3 第1マーク回航

1/7
23人が本棚に入れています
本棚に追加
/118ページ

3 第1マーク回航

3 第1マーク回航① 「石原先輩いつ鹿児島に帰ってこられたんですか?」  本部船に近づきつつ冴子が言った。 「こっちの水産試験場で、研修があるんで昨日の夜返ってきたよ」  真弓は答えた。冴子は、千恵を見て石原に挨拶するように言った。 「こんにちは、初めまして。今年ヨット部に入部しました。1年2組の柴田千恵といます。よろしくお願いします」  艇のコックピットに気をつけをして答えた。 「新人君か。柴田千恵さん?じゃりン子チエさんって言ったところかな」 「じゃりン子チエ?」  冴子が、千恵の耳元で 「先輩はすぐあだ名をつけるのよ。悪気はないから気にしないで」 「はい、それはわかりますが、あのじゃりン子チエってなんですか?」 「漫画かアニメの登場人物じゃない?」  こそこそ話を聞いて、真弓が笑いながら言った。 「いや、新人君失敬。ついいつものヨット部のノリで言ってしまった。アタシは、今年の卒業生で石原真弓です。東京の水産系の大学に行ってんだけど、研修が鹿児島であるってことで、帰ってきたとこ。ヨット部が恋しくなってつい見に来ちゃったってわけ」  と言って周りを見渡した。南薩ヨット部の艇が、集まってきた。  それぞれ「こんにちわ」「先輩! 」「お久しぶりです」など声を掛けてきた。  声がかかるごとに手を振る真弓だった。他校の生徒にも挨拶をされていた。千恵は、石原真弓が鹿児島の高校ヨット部の生徒から尊敬を受けていることを知った。 「石原先輩、おかえりなさい! 」  有園が、本部船に近づいてきていた。 「おう、ありぞん。元気? うん、元気そうだな」  真弓が言った。 「こんにちは、お久しぶりです。お元気ですか」  大迫の声がした。 「大迫キャプテンじゃないか! どうだい調子は? キャプテンやってるか? 」 「はい、いろいろ大変です。今年は、新入部員が3名入りました。」 「ああ、さっき一人会ったよ。柴田さんだっけ。」 「はい、あと」  と言って大迫は、近くで漂っていた有園艇と多田野艇を手招きした。二梃は艇をゆっくりと本部船に近づけてきた。  大迫は、まず翔子に挨拶をするように言った。翔子は、千恵のようにコックピットに気をつけをして行った。 「1年5組の中山翔子です。よろしくお願いいたします」 「こりゃごていねいに。OGの石原真弓です。じゃあ君は、ショコちゃんにしよう。よろしく中山さん」 「あ、はい。こちらこそご指導よろしくお願いします」  翔子は、真弓の柔らかな笑顔を見てからかわれたわけではないと気づき改めて言った。 「で、多田ちんのクルーも、新人君かい?」  真弓は、もともと東京出身なので東京弁で言った。多田野艇の純平は、立ち上がって声を上ずらせながら言った。 「こ、こんにちは、南薩摩高校1年1組 城山純平です。よろしくお願いします」 「城山純平君だね。シロじゅんでいいかな。石原真弓です。よろしく」 「はい、い、石原先輩にお会いできて光栄です」  純平は、直立不動で言った。 「なんだよそりゃ、アタシはただのOGよ」  そう言って真弓は、腕時計を見た。午前の練習が終了するまでは、あとぎりぎり1レースできる時間だった。真弓は、大久保の横に行って、腕時計を見せて言った。 「先生、あと1レースしましょう。いい風じゃないですか」 「そうだな、そろそろいったん帰ろうかと思ったが、石原先輩の頼みじゃことわれんな。よし、やろう。岡田先生、レース5分前の旗をあげてくれ」  それを聞いた、真弓は、スルリとマストの所まで上がり、旗を揚げる準備をした。 「岡田先生、旗とホーンを私やります」 「ああ、すまんね。ありがとう。南薩の生徒はホント動きがいいね」  岡田は言った。真弓は、ハンドマイクでレースを宣言した。 「レース練習、フルコース、間もなく5分前」  各艇が本船の回りを回ったりスタートラインを確認したりし始めた。 「さあ、南薩(うち)の後輩たちはどんな走りをするのかな。楽しみだなーー」  真弓は、マストにつかまってニタニタとほほ笑んだ。 「そら、5分前だよ」  真弓は、P旗を掲揚し、エアホーンを5回鳴らした。 「お冴さん5分前です」  ダイバーズウォッチの、ベゼルを回しながら千恵が言った。 「オッケー。風はどっちだ?」 「マストのP旗が若干左に向いて振れています。本部船側からの(かみ)スタートじゃないですか」 「うん、がんばって上一番を狙ってみるか。じゃあ、スタートラインの確認をするよ」 「はい」  南條・柴田艇は、ラインに向かって艇を進めた。 「4分前だよ!」  エアホーンが4回鳴った。 「上スタートだね。本部船側にヨットが集中するね」  有園が言った。 「はい、どこからスタートしますか」  翔子も考えあぐねているようだった。 「よし、あくまでセーフティセーリングだ。上スタートする艇の少し下からスタートしよう。スピードをつけて」 「はい、わかりました」  練習艇は、25杯出ていた。混戦したら、フレッシュウインドを掴めないどころか、リコールしてしまう状況だ。南條・柴田艇は、徐々に本部船の船尾に近づいている所だった。上スタートを狙ってすでに、本部船の回りには多数のヨットが、待機していた。 「かー、こりゃどこにも入れんかもね。2列目から出るなんていやだからね」  冴子の愚痴を聞いて、千恵がコックピットから立ち上がった。そして、まわりの海面の様子を見渡した。特にスタートライン付近のブローの様子などを、額に手を当てて見た。そして、言った。 「お冴さんギリギリまでここで待ちましょう。スタートライン付近に軽いブローが来ています。それに本部船から左に向かって潮の流れがあります。ゴミがゆっくりと流されていました。本部船近くで待っている艇は、おそらくじわじわ左に流されるか、リコールすると思います。絶対スペースが出来ると思います。」 「そう、よく観察したわね。よし、それで行こう千恵を信じるよ」  冴子は、手を握り締めた。その様子を本部船のマストから真弓が見ていた。 「ほう、冴艇は、そこで待つか。じっとその場で待てるか? で、ありぞん艇は……ふーん、上スタートの下一(しもいち)で出るか。さあ、どうなるかね」  そう呟いて、時計を見た。そして、エアホーンを3回鳴らした。 「3分前だよ! 」  3分前、2分前と時間は進んでいった。本部船の後方をキープしようとしていた南條・柴田艇も徐々に左に流されていった。 「千恵、さっきいた所がベストポジションになるんだよね?」  冴子が、千恵に聞いた。 「はい、」スタート5秒前ぐらいまであそこにいられたら、ジャストで上スタートが出来るはずです」  千恵は、自信をもって答えた。確かに千恵には独特のスタートセンスがあるようだ。 「わかった。一回タックして、あの場所に戻ろう」  冴子は、ゆっくりとタックの指示を出した。他のヨットもスタートラインから流されていることに気づき何杯かはタックをして右に移動した。有園・中山艇もかなり下側に流されたことに気づいていた。 「有園さん、何杯かは本部船の方に近づきなおしています。私たちも行きましょう」  翔子が珍しく状況を見て有園に進言した。 「うーん、行けるかな」  珍しく有園は弱気だった。石原真弓が見ているというプレッシャーもあった。 「行けますよ。時間は、1分15秒前です。幸い私たちの下側には邪魔になるヨットがいません。すぐに左側にベアしてジャイブして他のヨットの後ろを通って本部船に近づきましょう。必ずスペースが開いているはずです」 「よし、翔子がそこまでいうならいってみよう」  有園・中山艇は、左側にベアしたそのまま方向を、左にとりジャイブをしてポートタックになり、本部船に近づいて行った」  本部船では、真弓が時計を見ていた。 「さあ、みんなどうする?あと30秒だよ。冴は本部船の後ろに着きなおしたか。ありぞんは後ろからスペースをさがしているな。確かにこの潮の流れだ。何杯かは左に流されてどこかが空くはずだな」  南條・柴田艇では、千恵が、素早く冴子に言った。 「15秒前です。いい位置をキープできていると思います。13、12、11, 10、9」  千恵のカウントダウンが1秒おきになった。 「千恵、ジブイン!」 「はい」  南條・柴田艇はするすると走り出した。そのころ有園・中山艇も、スタートが出来るスペースを見つけ、タックして、スターボード艇になった。 「翔子、このままつっぱしるよ」 「はい」  有園も翔子も各々のセールを引き込み、フルスピードになった。そのままスタートラインを切れれば、上位で有利な位置につける。  一方、南條・柴田艇では、千恵の秒読みが、5秒前を切った。 「5、4、3、」 「よし、千恵ジブイン。ハイクアウトの用意。このまま走るよ」 「はい、上一番でスタートできます」  プワーとエアホーンが鳴ると同時に、P旗が降下した。 「リコール、2034、2126、2167」  真弓は、ハンドマイクでリコールしたヨットのセールナンバーをコールした。 「今、リコール艇ありっていってたよね!」  冴子が、全速で走らせながら千恵に言った。 「はい、でもこの艇のナンバーじゃなかったです。ジャストで出たはずです」 「だよね。今の所トップをキープじゃないかな」  そのころ有園・中山艇もトップスピードでスタートラインを切った。 「翔子、リコールナンバー聞いた?」 「はい!大丈夫です。そのまま行きましょう」 「オッケー。お冴はどっから出た?」  と言って、有園は周りのヨットを確かめた。ちょうど有園艇の風上側にあたる、背後を振り返った時、南條艇が上一番の位置にいた。 「あいつ、またいい所からスタートしたな。ここは、我慢してこのまま行こう」  有園・中山艇は現在3位以内の位置にいた。  そんなスタートの様子を楽しんでみていた真弓は、持参したカバンから双眼鏡を取り出した。そして、南條艇、有園艇の走りを双眼鏡で追いかけた。 「おたくの南條だったかな。いつもながらいいスタートするなあ。この潮と(かみ)有利を読んでギリギリまで、ベストポジションで待ってたな」  西鹿児島実業の大久保が真弓に言った。真弓は、双眼鏡から目を離し、大久保の方を向いて言った。 「冴は、いつもあんな感じなんですか? 」 「ああ、スタートはピカ一だよ。いつもベストポジションのトップスピードでジャストスタートだよ」 「へえーー。確かに冴は、スタート感覚はいい方だったけどあそこまでとは」  そう呟いて真弓は、また双眼鏡を覗いて、ヨットを追った。トップ艇がちょうど上の第1マークを回航するところだった。 「お! 冴艇じゃないか。次に、ありぞん艇か。ワンツーで回ったね」  双眼鏡で見ているので、乗員の動きがはっきりと、見て取れた。スピンが上がるのは有園・中山艇の方が早かった。南條艇の後ろから近づき追い風をつかむのを妨害した。 「冴、何やってる。じゃりン子チエ、スピンアップが遅い! 」  真弓は、思わず大声がでた。南條艇が、スピンアップに戸惑っているうちに、有園艇が抜き去ることに成功しトップに躍り出た。 「抜かれたな。でも、ありぞん艇もいい走りをしているな。クルーの動きがいいよ。彼女も確か1年生だったよな。確かショコちゃんつったよな」 「いつもの通りの南薩高のレース展開だな」  薩摩海洋高校の岡田が言った。 「はあ?どういういうことでしょう?」 「南條艇がスタートで、いつもトップに立つが、徐々に遅れていくんだ。有園艇は、トップスタートでは無いが、スタートで上位位置につけて、だんだんと順位を上げていく。と、言うのがパターンだな。2杯とも1年生のクルーだからね。まだこれからって感じかな」 「そうですか。順位を上げていくありぞん艇はいいとして、冴艇は、どういうことなんだ」  その後は、真弓は双眼鏡でずっと南條・柴田艇を食い入るように見ていた。 「じゃりン子チエは、やっぱりじゃりン子だな。あれじゃ船が起きんよ。ヨットにしてみると致命的だな……ってことは、やるべきことは一つ」  そう言って、真弓は腕組みをして遠くの南條・柴田艇を見ていた。  最終的には、有園・中山艇がトップでフィニッシュした。南條・柴田艇は、6位でのフィニッシュだった。ちょうど正午を過ぎた所だったので午前中の練習はここで終了した。昼食のため、ヨットは全艇ハーバーに帰着した。 ※ 3 第1マーク回航②につづく
/118ページ

最初のコメントを投稿しよう!