素直な世話焼き男子

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素直な世話焼き男子

 瞬く間に時は過ぎ、真孝(まさたか)との温泉旅行の当日を迎えた。  前日は、なんだか柄にもなく緊張しちゃって、色々女の子らしい準備をしてしまった。ムダ毛処理とか、新しい下着とか着ていく服とか。お風呂で髪をまとめるターバンとか?  泊まりの温泉旅行なんて、家族とだって子供のころしか行った記憶がない。  浴衣だって、うまく着られるかどうか。心配だったので着かたも検索しておいた。  真孝は、温泉卓球がしたいだけみたいに言ってたけど、本当の所はどうなんだろう?  真孝は真面目だからなあ、たぶん、エロいことはないな。きっとない、はず。    楽しいこと考えよう! 温泉で卓球。大浴場とか、露天風呂とかどんなだろう。  それから、豪華バイキング!  ふふふふ。楽しみ~。  一泊だけど、それなりの荷物を持って、家を出る。  ここから一番近い山間の温泉街の旅館だから、車で一時間もかからない。あんな素敵な所があったなんて、知らなかった。  十二時に出発して、どこかでお昼を食べてから旅館へ行く予定だった。  真孝は、すでに車を出してアパートの前で待っていた。さすが。 「真孝、お、はよ? かな」 「おはよう。利衣(りい)」  真孝の薄く青みがかったシャツは目にも爽やかで、黒系のデニムも似合ってる。いつも卓球をしに行く姿と何も変わらないのに、今日は特別素敵に見えるのはどうしてだろう。  初夏の日差しと、真孝の優しい笑みが眩しい。  私は真孝の隣にいて、おかしくないのかな。  レースが裾にあしらってある深緑のチュニックに、オフホワイトのシンプルなカーディガンに同系色のデニム。髪はショートだったけど、肩に付くくらいまで伸びたから、揃えてもらって毛先に緩やかなパーマをかけた。 「荷物、これだけでいいの?」 「うん」  真孝が私の旅行バッグを受け取って、車の後部座席に乗せた。 「じゃあ、乗って。お昼はさ、蕎麦でいい? 街道沿いに美味しい蕎麦屋があるらしい」 「いいよ。夜は豪華バイキングだから、お昼はシンプルがいいよね。さすが真孝」 「利衣、胃薬持ってきたか?」 「そ、そんなにがめつくないから」 「へえ、食べすぎ飲みすぎには気をつけろよ」 「わかってるもん」  私たちは、途中のお蕎麦屋さんでざる蕎麦を美味しく食べてから、旅館にチェックインした。    部屋は、普通の畳の部屋で、座卓があって床の間にきれいな紫陽花がいけてあった。部屋の窓からは、パンフレットと同じように川が見えてその先に森が広がっている。広縁に、ひじ掛けの椅子とテーブルがあるから、外の眺めも楽しめる。部屋には既に布団が二組並んで敷いてあって、少しだけ心臓が高鳴ってしまった。  真孝もそうだったみたいで、荷物を置くとすぐに部屋の電話で卓球台の申し込みを始めた。  一時間五百円。二階のレクリエーションホール。 「やっぱり、卓球で汗を流して、一度温泉に入ってから夜ごはんだよね」 「そうだな。夕飯のバイキングは五時三十分から八時三十分までみたいだから、その間にレストランに行けばいいし。まずは浴衣に着替えるか。利衣も着替えろよ。そっち見ないから」 「え? 浴衣着て卓球するの?」 「あたりまえだろ。温泉卓球なんだから」  そう言うと、真孝はシャツを脱ぎだした。    ちょ、待てコラ。なんで急に脱ぎ出す!  一応、真孝が私のほうを見てないのを確認してからチュニックとデニムを脱いだ。タンクトップを着てるし、下もスパッツをはいてるから、まあ見られても平気なんだけどね。  浴衣の着かたを調べておいてよかった。 「利衣、必ず丹前(たんぜん)は着ろよ」  背中のほうから、声がかかる。 「わかってるよ」  裾をそろえて、右身ごろから体に当てて左身ごろを合わせる。で、帯を二重に巻いて体の横で蝶結び。  着られた〜、良かった。 「もうそっち見てもいいか?」 「いいよ!」    浴衣に着替えた真孝の姿が、なんだかカッコ良すぎて、思わず息を飲んでしまった。姿勢が意外と良くて、きりっと見える。肩幅がありすぎない所も浴衣には良いのかも。清潔感もあるし、それほど和風な顔立ちでもないのに、髪の色も少し明るいのに、似合ってる。 「真孝、かっこいい」 「利衣も似合う。可愛い」 「ありがとう」  なんだか、ふたりでカタコト喋ってるし。  思わず顔を見合わせ、ふたりで笑い出してしまった。 「利衣……」  目の前に真孝の胸が迫る。   「あっ……」  真孝の長い腕が私の背中に余裕でまわって、抱き寄せられていた。 「もっと早くこうすれば良かった 」 「真孝……」  うわー、なんだろう、この温もりに包まれる安心感。  とんでもなく幸せな気持ち。  このまま時が止まっても良いと思えるような瞬間かも。  ぽーっとなって真孝を見上げたら、予期せぬ唇が降ってきて、それは私の唇や首元に何度も吸いついた。軽くだけど。  ま、真孝でも、真孝なのに、こ、こ、こ、こういうこと、するんだ!?  真孝も男だと再認識せざる負えなくなって、心臓がバクバクした。  息苦しい。刺激が強すぎ!  もっとファーストキスは爽やかなものかと思ってたのに。 「利衣、ごめん。嬉しくて最初からがっつき過ぎた」  素直に謝られた〜!  嬉しくて、とか、素直すぎる!  卓球どころの話では……。 「じゃあ、行くか。温泉卓球」 「う、うん……」  真孝、切り替え(はや)!  でも、これじゃあ、夜はどうなるの!?    旅館の卓球スペースは、卓球台が六台も並んでいて、充実していた。既に何組かの家族連れや社員旅行風の人たちがワイワイキャッキャと楽しそうにラケットを振っていた。  私たちは、もちろん持参したマイラケットとマイボールをケースから取り出す。そして、軽くウォーミングアップ、そして勢いがついてきて、まわりの宿泊客を圧倒するような熱いラリーを繰り広げ……?  ところが、すぐに中断。眉間にシワを寄せた真孝がわざわざ私の所にやって来る。  そして耳元で、温泉卓球は遊びなんだし、裾が乱れるほど足を開くなとか、浴衣の帯が緩んで着崩れたら大変だからあまり本気になるなとか、注意された。  中に着てるから平気なのに、と口をとがらせると、そういう問題じゃない、、、とのお小言。 「俺が気が気じゃない」 「はいはい、まわりのキャッキャに合わせますよ」 「利衣、温泉卓球なんだから……」 「何度も言われなくてもわかったってば」  頷いて、裾がバタつかない程度のゆるゆるのラリー、たまに熱くなりかけると、すかさず真孝が私の所に注意をしに飛んでくるけど、それはそれで内心浮かれた。  真孝に世話を焼かれている感じが、なんだかとっても心地よかった。
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