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5 4通目の手紙
「まぁ、これが一応調べた結果です。
そのうえで、殺人が起こった形跡はない。訳ではないけれど、自殺だっとも言い切れず。まぁ、殺人事件として扱うには、今年は「暑い」ですからなぁ。早々に切り上げたかったんでしょうよ」
ライト記者は嫌味にそういってレモネードを空にし、新たにグラスに注ぎながら、
「それで、自殺と早期に決めただけが、おいらを呼んだ理由ではないでしょう? 何かあるんでしょう?」
と、少し浮足立って聞いてきた。
ロバートが唸りサミュエルを見る。サミュエルは腕組をして思案中だった。
ドアが激しく叩かれ、ロバートが素早く立ち上がって部屋を出る。それ以上の速さで奥にいたはずのジェームズがもう玄関を開けていた。
二人の迅速な行動にライト記者は驚いて立ち上がり事の次第を見守る。
「捕まえとかないか」
ロバートが少し責めるように言う声が聞こえた。
「ジェームズが掴んだようですが、するりと逃げたようですなぁ」
とライト記者は言って、席についた。
手紙はロバートが持ってきた。
ジェームズは最後に入ってきて、自分の右手を見つめたまま少ししてから、
「感触が、ありませんでした」
と言った。
「感触がない?」
三人が同時に聞き返した。
ジェームズは失礼。と言ってライト記者の腕を掴む。はしっと音を立てて捕まえた腕を持ち上げる。
「普通は、こういう感触があるものです。ですが、布が滑っていった感触はありました。ハンカチーフがするりと落ちて行くような感触です。ですが、掴んだのに、腕の感触はありませんでした」
「……そんな、幽霊や何かじゃあるまいに。いや、幽霊なんてものもいるはずないのだし」
とライト記者が言った。それを聞きロバートが、あの白本を見た。
「きっと、掴み損ねたんだよ。ジェームズにしては珍しい失敗だったのさ。ね? そう思うでしょ……ロバートも」
ライト記者が少し言葉に詰まったので、サミュエルがライト記者の目を向けた。
「そうだと思うね。僕も」
とロバートが言い、ジェームズは少し納得がいかないながらも頷いて部屋を出て行った。
ライト記者がロバートを見る。その視線に気づき、
「あ、あぁ。手紙、あの女だ」
とサミュエルに手紙を渡した。
「その手紙が何か?」
「うーん、サミュエルは何かあると思っているのだけどね」
サミュエルは封を切り手紙を読むとそれを机の上に放り投げた。
手紙には―、
「助けて、あなたから」
という文字。
ロバートとライト記者は顔を見合わせる。
「あの、どういう?」
ライト記者が首を傾げるので、今までの手紙をロバートが出してきて並べた。
【オリバー・ジャクソンの死は自殺ではない、彼は】
【彼の死因は自殺だけど、自殺ではない】
【彼の本当の死因を私は知っているから、】
【助けて、あなたから】
「これは、一つの文章を区切って持ってきたんですかね?」
「だとすると、オリバー・ジャクソンの死は自殺に見せかけた他殺となり、その死因を知っているこいつをあなた―とサミュエルを指さす―から助けてほしいと言っているってことですか?」
ライト記者が首をひねりながら聞く。
「おかしいでしょ。死因を知っているというのは解りますよ。ですが、助けてくれと言っておいて、その相手から助けてくれというのは……、まさか、誰か監禁したりしてませんよね?」
ライト記者はサミュエルならやっていそうだと思いながらも、冗談めかして聞く。
「そういったことは、この数年していないよ」
サミュエルの真顔に、ロバートですら冗談かどうか判断しかねた。
「ところで、この手紙から、オリバー・ジャクソンのことを知りたいと思っていたんですか? 真剣に?」
ライト記者は呆れた口調で言ったが、サミュエルが難しそうな顔をして手紙を見つめているので黙った。
「この手紙の主は一体どういう状況なのだろうかね?」
サミュエルがやっと言った。
「手紙にひと文だけ。仮に、全てがつながる文章であったとして、これらが文章として成り立っているかい? では、違う手紙からの抜粋なのだろうか? そうする理由は? 抜粋した文章を寄越して、何が楽しい? もし、仮に、ゲームをしているとしよう。そう、推理ゲームだ。
例えば、そうだな。……、答えたまえ。私は人ではない。私は、自分では動けないが、馬がいれば動ける。一人、もしくは複数人の人間を乗せることが可能だ。私は何だ?」
ロバートとライト記者が少し考え、ライト記者が、
「馬車、馬車の客室!」
と叫んだ。
「正解」とサミュエルは笑みをこぼした。
「もし、これが何かを示したヒントであれば、何かしら想像できるものだ。だけど、書いているのは、オリバー・ジャクソンの死因は他殺だということだけだ。そんなことは一度書けばわかる。ヒントとして出すには、あまりにも切り札的言葉だ。
もし、オリバー・ジャクソンが他殺であったとするならば、そう、僕ならば、
密室であったが、誰かが出入りした形跡、入り口で配達人と出会った女がいる。とか、口をきれいに拭かれ、手を組まされた。とか、そういったことを書くよ」
「確かにそうですなぁ……。何度も、自殺ではない、他殺だと。書くくらいならば、ちゃんとした文章で告発してくればいい」
「そう、告発するならば、ちゃんとした文章を、告発後、必ず動いてくれる相手に送る。決して、一介の貴族には届けない」
サミュエルの「一介の貴族」には同意しかねるが、二人はおおむね同意し、頷いた。
「そうしたら、どういう事なんです?」とライト記者
「やはりいたずら。ということなのかな?」
「いたずら。ずっとそう思っているがね、……もしかすると僕でなければいけなかったのかもしれないとする。ライト君に手渡せるからとか、ホッパー警部と顔見知りだから、何とかしてくれるのではないか? そういう期待で託されたのかとも、さんざん考えたが、そうではなくて、【僕】というものでなければいけないとしたら。
手紙は、何らかの条件でそこまでしか書けないとする」
「ねぇ、サミュエル。意味不明でよく解らないのだけども?」
ロバートの言葉など無視してサミュエルは続ける。
「何らかの期限があって書けない。時間が決まっているとして、その短時間で手紙を書き届けるのは、届ける時間があればその間書いて翌日持ってくればいいのだ。だが、そうはしていない。手元に書いた手紙を置いておけないとする。この読みづらい字が歩きながら、時々止まった時に素早く書ているがために字が乱れているのならば解らなくもない。だが、そんな切迫した状態で書くのならば、もっと的確で短く書くはずだ。
オリバー・ジャクソンは誰々に殺された。と書くほうが数段いいに決まっている。
だが、そう書かない理由は? 犯人を知らない。もしくは犯人が書いている?」
サミュエルはそう言って二人に視線を向けた。
「犯人が殺害を告白していると? 何のために?」
「捕まえられるものなら? という挑発ですか?」
ロバートとライト記者が同時に言った。
「どう思う?」
二人は腕組をして同時に唸った。
「犯行を告白していたとして、」
「なぜ、サミュエルに手紙を出すんですかね? 警部ならともかく。いや、警察が相手しなければ、新聞社でもいいわけですよ。……告白でしょうかね?」
「それじゃないとしたら、いったい何のためにこんな解らない手紙を出すんだい? やっぱり、いたずらなんじゃないかな?」
「死因は自殺ではないを繰り返すだけならば、そう思っていたが……助けて。と書いている以上、どうにも見過ごせないんだがね」
「どこかに監禁されている人が居たとしますね」とライト記者、
「その人が、サミュエルと何かしら過去に会っていたとしましょうや、それで、助けを求めている。だが、監禁されているので、誰かに頼んでいる。監禁されているから、とにかく伝えたい言葉だけを書いて手渡されているから、こういう文章になったとしたら、あり得ない話じゃありませんよ」
「だとしてだよ?」ロバートが眉間にしわを寄せ、「そうなると、彼女はサミュエルとも、オリバー・ジャクソンとも知り合いでなければならない」
「持って来た人間は監禁されている人ではないのだから、知らなくて当然でしょう」
「じゃぁ、この、スイート・フィグをつける女性を君は知っているかい?」
ロバートの言葉にサミュエルは首を振る。
「ほら、やはり、いたずらなんじゃないか。というのが筋が通りそうじゃないか」
「いたずら、ですかい?」
ライト記者が首をひねった。
ロバートがトイレへと席を外した。
「サミュエル、どうしたんですか?」
ライト記者が小声で早口に言う。
「ロバートが保守的で、あまり進んでことを大事にしない性格なのは知っていますが、今回はえらく【いたずら】を強調していませんか? 非協力的とは言わないが、あまり乗り気ではないというか。それに、なんか、こう、」
ロバートが帰ってきた。
「いやぁ、暑いねぇ。電気がついてない廊下は涼しいが、まったく参るねぇ」
そう言ってレモネードを飲み干した。
ライト記者は上目遣いでロバートを見る。サミュエルはそんな二人を気にせず手紙に目を落としていた。
ライト記者が帰り、ロバートも眠るために部屋へ行った。
サミュエルは書斎の明かりをできる限り細めた。確かに明かりがあるだけで熱の感じ方が違うようだ。少し明かりが減っただけで風が入ってきている気がする。
ライト記者が帰る際に、サミュエルは
「ホッパー警部からも話が聞きたいねぇ。ワインを受け取った女がいたり、ワインの箱が違っていたりしたことの説明を」
「じゃぁ、帰りによって話してきますよ」
とライト記者は気持ちよく引き受けてくれたので、ホッパー警部が嫌がらなければ数日のうちにやってきてくれるだろう。その前に、頭を整理しておこう。
サミュエルは普段メモは取らない。頭の中で整理するのだが、今回はどうしたわけか、あのタニクラ ナルの白本を手にしていた。そして、ページを開く。
すぐに映想鏡のページが開いた。どうしてこのページがすぐに開くのかいまだに解らない。
「加筆してある?」
インクの色が鮮やかな文字が加えられていた。
【誰かに暗示をかけられたものが、鏡を見た場合、どうなるだろうか?】
サミュエルは背筋に悪寒を感じた。サミュエルがこの部屋を出る時はトイレや、寝る時だけだ。と言っても、この数日はこの部屋の、この安楽椅子に座ったまま眠っている。誰かの気配で目が覚めるほど眠りは浅いほうだし、トイレの所要時間だってそれほど長くはない。
それなのに、いったい、いつ、文字が書かれたのだろうか? それも、これを書いたのはタニクラ ナル以外居ないのだ。いつ、入ってきて、書いたのだろうか? そもそも、宋国にいるのだろうか? 彼女は自分から出不精で、国を出ることを極力避けたいと言っていたのに。
タニクラ ナルと出会ってから数年で宋国の鉄道は、隣国の更国を超えさらに規国を超え、朴国に伸びている。技術はさらに伝播し、遵国、楚国といった国から伸びてきていると聞く。以前に比べたら、濁国に住むタニクラ ナルも旅はしやすくなっているとはいえ、かなりの無精ものと見受けられた彼女が出張ってくるのだろうか? そもそも、宋国へ何しに来るというのだろうか? 妖魔が悪さをする場所が彼女には解るというのだろうか?
だが、今、サミュエルの身近に起こっている事件は、自殺に見せかけられた他殺事件で合って、妖魔が絡むような欲望的要因は見当たらない。
「だが、なぜ、この本にメモを取ろうと思ったのだろうか? ……たしかに、後ろの方は白紙のページだが、さすがにこれに書き込むような事件ではないのに……」
サミュエルはつぶやき、もう一度書き加えられた文を読む。
【誰かに暗示をかけられたものが、鏡を見た場合、どうなるだろうか?】
サミュエルは深くため息をついた。思考が停止するほどの熱波が急に入り込んできて集中を途切れさせた。
ページがパラパラと音を立ててめくれていき、サミュエルは今まで見ていたページがどこの何だったか忘れてしまった。
「これも、タニクラ ナルの力か……。監視されているようで、腹立たしいな」
そう言いながら、今晩は部屋で寝ることにするよ。とつぶやき、戸締り、火を消して自室に上がっていった。
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