肆 外界人 ソエ

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肆 外界人 ソエ

肆. 『外界人 ソエ』 十六歳の海時(カイト)  今日も変わらず渓流で水を汲む。  大城戸(おおきど)のおっさんとの修行を始めてから早くも六年という歳月を経た。修行を始めたばかりの頃とは身長も筋力も大分変わってしまった。こんな水汲みもどうとも思わなくなったくらい俺の体は成長したんだ。いつも通りに東の渓流から天秤棒を担いで住処へ帰る最中だった俺は森の外から妙な悲鳴を聞く。 ——え、なんだ?今の悲鳴。確かこの方向は…。森の外からじゃん!  俺は悲鳴が聞こえた森の北に向かった。そこには森の出口があるからだ。しかしここ数年間人が通わなかったせいか、草木の繁茂(はんも)で森の出口までの道を作るのに随分体力を使ってしまった。腰に刺していた刀を振りながら真っ直ぐ森の北へ向かうと、ようやく外への道が視界に入ってきた。俺は急いで森の外へ足を運んだ。森の出口に差し掛かるとたん、森とはまた違う、暖かくて湿気のない乾燥した風が俺の全身を包んで森の方へ流れていった。  俺は風で瞑った目を徐(おもむろ)に開く。すると俺の目に写っていたのは広い平野と|この森を囲っている細い網のような薄い壁だった。 「なんだありゃ?!あんな壁あったっけ?」  俺は一度顔を上げて高い壁を見上げた。そして再び下を向けると、二人の男が向こうの壁に付いてある鉄門に向かって歩いていた。その男たちは人が一人や二人は入れそうな大きさの木箱を二輪の手押し車に載せて運んでいる。俺は外界の人に会うのが久しかったから浮かれた気持ちで二人のところへ駆けつけた。 「おーい!おーーい!」  俺が二人に駆けつけて呼び止めると、二人は後ろを向いて俺をじっと見つめる。二人は全身黒の袴を着ていて、背中には大きく桃色のシレネのような花の紋様が描いてあった。二人とも腰には三尺(約90cm)はありそうな太刀を()いていて、一人は少し太った感じの、もう一人の方はガリガリで髭を生やしている。 「兄貴。こいつ僕らの邪魔しようとしてる。メンチにしてもいい?」 「やめとけ。俺らの任務はこの(あま)奴商所(どしょうじょ)へ連れ戻すことだ。余計な騒ぎは起こさん方…」 「な!な!二人は外界人なのか?」  俺は二人の話に割り込んで声をかけた。 「坊や、びっくりしたじゃねえか。外界人ってなんだい?」  ガリガリの人が笑みを作って俺に聞いた。 「俺、この森に住んでっからよ、森の外から来る人を外界人って呼んでるんだ。おっさんたちも外の人だろ?」 「お、おっさんだと…?!俺はまだ二十五なんだぞ!しばかれたいのか、クソガキ!!」  髭を生やしたガリガリの人をおっさんと呼ぶと、急に怒り出して俺の胸倉をつかみ上げようとした。すると、隣にいた少し太った人が止めながら言う。 「お、落ち着け兄貴!騒ぎは起こさないと言ったのは兄貴だろお。」 「え、髭はやしているからてっきりおっさんかと思った。(わり)い!」 「チッ、この髭は今流行りのファッションだぞ。まだ坊やがこのファッションを理解するのは無理か~。」 「まあ、それはいいとして、二人さんここで何してるんだ?荷物運び?」  俺は二人がなぜこの森に入ってきたのか訊くと、二人はそっぽを向いて言う。 「そ、そうだよ!この森には野生動物がうじゃうじゃしてるだろう?だから猪を狩って帰ろうと思って森に入り込んでたんだ。」 「そ、そうだそうだ!兄貴は狩猟(しゅりょう)の達人だからねえ。」 「へえ、じゃあそこに載っけってる箱の中にここで狩った猪が入ってるの?」 「そうなんだ!俺たち、街で肉屋をやっていてな。今日狩った猪は高額で売れるぜ。ハハハ…。」 と笑う瞬間、手押し車に載っていた木箱がガタガタして動き出した。俺は人に会えた歓喜でうっかりしていたここへ来た目的を思い出した。 ——そういえば女の悲鳴が聞こえて森の外へ出たんだった。  俺はあの動いている木箱が怪しくて、まずこの二人に訊いてみる。 「あのさ、ここら辺りで女の子の悲鳴聞いてないか?」 「さあ、知らないね。この森には俺ら二人しか出入りしてないからよ。」 「じゃあさ、その箱の中身ちょっと見せてもらっていいか?」  すると、二人の顔が急に無表情になり、こう答えた。 「それはできない相談だね。中に猪を閉じ込めているからさ。さあて、俺たちは今日も店の仕事があるから早く戻らなければならないんだ。これ以上俺たちの仕事の邪魔をしてくれちゃ困る。」  ガリガリの人は早くここから出ようとしていた。俺は森の猪の大きさを思い浮かべている。そして二人に言う。 「あのさ、それ知ってるか?」 「「ん?」」 「この森の猪はよ、こんなちっこい箱には入りきれねんだよ!!」  箱の中身が猪じゃないと確信した俺は左腰に刺していた刀を右手で握り、居合斬りで箱の上部を切断した。木箱の上部が剥がれると、その中には紺色のそそけた長い髪にボロボロの祖服を着たどこか見覚えがあるようなないような少女が口には口枷(くちかせ)を加え、手足は縄で縛られたまましゃがんでいた。俺は彼女を見て思う。 ——やっぱり箱に女の子が入ってる!って言うことは、こいつらはおっさんが言ってた悪い人だ!  俺が一瞬で木箱を切断して二人に顔を向けると、二人は激怒していた。 「このクソガキが、俺たちの邪魔をしやがって!!クサク!メンチにしていいぞ!」 「分かったあ、兄貴。」  太った男が腰の太刀をものすごい勢いで抜いて跳躍する。束の間、男は俺が立っているところへ太刀を打ち下ろした。すると刃では到底立たせない鈍く濁ったような轟音(ごうおん)が四方に鳴り響くとともに、大地に(ひび)が入っていく。俺は咄嗟に身動きが取れない彼女を片手で担いで後ろに下がる。危うく体が真っ二つに斬られるところだった。 「フエエッ、あんなでかい太刀をあんなに軽く振れるの?こりゃあ真っ向勝負では勝てないな…。」  俺は冷や汗を掻く。そしてさっき一撃を避ける時に間違えて地面に投げつけてしまった少女を見て訊く。 「おい、立てるか?」 「んん!!ん!」  少女は口と体を縛られたまま必死で体を動かした。どうやら、彼女が俺に何か伝えようとしているみたいだ。俺はすぐに彼女の口枷を外した。 「プアッ、とにかくこの縄をなんとかしてくれ!」 「わ、分かった!」  俺は彼女の手足を固く縛り付けていた縄を切り落とした。手足が自由になった彼女が服についた(ほこり)をパンパンと叩くと、顔色を変え一度強く足を地面に踏み鳴らして立ち上がる。俺は黙って彼女を見ていた。 「この(あま)が!!大人しく捕まれ!」 「ここは人の目もないし、刀もある。さっきみたいにやられないわ!」  激憤したガリガリの人は怒鳴りつける。 「クサク!早くやっちまえ!!相手はただのガキ二人だ!!」  俺は彼女に気を取られていた。彼女はそんな俺の手から刀を奪って二人のところへ進んで行った。 「ん?え?ちょ、ちょっと!俺の刀だぞ?おい!」 「うるさいわね!ちょっとだけ借りるわよ!」 「は、はあ…?」  彼女は足幅を広げて姿勢を低くする。そして異常な脚力で地面を弾いて跳躍した。あまりにも迫力がありすぎて、俺は足の力が抜けそうになった。真っ直ぐに跳躍した彼女はこっちに向かって走ってくるクサクという男を一瞬で斬り倒す。その居合はまるで風のような速さだった。 「クワッ…!!」 「く、クサク!!お、おい!貴様ら!!よくも俺の弟を!!ウッ…!?」  (のち)に彼女は音も立てずに後ろに突っ立ってたガリガリの人をも斬り倒した。 「え、いつの間に?今の全く見えなかった…。すげえ!でも…。おい!お前。この人たち殺す必要はなかったんじゃないか?」 「は?あんた、この人たちが何者か知った上でそんなこと言ってるの?」 「いっいや、知りませんけど…。」 ——なんて気の強い女だ…。気迫で潰されそう。女怖えぇ…。 「この人たちはね、奴隷商人なの。」 「奴隷商人?」 ——確かにおっさんも俺がガキの頃言ってたな。弱いガキは売られちゃうって…。 「この人たちは奴商所(どしょうじょ)の手下なのよ。あなた知らないの?」  俺は軽く首を縦に振ってみる。 「この国キギスには千年も二千年も昔から奴隷制度を取り入れている国なの。だからキギス城下町には貴族のための奴隷が売られている大規模の奴隷屋さんがあるのよ…。その奴隷屋さんが奴商所…。そこに監禁されている人たちはまるで動物のように貴族たちに売られて一生苦しい労働を強いられて死んでいく。もし死んだとしても物扱いされて裏山とかに捨てられてしまう…。」  彼女は渋面を作って辛そうに話を続けた。 「その奴商所を率いるシレネという男が、最初は半神(デミゴッド)を拉致して奴隷として売っていたよ。なのに、いつからか神族(しんぞく)もそのリストに加えられて、今や人族(じんぞく)まで奴隷として売ろうとしているの。お金に目が狂ってしまってる人なのよ…。絶対許せないわ。」  刀を握っていた彼女の手は戦慄いていた。俺は彼女に訊いた 「じゃあ、お前もそいつらに拉致されてたの?」 「私は自分の足で入ったの。そこにいる人たちを救うために一人で潜入していたらなんでか発覚されてしまって地下牢に閉じ込められてたの…。」 「どうりでそんな貧相な身なりしてたわけか。」  彼女が両手で服を隠して言う。 「なによ!仕方ないじゃない。持ち物全部持っていかれてしまったもん…。だから取り戻しに行かなくちゃ。」 「また、一人で行く気か?同じ目に合うぞ?」  俺は思わず彼女を止めた。 「でも行くしかないよ。早く行かないとあの子たちも奴隷になってしまう…。あそこは地獄となにも変わらないところなんだよ…。私が行かなきゃ誰もあの子たちを助けてくれない。」 「じゃあさ、俺が助けてやる。」  彼女は呆れた顔をして言う。 「え、ふざけないでよね。あなたこの二人も倒せなかったじゃない。刀だけはいい代物持ってるくせに。」 「はあー?!てめえが勝手に俺の刀で暴れ出したじゃんかよ!!」 「あっそうだったわね。ごめん、刀返すわ。」  俺は彼女から刀を返してもらってすぐ鞘に収めた。 「てか、まさかお前手ぶらでそこに乗り込む気じゃないよな?」 「ウウッ…。」  図星だった。 「作戦とかは?」 「本当に急いでたからまだ何も…。」  彼女はさっきの自信満々な態度はどこに行ったのか、急に自身なさげな声で言った。 「はあ…、その子供たちを助けたい気持ちは分かるけどよ、自分のことも考えて行動した方がいいぜ?」 「でも、本当に私しか…!」  俺は彼女の肩にそっと手を当てた。すると森の方からいつもの気持ちいいそよ風が吹き俺と彼女の髪の毛を(なび)けた。 「俺もいるさ!俺もその子供たち助けたい。だからやるとしても一緒にやろうぜ。」 「あんた…。フフッ、ありがとう。」  彼女は一人で背負っていた悩みから解放されたんだろうか、俺に礼を言って安堵(あんど)のため息をつく。そして俺に訊く。 「そういえば、あんたはこの森の人?」 「そうだよ。でも俺はこの森から出るつもりなんだ。」 「どこに行くの?」 「どこにでも行くんだ。俺ずっとこの森が大好きだったけどさ、森の外はもっとすごい世界があるって聞いたよ。だから俺は自分の目でそれを確かめたいのさ。」  俺は目を光らせて語った。 「へえ、そうなんだね。昔のこと思い出すわ。」 「昔?」  微笑んでいた彼女は靡ける横紙を耳にかけながら言った。 「うん。私、前に一度だけこの森に遊びに来たことがあるの。その時、森の中で迷子になってちょうどこの森に住んでいた男の子に偶然出会ったの。でね、その子この虫だらけの森をずっとすごいだの綺麗だの言いはやしてたの。別れる時にまた来るって言ってたけど結局あれ以来一度も来れてなかったなあ。その子は元気かな…。」  俺は彼女の話を聞いた途端、六年前森で会った綺麗な恰好をしていたあの女の子を思い出した。そして今目の前で語っている少女の顔をじっと見据えると六年前のあの女の子と重なって見えて来た。 「お、お前がその六年前の…?」 「ん?え、嘘。まさかあんたがその時の…?」  俺は遠慮なく彼女の両腕を握って大喜びした。なんでか彼女の頬が少し赤くなっているようにも見えたけど、俺は話に夢中になった。 「あん時また来るっつって来なかったから嘘かと思ってたぜ?」 「あ、うん。そうだね…。また来たかったけど少し事情があったから…。」  彼女の顔はさっきよりも赤くなった。 「まあ、でも今遊びに来てくれたし!俺が森を出る前に来てくれてよかった!」 「べ、別に遊びに来たんじゃなくて追手から逃げ回ってたらたまたま偶然ここに辿り着いただけよ!」 「まあ、結果的にまた来たんだからいいじゃん!あ、あの時訊けなかったけど、お前、名前は?」  彼女に名前を訊くと彼女は五秒くらい間を置いてから名前を教えてくれた。 「ソエ。これが私の名前よ。」 「ソエか。俺は海時(カイト)!よろしくな!」 「うん、海時。」 「それより、せっかく森に来たんだから案内してやるよ!」  俺は彼女の手を握って森の方へ連れて行こうとした。 「ちょ、ちょっと待ってよ。私たちの目的忘れてないよね?」 「子供たち助けに行くんだろ?」 「そ、そうだけど、森で遊んでる暇なんかないわよ!」  彼女は森に戻るのを拒否した。しかし俺は無理やり彼女を引っ張る。 「とりあえず息抜きだよ!そんなに何もかも一人に背負ってたら、いざ戦う時に戦えなくなるんだぞ?」 「ヌンン…。じゃあ、早く済ませてよね?」 「おう!行こっ!」  俺は彼女の手を引っ張って森へ走り出した。引っ張られて困った顔をした彼女がなぜか可愛らしい。
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