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「当時の黒崎はそう──言いたかねえけど、テメエみたいな刑事だったよ。いや、もう少し柔軟だったか」
橋下さんはゆっくりと話を始めた。
「真っ直ぐにぶつかってくる刑事だった。テメエよりは愛想はよかったな。まあ、今はそういう時代だって言われれば仕方ないのかもしれねえけど。黒崎は妹尾の先輩だった。横浜のあの部署には長かったんじゃねえかな。昔の話だ。長くなると必然的に俺たちと距離が近くなる。それもあって会えば無駄口を叩くような間柄にはなってたな」
確かに懐に入っていかなければ、情報は得られない。そのせいか取り込まれる者も少なくないと聞いたことがある。
「黒崎の娘は重い心臓病を患っててな、アメリカだかどこだかで手術しなきゃならねえっていうのよ。それでどうやらウチからカネを借りたらしくてな。それ以来ウチに情報を流すようになった」
橋下さんは言葉を切った。黒崎の娘って……もしかして今日の喪主だった女性だろうか。
「それがウチとの取引だからな。仕方ねえだろ? だが問題はそれが藤原組にもバレた。それで黒崎はそれをネタに脅されて藤原組にも情報を流すようになった。いろいろ板挟みになったのか、それとも良心の呵責に耐えかねたのか──自殺した」
箕島の眉がピクリと動いた。けれどそんなに驚かなかったということは、箕島はそれを知っていたんだろう。
「それからしばらくして黒崎の嫁が病気で死んで、娘を妹尾が引き取ったって聞いた。娘が中学に入ったとかそんな時期だったはずだ。それから二、三年して妹尾から連絡があった。『黒崎の代わりを出来ないか』ってな」
「嘘つくなッ」大きな声でそう叫ぶと、箕島はグラスをガンッと大きな音を立てて置いた。
「なんで妹尾さんがアンタらに連絡する必要があるんだよ? なんて言って脅した?」
箕島の剣幕に、橋下さんは深いため息をついた。
「──だからテメエに話すのは嫌だったんだよ。どうせ信じねえだろ? 言いたくはねえけど黒崎は俺らには使い途があった。黒崎はキャリアだったからな。だが妹尾はそうじゃねえだろ? 妹尾から引き出せる情報なんてたかが知れてた」
それを聞いた箕島は舌打ちをした。不快だったんだろう。それも橋下さんの言ってることが、ある意味正しかったからだ。
「カネでも足りねえのかと思った。だからカネならいくらでも貸してやるぞって言った。退職金と保険金で回収できるなら問題ねえ。だが妹尾はカネには困ってねえって。こっちだって意味が分からなかった」
そう言って橋下さんは頭をガリガリと掻いた。箕島は口を挟まなかった。
「その代わり自分の趣味に付き合えって。それがこっちの要求だと」
それであのヘンテコな取引きが始まったんだな。やっと合点がいった。
「──そんな怪しげな取引き、よく受けたな」
橋下さんはすぐには答えず、また酒をグラスに注いだ。ちょっとペースが早い気がする。
「そんなのすぐに受けるわけねえだろ」そしてグラスの酒を一気にあおった。
その答えは予想外だった。俺は条件のいい取引きをすぐに引き受けたのかと思っていた。
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