第8話~敗走

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第8話~敗走

 ギルバートが男の目を狙って発砲するが、意に介さず目を瞑りもしなかった。着弾の僅かな衝撃がほんの刹那、男の動きを止めるばかり。これでもう足止めをする手段がなくなった。 「各自、自分の命を優先しろ! 生き残れ!」  歯を食い縛り、ギルバートが最終の命令を下す。 「そうそう。逃げ惑え、虫けら。俺を虫けら扱いした上司も、馬鹿にした女も、みいんなナイフでちょっと刺してやったら、立場が引っくり返って俺に泣いて許しを乞いやがった」  男は手当たり次第に壁に手を触れ始める。 「ギャッハハハハハハァ! 全部引っくり返してやるよ。上から見下す馬鹿を俺が見下してやる!」  ギルバートの銃弾が男の手に当たるものの、一瞬の停滞さえ生めない。崩れる瓦礫が降り注ぐ中、隊員たちは必死に避けながら敗走を始めた。  壊れた玩具のように笑う男の声と、ギルバートの指示は、カーズの耳に入らなかった。  真っ白な顔色で倒れているレイブンと、潰れて千切れかけたふくらはぎ。それだけが頭を占めている。  出血が瓦礫と制服を濡らした。  カーズは懐から隊員に支給されている布と酒瓶を取り出した。早く止血をしなければ死んでしまうが、その前にここから離れなければならない。 「……カ、カーズ。俺は、いい、から、お……っ!」  絞り出すようなレイブンの言葉をカーズは最後まで聞かなかった。辛うじて繋がっている足を剣で完全に切断する。激痛に気を失ったレイブンの傷口に酒をぶっかけ、乱暴に縛って止血すると、彼を担いでカーズは走った。  後ろの崩壊の音も、怒号も悲鳴も無視してただひたすらに走った。  レイブンを抱えて逃げた数時間後、ミズホ国の『珠玉』が到着して妖魔は狩られたという。カーズはレイブンを抱えて駆け込んだ病院で後からそれを聞いた。  『珠玉』が到着するまでの数時間で、妖魔は移動しながら幾つもの建物を倒壊させ、道路の舗装を引っくり返した。  周辺の人間は避難させていたものの、妖魔が人間を超える身体能力を発揮し、避難先のエリアにまで侵入して破壊の限りを尽くしたのだ。その為結局、死傷者千五百二十三人という数字を叩き出した。  病院では怪我をした民間人が溢れていて、カーズとレイブンは口々に詰られた。  なぜ妖魔を押さえられなかったのか、役立たずめ、お前たちのせいでこの惨状だ、税金泥棒が何しにきた、消耗品の治療なんざ勿体ない、など散々な言われようだった。  カーズは詰る人々を殺気だった目で睨み付け、医者の胸ぐらを掴んで怒鳴った。 「四の五の言わずに治療しろ! こいつの命を助けられなかってみろ! 俺がお前を殺してやる!」  カーズの剣幕に気圧された医者は、治療どころか悲鳴を上げるばかりだった。舌打ちしてもう一度怒鳴りつけようとするカーズの腕を、横から女の手がやんわりと掴んだ。 「ここは病院です。大声はご遠慮下さい」  白衣を着た看護婦らしき若い女が、黒目がちの大きな目で物怖じせずにカーズを見上げた。 「戦場は貴方たちの戦いの場でしょうが、ここは私たちの戦いの場です。私たちに従って頂きます。大丈夫、貴方のお友だちは必ず助けます」  女のしっかりと落ち着いた声音に、カーズの頭に上っていた血がすっと冷めた。医者の胸倉を掴む手から力が抜ける。 「済まない……いや、申し訳なかった。頼みます。レイブンを助けてやって下さい」  女は頭を下げたカーズに「分かりました」と答え、医者を揺すった。 「先生、どんな人も患者さんは患者さんでしょう! しっかりなさって下さい」  彼女の言葉に我に返った医者が、慌ててレイブンの手当てをし始める。レイブンはどうにか一命をとりとめた。  怪我人で溢れる病院の廊下の片隅で、カーズとレイブンの側だけ人が距離を取っていた。どの病室もベッドも怪我人で埋まり、床にも廊下にも包帯を巻いた人間が転がっている。  窓から差し込む朝の光に目を細め、壁にもたれて座っていたカーズは、見るともなしに病院内を眺めていた。  カーズとレイブンの周りに空いた小さな空間、怪我人がひしめき合う病院でぽっかりと目には見えない壁がある。  冷静になった今、カーズたち以外にも第二部隊の隊員が何人か寝ているのが見えた。彼らの周りにもやはり壁があるかのように人が避けている。  別に今ここにいる人間たちを守りたくて戦った訳じゃなかった。謗られることも日常茶飯事だ。  『なぜ妖魔を押さえられなかったのか役立たず』  押さえてたさ。だったらお前らが同じことをやってみろ。  『お前たちのせいでこの惨状だ』  惨劇を作ったのは妖魔だ。俺たちじゃない。  『税金泥棒が何しにきた』  命を賭けて戦って怪我をしたから治療を受けに来たんじゃないか。  『消耗品の治療なんざ勿体ない』  消耗品だと? ふざけるな! 違う、俺たちは人間だ。  世の中は理不尽だらけだ。  手にひやりと湿ったものが当てられて、カーズはいつの間にか目の前に来ていた人物を見た。当てられていたのは消毒液で湿ったガーゼで、女がカーズの指を一つ一つ開いて拭いた。  赤く染まっていくガーゼを見て、血が滲むほど拳を握っていたことに気付く。 「お友達は私たちがいたから助かりましたよ。全力で治療しましたからね。私たちは、貴方たちがいるから助かりました。貴方たちが妖魔を引き付けていてくれたから」  女はカーズの手から血を拭うと、別のガーゼを当ててテープで貼った。 「ここは病院です。動けない患者さんも大勢います。患者さんがいる限り私たちも動けません。避難の指示がでても動けない不安な私たちに、第二部隊の方が、隊長の分隊が妖魔を引き付けているから安心しろと言ってくれました」  カーズは女をまじまじと凝視する。南国特有の浅黒い肌と黒髪、大きな黒瞳に白い制服が眩しかった。 「守って下さってありがとうございます」  違う。  そう否定しようとした言葉は、喉に引っかかって出ない。  守るなんて思いは頭の中にこれっぽっちもなかった。 ありがとうなんて言葉が欲しかった訳でもなかった。なのに。  何故嬉しいと感じるのか。せりあがってくる熱は何なのか。  自分で自分の感情に戸惑って、何も言えなくなった。結局、カーズは無言で項垂れ、女はまた忙しく患者から患者へと飛び回っていった。
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