花と草原

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 突然の出張命令だった。 「明日ね、これ持って取引先へ行って来て」  手土産と書類が入った紙袋と、聞いたことがない会社名と連絡先、そして聞いたことがない地名の地図が印刷されたA4の紙を渡されて。まるで近くのコンビニに「缶コーヒー買って来て」というくらいの軽さで。  翌日、いつもより1時間早く自宅を出た。駅に向かう途中の小さな公園には、満開の桜が風に揺られていた。風に乗った桜の葉は、まるで意思を持ったかのように一様に同じ方向に流れて行く。  田舎から東京に出て来た時に思った。東京にも、桜が咲いてるんだなぁって。コンクリートの隙間に、窮屈そうに、でも力一杯。  この時期、電車には新社会人がたくさん乗っている。まだスーツが体に馴染まないのか、男性は何度もネクタイをグイグイと左右に引っ張ったり、女性の方は不自然に体をくねらせたり、自分から周りに「私は新社会人です」と言っているようなものだ。同時に「夢も希望もあるフレッシュマンです!」というような、眩しい輝きも放っている。  もちろん私にもあった、そんな時期が。  スーツだと動き辛くて、肩が凝って、でもいつの間にか気にならなくなって、だんだんと仕事を覚えて来て、後輩ができて、責任が重くなって、男性社員からちょっとくらい体を触られたくらいじゃ「セクハラ!」なんて思わなくなって。気が付けば32歳を迎え、重要なポジションに就いた。普通に考えれば、順調な人生を歩んでいると言えるのかもしれない。新人の頃も、「まぁこんな感じでやっていければ良いのかな」と思っていたような気がする。  そう、順調だと思う。順調だけど、単調…… ―――――――――――――――――――  東京駅でお茶を買い、特急列車に乗る。普段はオフィスから出ることがない平日の昼間に、普段は乗らない電車に乗っているだけで、ちょっとした旅気分だ。窓の外を流れる風景が、ビルからやがて山や緑に変わっていく。私はいつの間にか眠った。  ローカル線に乗り換えると、窓からは海が見えた。たった2両編成の電車。乗客は数えるほどしたおらず、目的のに着くと、降りたのは私を含めて2人だけ。  小さな木造駅舎の外に出ると、駅前にはタクシーが2台止まっていて、バス停らしきものが1つ。  ――コンビニが……ないの?  コンビニも、ファーストフード店も、牛丼屋も、カフェも……まさに田舎のローカル線の駅。私の実家も田舎だが、それに輪をかけた田舎である。  時間は午前11時過ぎ。約束の時間は午後1時だが、それまで時間を潰す術がない。私は駅舎の中に戻り、年配の駅員さんに聞いた。 「この辺で食事ができるところってありますか?」 「ああ、近くに『ふうが』って小料理屋があるよ」 「ふうが?」 「そう。私もたまに行くんだけど、美味しいよ」  駅員さんは笑顔で教えてくれた。  踏切を渡り、細い道を5分くらい歩くと、緑の暖簾に黒で「風雅」と刺繍が入った小さなお店があった。  ――こういうお店、入るの初めて……  ちょっと緊張しながら中に入った。 「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」  暖簾と同じの、緑の着物を着た女将さん。栗色の髪を後ろで結っている。歳は30代後半くらいだろうか。女将さん、というには少し若い気がした。私は真ん中より少し右の席へ座った。ドラマとかで見る、そのまんまの小料理屋。お店を開けたばかりのようで、他にお客は1人しかいなかった。 「あ、お荷物は隣の席へ置いてください。今の時間、お客さんは来ませんから」 「はい、ありがとうございます」 「ご注文は?」 「えーと、サバの塩焼き定食と烏龍茶」 「はい、少々お待ちくださいね」  店内は明るく、静かで、煮物の香りが漂っていた。好きだなぁ、こういう雰囲気。 「もしかして、駅長さんに聞いて来ました?」 「駅長さん……ああ、はい」 「この辺、お店がありませんからねぇ」  一瞬、あの人懐っこい笑顔が浮かんだ。へぇ、駅長さんだったんだ、あの人。  ふと、左の端の席で腕を組んで目を閉じている、作務衣姿の男の客が気になった。食事をする訳でもなく、たまにお茶をすすり、また腕を組んで目を閉じる、この繰り返し。女将さんと同じくらいの歳だろうか。あ、女将さんの旦那さんかな? 「もしかして、東京からいらっしゃった?」 「あ、はい」 「なんかこう、都会から来たって感じしますねぇ。あ、別によそ者って訳じゃないですよ」  東京で働き出した頃は、ひたすら「田舎者と思われないように」と意識していた。方言が出ないように喋り方に気を付け、周りをキョロキョロしないように気を付け、迷路のような地下鉄の構内を歩く時は、スピードを周りの人に合わせ……。「都会から来たって感じがする」と言われるのは、決して悪い気はしないのだけど、嬉しいって訳でもない。「東京に、都会に染まった」といいった方が正しいかもしれない。 「あの、『風雅』って素敵な名前ですね」 「ふふ、ありがとう」  女将さんは一瞬、作務衣の男を見た。男も一瞬、女将さんを見た。  サバの塩焼き定食はとても美味しかった。特に氷出しの烏龍茶は、私が今まで飲んだ烏龍茶の中で最高だった。たまたま出張で来た町で立ち寄った小料理屋。そして出会った女将さん。なんか良い感じ。自宅や会社の近くだったら、常連になるのになぁ。 「観光する時間はないんですか?」 「うーん、ちょっとなら。近くでどこか良いとこないですか?」 「ここから国道に出て海の方に歩くと、『深想寺』ってお寺があって、そこオススメですよ」 「深想寺?」 「ウバメガシっていう珍しい木々に囲まれてて、何かこう……独特な感じがして」 「深想寺の本堂の裏手にある石段を上った先だ」  突然、作務衣の男が喋り出した。すっかり存在を忘れていたため、驚いて何を言ったのか良く聞き取れなかった 「え……石段を上った先……ですか?」 「そこから見える景色と眺めだ」  独り言なのか、私に言っているのか……意味が理解できず、堪らず女将さんを見た。女将さんは私に笑いかけると、食べ終わった食器を下げた。 「ご馳走様でした」 「ありがとうございました。お気を付けて」  店を出る時、男を見た。相変わらず腕を組み、眉間にしわを寄せて目を閉じていた。  ――一体何なの……あの人は。  玄関口の横に絵が飾られている。右半分が菜の花畑、左半分が草原、上の3分の1の部分が青空。色鉛筆画のような、でも近くで見ると油絵のような……殺風景で、不思議な絵。 ―――――――――――――――――――  取引先への訪問は10分で終了した。正確に言うと、10分のうち7分は待たされた。バタバタと慌ただしく、「あなたに構っている暇はない」と言わんばかりだったので、手土産と書類の入った紙袋を渡して早々に退散した。私が「東京から3時間半かけて来たお客さん」ということを解っているのだろうか。怒りか、虚しさか、狐につままれたような気分だった。  しかし、こういう時の対処法も身に付けている。  ――考えたら負け。  気持ちを切り替え、私は女将さんに教えられた深想寺へ行くことにした。国道を横切り、海へ向かって歩いていると、かすかに潮の香りがした。海に近付くに連れ、潮の香りが強くなる。  やがて深想寺の入口が見えてきた。女将さんが言ったウバメガシの中を、一本の道が奥まで真っ直ぐ伸びている。ウバメガシが密生し、まるでトンネルのような細くて狭い小道は、まるで別の世界へ続いているかのようだった。200メートルくらい歩いて本堂に辿り着いた。相変わらず辺りはウバメガシに囲まれており、薄暗く、静かだった。木々の隙間から海や港が小さく見える。世界から取り残されたかのような本堂と私。  ――えーと、本堂の後ろの石段……だっけ。  作務衣の男が独り言のように呟いた言葉を思い出し、本堂の後ろに回ると石段がある。急な石段を、私はゆっくりゆっくり、一歩一歩上った。  ――うわ……凄い!  石段を上ると、一面の黄色が広がった。一面の菜の花。まるで写真、いや、絵画の世界だった。  ――石段を上った先の眺め。  作務衣の男はこの景色のことを言っていたのかと、納得した。  しばらく菜の花畑を眺め、ふと後ろを振り返ると……そこは緑の草原だった。草が風に揺れ、波のようにうねっている。私を境にして、いつの間にか周りは菜の花畑と草原になっていた。 「あれ……石段は……本堂は…………?」  もう一度菜の花畑の方へ振り返ると、少し前の方に男が立っていた。  青いシャツにジーパン姿の男。  さっきまではいなかったはずだ。  ――え……誰?  男は私に向かって手を振った。  ――私……??  反射的に手を振り返そうとすると……  パパ―!  突然、私のすぐ横から小さな女の子が飛び出し、男の方へと駆け寄った。  ――え……どこから出て来たの?  女の子の気配は全くなかった。  私がキョロキョロしている間に、男と女の子は手を繋いで向こうの方へと歩いて行った。  ――お母さんはどうしたんだろう……ああ、お母さんは風邪ひいて来られなかったんだっけ。  ――あれ?  突然、見ている景色の現実味がなくなった。自分の中に外から別の意識が飛び込んで来たような変な感じがして、頭が混乱した。  男と女の子は、どんどん先へと進んで行く。  ――あ! そっちに行ったらダメ!! いたっ!?  左腕に痛みを感じた……気がした。同時に、女の子が泣き出した。蜂に刺されたのだ。  あの時は本当に痛かった。  私は草原の中を走った。  振り返らずにひたすら走った。  振り返ってはいけない気がした  どんなに走っても、草原と青い空しかなかった。  ――あの絵の中だ! 「風雅」の玄関口の横に飾ってあった絵。私は今まさに、あの絵の中にいる。一体何がどうなってあの絵の中に迷い込んでしまったのかは分からないが、おそらくこのまま走り続けても絵の中から出られない気がした。  私は止まって目を閉じ、大きく深呼吸した。  ――大丈夫、心配要らない…………  私は必死に思い出す。  自分の部屋、  仕事場のオフィス、  公園の桜、  電車、  海、  潮の香り、 「ふうが」のサバの塩焼き定食、  烏龍茶、  女将さん…………。  私がいた世界を、そして現実を自分に引き戻した。  ――帰ります…………。  ゆっくり目を開けると、草原も菜の花畑もなくなっていた。私は石段を下り、ウバメガシのトンネルを潜り抜け、外へ出た。  現実の世界に。  左手がズキズキと痛む気がした。  錯覚と分かっていても。 ―――――――――――――――――――  私は「風雅」の前にいた。  ――あの烏龍茶が飲みたい……  店の中に入ると、作務衣の男が店から出るところだった。 「どうかしたか?」 「……」 「蜂にでも刺されたのか?」 「…………」  男は女将さんと短い会話を交わすと、固まる私を横目に、店から出て行った。 「お帰りなさい」 「……ただいま」  女将さんの「お帰りなさい」の言葉が身に染みた。何より、ホッとした。 「深想寺には行きました?」 「……はい。不思議な………ところでした」  石段を上った後の出来事は話す気になれなかった。  過去の自分に出会った話など。 「あの男の人は何者なんですか?」 「何者だと思います?」 「うーん、人里離れた山の中で、陶器とか焼いてそうな……」 「あー、雰囲気だけはそんな感じがしますけど、普通のサラリーマンですよ」 「なーんだ」  それから私は仕事中の女将さんの邪魔をしないよう、様子を見ながら話した。 「そろそろ帰りますね」 「あ、これ電車の中で食べて」  女将さんは唐草模様の包装紙に包んだお弁当をくれた。 「え……良いんですか?」 「あの人からよ」  女将さんは作務衣の男が座っていた、左端の席を見た。 「なんで……」 「前に『風雅って素敵な名前ですね』って言ったでしょう? 名付け親はあの人」 「そうなの!?」 「気を良くしたんでしょうねぇ。さっき『何か簡単なもの作ってやれ』って頼まれて」 「ああ……ありがとうございます、とお伝えください」  店を出る時、あの絵が目に入った。  ――あれ?  絵の菜の花畑の部分に、手を繋いだ男の人と小さな女の子が描き足されていた。 「あの……この絵って……?」 「ああ、あの人が描いた絵なんだけど、さっき描き足してたわよ」  やっぱり只者じゃない、あの人……  私は思い切って聞いてみた。 「女将さんとあの作務衣の人って……?」 「ただの常連さんよ」 「ですよねー」  2人で笑った。他のお客さんが何事かとこちらを見ていたけど、気にしなかった。  駅に行くと、駅長さんが話しかけてきた。 「お疲れ様。 『風雅』には行った?」 「ええ、料理がとても美味しくて、女将さんが良い人で」 「得体の知れない常連さんがいて」という言葉は飲み込んだ。  電車の窓から、夕日で赤く染まる海が見えた。世界が、全てが赤く染まっていた。菜の花の黄色、草原の緑、海の青が頭の中でごちゃ混ぜになった。  特急列車に乗り換え、女将さんにもらったお弁当を食べようと唐草模様の包装紙を解くと、中にメッセージカードが入っていた。  ―――東京に帰っても、時々思い出してください。菜の花と草原を――― 「女将さん、意地悪だなぁ……」  もちろん思い出すよ。  菜の花と草原と海と……風雅と女将さんを。 【了】
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