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冒頭
『俺は私。私は俺。ただ、1つだけ違うとしたら、俺は私の理想を生きいている。』
鏡の中の誰かが喋りだし、
『これから宜しくな』
というと、鏡の中の誰かは、そう言って妖しげに微笑んだ。
遡ること、今日の午後。ちょっと古ぼけた小さい雑貨店があった。私はそのお店が気になって、足を踏み入れた。中は物置小屋という感じの雰囲気だった。本当に雑貨店なのか?…もしかしたらお金持ちの大きい物置小屋に間違えて入ってしまったのか?と焦り、嫌な汗が出る。すぐさま出ていこうとした。すると、次の瞬間、奥の方から、
「おや?お客さんか?」
と嗄れた声が聞こえ、足を止める。声のした方を見ると、80才くらいのお爺さんが人の良さげな優しい笑顔で私を見ていた。
「ぁ…こんにちは…」
私は、おっかなビックリで恐る恐る挨拶をした。そんな私の態度を気にせず、
「こんにちは」
と、挨拶を返してくれるお爺さん。そして、ここが雑貨店であることと、物置状態になっているがここにあるものは全て販売していることを私に教えてくれた。
「ゆっくり見てって下さい。何かあれば声をかけて下さいね。」
「はい、ありがとうございます。」
お爺さんは会釈をし、奥へと戻っていった。
折角なのでもう少し見てから帰ることにした。物置状態の品物を一つ一つじっくり見ていくと、お洒落なティーカップや可愛らしいぬいぐるみや、今時珍しい、ねじ回しタイプの時計等。どれも素敵なものばかり。小一時間近く見ていただろうか。ある程度、お店の中を見終えて帰ろうとした時だった。
キラリ
今、何かがキラッと光った感じがした。その方向に目を向ける。
「あ、なんだ。鏡か…。」そういえば、この間、鏡が割れて捨てたばかりなのよね。この際、買っていこうかしら。
私はその鏡の近くまでいき、鏡を覗く。大きさは掌よりも少し大きいくらいで、立て掛けるタイプの鏡だ。枠は下地が黒、その上に細かく砕いたガラスの装飾が施されていてとても綺麗だった。
私はその鏡を持ち上げ、ガラスの装飾をよーく見る。すると、ただの砕いたガラスにしか見えなかったそれは、小さな星の形を表していた。それも、一粒一粒に、だ。
その繊細な装飾に思わず、
「…わぁ!すごいっ、星だわ!」
と、感嘆の声を漏らした。
すると、タイミングを見計らったように、
「お嬢さん、何か気に入ったものでも?」
と、お爺さんが言う。
私は驚き、鏡をぎゅっと、握りしめ、目をカッ、と見開いて、お爺さんを見た。その様子を見ていたお爺さんは、
「おやおや、すみません。驚かせてしまったようだ。」大丈夫ですか?と、お爺さんは申し訳なさそうな声で聞いてくる。
私はバクバクと鳴り止まない心臓を、息を吸って吐き、深呼吸をすることで無理矢理落ち着け、
「…いえ、大丈夫です。」
と、声を絞り出した。そして、握りしめていたあの鏡をお爺さんに見せ、
「…あの、実は、この鏡を買おうと思いまして…おいくらですか?」
と、聞くとお爺さんは、
「…」
と、一瞬、難しい顔をして無言で鏡を見ていたが、すぐさま人の良さげな顔に戻り、
「これですか?」
と、私に再確認した。
なんでそんなこと聞くの?というか、さっきの表情は何?
私は、お爺さんの質問に対し、少し不思議に思いはしたが気にしても仕方がないので、お爺さんの質問にだけ答えることにした。
「…はい。」
私がそう言うと、お爺さんは、
「そうですか。お代は結構ですよ。」
と、それだけ言うと素早くラッピングをして私に持たせ、
「ありがとうございました。」
と、私の背をぐいぐい、と押しながら店から追い出した。
「えっ、待って!お爺さん!」
と、私の声が聞こえないのか、いや、聞こえないふりをしているのかわからないが、いや、そんなことはどうでもいいんだ。それよりも、今だ。今、現在の私の目の前であり得ないことが起きたんだから。
そう、私をお店から追い出したお爺さんは、お店のドアを閉めた途端に消えたのだ。お店とお爺さんが。
「…え、え?お店!お爺さん!?どこっ!?…はぁ?消えたっ?」
私はかなりのパニック状態に陥っていた。道を行き交う何人かの人には哀れなものを見る眼差しを向けられていた。しかし、パニック度MAXの私はそんな視線に気づかず、その場に前のめりになって倒れこんだ。
どれくらいそうしていたのだろうか。
「…あのー、大丈夫ですか?」
頭上から少し低い成人した男性らしき声が聞こえ、顔を上にあげると、男性がいた。そして、男性の背景にはオレンジ色の空が拡がっていたのだ。そう、さっきまで青空だった空はオレンジ色の夕方の景色に変わっていた。恐らく、二、三時間は経ったようだ。
「大丈夫です…」
私はのろのろとゆっくり動き、立ち上がる。声をかけてくれたその男性は私よりほんの少し背が高く、すらっとした体型で、ラフな格好をしていた。しかし、肝心な顔が大きいメガネと帽子に加え、目が隠れる程の長い前髪のせいで、まったくわからない。私は今、22才。同い年くらいだろうか。そんなことを思いながら男性の顔をじーっと見ていた。すると、
「あの、何か?…てか、貴女顔色悪いですけど、本当に大丈夫ですか?」
と。私は未だにぼーっとしている頭を振り切り、
「…あー、と。大丈夫です。ちょっと、頭の中混乱してるだけなんで。なんか、本当、すみません。顔を凝視していたことも、すみません。」と。頭を下げる。
「はぁ…別に。大丈夫なら、いいですけど。」
「あ、はは。本当に声をかけて下さってありがとうございました。」
「別に。酔っ払いだったら大変だと思っただけなんで。」
と、少しぶっきらぼうに男性は言った。じゃあ、と私も帰ろうとした。でも、勝手に口が動いてしまった。
「…あ、ああああの!!ここって雑貨屋さんありませんでしたか?」
と。帰ろうとしていた男性は立ち止まり、
「…は?」
と、一体何の話を?、とでも言いたそうな口調だったが、周りをキョロキョロと見回し、少し考える素振りをした後、
「無かったんじゃ、無いですかね?」
と。
「…」
私はその回答に、呆然と立ち尽くしてしまった。
じゃあ、何だったんだ?さっきの出来事は。それに、この手に持ってる鏡は一体?
得体の知れない恐怖で身がすくむ。
「…のー!あのー!!!」
「ふぁ、はいっ」
気づけば男性は私の肩に手を置き、ガクガクと揺さぶっていた。私の体がそれに合わせてガクガクと揺れる。
聞けば、私がした質問に答えた瞬間声をかけても私が何の反応もしなかった上、どんどん顔が青白くなっていった為、仕方なく体を揺さぶって大声をかけていたらしい。
「ねぇ、あんた本当に大丈夫かよ?」
と。言葉が荒くなった気がするが真面目に心配してくれているようだ。
「え、あぁ…はい。大丈夫です。」たぶん。
「…なら、何でそんなに指、震えてんの?」
「え?」
そう言われ、自身の指を見る。確かに震えていた。
驚いたことに、この男性は人のことをよく見ている性質のようだ。本人ですら気がつかないほどに、それは微かな震えだったのに。
「本当だ…。」
「…はぁ、病院行きますか?付き添いますよ。」
呆れ混じりのため息だが、本当に心配してくれていることがわかる。不思議だ。顔が見えないのに、わかる、なんて。
「…いや、大丈夫です。でも、一つだけ聞いてもいいですか?」
「…なんですか?」
若干トゲトゲしい声で言われる。
「あの、もし、意味がわからないことが起こって。それでですね、鏡をね?…鏡を、無料で貰って、今、鏡が必要なら、使いますか?使いませんか?」
本人ですら、『何を言ってるんだこいつは。』、と思うほどに何の突拍子もない質問だった。
でも、それをしたのは、ただ、『この今の状況から脱出したい。』それだけだ。何でも良くて、誰でもいいから聞くしかなかった。
すると、
「…使いますね、俺は。」
「理由を聞いても?」
「だって、必要なんでしょ、鏡が。」
「はい。」
「なら、悩むだけ時間の無駄です。必要なら『使う』しか選択肢は無いと思いますけど。」それが無料なら余計にね、と。
じゃあ、とだけ言うと相手は去って行った。
何の変哲もない答えだ。必要だから使う。それは普通の答えなのだ。
結局、お爺さんから貰った鏡は、割れないように持ち帰ることにしたのだった。
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