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第7話~数日に匹敵する数時間
「てめぇ!」
歯軋りして男が地面に手を着き、起き上がる。地面はひっくり返らない。手を着いた地面は既に引っくり返した後で、更に引っくり返すのは無理のようだ。
「ちっ」
舌打ちした男がギルバートに直接触れようと手を伸ばすが、あっさりと避ける。男の動きそのものは素人だ。
「ほうれ、鬼さんこちらってかあ? 遅すぎてハエが止まるぞ」
ギルバートが剣で肩をとんとんと叩き、挑発的に見下ろして笑った。
「ああ!? 調子に乗るなよ、人間!」
激昂した男がギルバートに触ろうと躍起になる。ギルバートの笑みが深くなった。
もっと熱く加熱しろ、周りが見えなくなるくらい夢中になれ。そんな声が聞こえるような、不遜な笑みだ。
ぶんぶんと左右からでたらめに迫る男の手を、ギルバートが軽々とかわす。洗練された玄人の動きよりも、ふらふらとした素人の動きは読み辛いが、勘と反射神経を頼りに避けていく。
手のひらは能力のトリガーである可能性が高い為、触れないように気を付けなければならない。
勢い余った男の手が横の壁に触れ、べろりと捲れた。一歩間違えばギルバートもああなるのだ。
掴みにきた手の甲をギルバートが剣で弾く。腰骨ごと粉砕するような衝撃を、腰を入れて吸収し耐えてみせた。
「この! ちょこまかと!」
ぎりっと歯軋りした男の目に銃弾が当たり、ことりと地面へ転がった。反射的に目に瞑った男の、反対の目にも銃弾が当たる。
カーズとレイブンは、正確に目を狙って撃っていた。当たったところで傷一つ付かないが、男の反応からして人間だった頃と同じ反射が残っているらしい。融合型の有り難い弊害だ。
一分一秒でも時間を稼ぐ。仲間の為に隙を作る。それだけでいい。
目を瞑った男の足をギルバートの剣が払い、またもや男は地面に転がった。そこで一度ギルバートは下がり、今度は剣を抜いたカーズが男と対峙した。
背後の民間人の避難は完了していない。ミズホ国の『珠玉』が到着するまでまだ数十時間はある。無尽蔵の体力を誇る妖魔を相手に、人間が延々と付き合えはしない。適度に交代していくのだ。
「ちっ! 最初のおっさん! 逃げんのかよ!」
苛々とギルバートを睨み付け男が吠える。
「はっ! 俺が相手をするまでもねえからよお、代わりに部下が相手してやるよ」
男に気取られないように弾む息を整え、ギルバートが更に煽る。触られれば終わりのぎりぎりの攻防は神経と体力を削られる。今年で齢四十を越えるギルバートに本当は余裕などない。
「目の前に俺がいるのに、余所見とはつれないな!」
ギルバートを睨む男の目を、カーズは剣で突いてやった。妖魔の怒りの矛先がカーズへ向く。
カーズは素早く剣を引き戻して、体を半回転させた。ぶんと男の拳が宙を切る。
今度は反対に半回転。思ったよりもすれすれで通りすぎた拳に、ひやりと背中が冷える。やはりギルバートのように華麗にはいかない。数分ほど男の攻撃を捌いて動きが鈍ると、レイブンが前に出た。
たった数分。それだけでごっそりと体力を持っていかれた。
肩で息をしそうになるのにカーズは耐える。疲労を見せるな。こちらが上だと錯覚させろ。かき回せ。それが高位妖魔に対する時の第二部隊の心得だ。
「面白そうだから、俺も交ぜて貰おうかな?」
レイブンが似合いもしない挑発的な笑みを浮かべた。
「ああ、次は俺な」
「まだまだいるぜ?」
隊員たちが余裕ぶった態度で、まだ渡り合える戦力があるのだと仄めかす。本当は次々に交代しなければ保たないだけだが、それは見せない。
体勢を崩しかけたレイブンの援護に小銃を撃つ。狙いを違わず目に六発、淀みなく弾をリロードする間、他の隊員が顔を狙う。
目という小さな的へ当てられる腕を持っているのは、カーズとレイブンだけだ。他の隊員は少しでも男の動きを止める為、兎に角嫌がる顔面を狙って撃つ。
ただし、常に撃たないこと。ずっと同じ攻撃では妖魔が慣れてしまう。
「次は俺だ!」
そうして交代を繰り返し、また違う隊員が剣を手に躍り出る。何度目かの妖魔との打ち合いの後、後ろへ下がったカーズは額に汗を浮かべて、宥めきれない荒い息をした。
最初の接触から二時間以上、三時間未満が経過した。蓄積しつつある疲労に判断力と動きのキレも鈍ってくる。
近辺の民間人の避難は終わった。後は『珠玉』到着までの足止めだ。まだ先は長い。
剣を握る隊員の回避が遅れた。援護の射撃の狙いが外れ、目の横へ当たる。男がにやりと笑った。色々と小細工をしていたとはいえ、やはり目への銃弾には慣れてきていた。狙いも甘くなっている。逃げ遅れた隊員の足へ男の手が触れた。
「ぎいああああああっ!」
隊員の足の皮膚がべろんと引っくり返され、激痛に倒れ伏した。足を押さえて涙を浮かべる隊員の顔面へ男の手が迫る。
「お前ら、俺の顔ばっかり狙ってくれやがったよなあ?」
「ガボッ」
隊員の顔が爆ぜるように裏返り、肉や血管を晒した。
仲間の死体を乗り越えて、カーズは前へ出た。ここで持ちこたえなければ、天秤が傾き一気に均衡が崩れる。
「ふっ!」
腰の捻りと体重を乗せた剣を男の足へ繰り出す。
「何度もその手に乗るかよおっ!」
男が足をぐっと広げてその場に踏ん張った。妖魔の力は人間を軽く超える。きちんと対処すれば転ばされることはない。
「甘い!」
後ろから思い切り振り下ろされたギルバートの剣が、男の頭に当たった。
足と頭の両方から力を加えられ、また男が地面へ転がる。転がったままカーズの足へ手を伸ばすが、後ろへ跳び退って避けた。
男の背後のギルバートも男の攻撃を警戒して一度下がる。
地面に転がったままの男の口元が吊り上がった。その手が地面に触れている。まだ引っくり返していない地面へ。
「しまった!」
いつの間にかじりじりと後退し、引っくり返されていない所まで来てしまっていた。
足下の地面の舗装が捲れ上がり、更に後ろへ飛び退くカーズに、上から捲れた舗装が落ちてくる。間一髪で避けたが、ほっとする間もなく男のけたたましい哄笑がこだました。
「ギャッハハハハハハ! 最初からこうすれば良かったんだよ! ちまちました攻撃に付き合わせやがってえ!」
男の手は建物の壁に触れていた。住人は避難済みでもぬけの殻だが、今はそんなことはどうでもいい。
ぐるんと引っくり返った建物が屋根をひしゃげさせて倒れる。カーズたち第二部隊の上へと。
倒壊から逃れようと必死に足を動かしながらも、頭ではもう間に合わないとカーズは冷静に判断していた。
「カーズッ!」
横から何かがぶつかって来て、カーズは落ちてくる建物から逃れた。何かと一緒に強かに壁に激突し、カーズは呻き声を上げてから状況を理解する。
「レイブン!」
横からカーズに体当たりをかましたレイブンが、瓦礫に足を挟まれた状態でカーズの上に倒れていた。
レイブンの体の下から這い出したカーズは、彼の足を見て唇を噛む。
足は無惨に潰れて、折れた骨すら見えていた。レイブン以外にも何人かが下敷きになり、下からはみ出す誰かの手と流れる血が瓦礫から覗いていた。
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