように包みに戻した。  気がついてなかったが俺もずいぶん妹尾に世話になっているようだったし。  ニュースで妹尾の死を聞いて以来、なんとなく落ち着かない気持ちではいた。何もしないでいいのか。ずっと頭の中にはあった。葬式に出たらその気持ちも少しは晴れるかもしれない。  一時間経って橋下さんを起こす。橋下さんは眠そうな目を擦りながら起き上がった。なんだかだいぶ疲れているようだった。  起き上がってぼんやり煙草を吸っていたので、コーヒーを淹れてあげた。橋下さんは黙ってそれを飲んでいた。 「そういや告別式ってどこでやるんですか?」  俺は必要なことを聞いておこうと話しかけた。橋下さんは二本目の煙草に火をつけながら、久保山の葬儀場の名前を呟いた。時間は午後二時から。場所はあとで確認しておこう。  そしていったん煙草を置くと、上着の内ポケットから封筒を取り出した。 「これ持ってけ」そう言って俺に差し出した。香典袋だった。俺はそれを受け取った。  うん? 妙に重たいのだが。 「すいません。中って確認してもいいですか?」  俺がそう聞くと、すでに上着に袖を通していた橋下さんは頷いた。  中を確認すると何枚も札が見えた。慌てて取り出す。 「俺が持ってくのに十万とかないっすから!」俺は中の封筒から札を取り出して、橋下さんに突き返した。 「俺と妹尾の仲なら五千円とかそんなモンすよ」  俺がそう言うと橋下さんはあからさまに眉間に皺を寄せた。 「五千円とかあり得ねえわ」 「そりゃ橋下さんと妹尾の仲ならそうなのかもしれないっすけど、持ってくのは俺っすよ? こんな持って行ったら逆に怪しまれますって」  橋下さんは渋々そこから一万円を俺に差し出した。 「じゃあ一万は中に入れていけ」そう言って俺に差し出した。まあ、一万くらいならなくはないか。 「で、こっちの残りは今回の依頼料な」そして残りの札を再び俺に差し出した。  どこに葬式に出る依頼で九万も貰う奴がいるんだよ。相場がバグり過ぎだ。  俺はそこからさらに一万円引き抜くと、残りは受け取らなかった。 「一万で引き受けます」 「テメエ舐めてんのか、コラ?」  何故か橋下さんは俺に凄んできた。なんでだよ!? 「俺のことバカにしてンのか?」 「なんでですか! 普通ですよ! 特に力仕事でもねえし、一日拘束されてるわけでもねえし。半日でしょ?」 「うるせえ! 黙って受け取れ!」  橋下さんは何故か俺の胸ぐらを掴んで、札を押し付けてきた。 「若頭に顔向けできねえだろうが」  どうしてそこで早川さんが出てくるんだよ?  俺は渋々受け取った。別に早川さんに今日の稼ぎなんて報告はしていない。なぜこんなに多く渡そうとするんだろうか。  俺は上着を着て、立ち上がる橋下さんを見た。いつもと変わらなく見えたけど、やっぱりなんだかどこか疲れているように見えた。もしかしたら妹尾が殺されて、橋下さんだって俺のように何か胸につかえてるものがあるのかもしれない。いや、きっと俺以上にそうなんだろう。  俺は頭を下げて、札を仕舞った。
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