真孝の笑顔

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真孝の笑顔

 私たちは温泉卓球を満喫、軽く汗もかいたので、良い感じでお待ちかねの温泉タイム!  ふたりでやって来た大浴場の入口で、また真孝(まさたか)から注意を受ける。  もう、お母さんか、っての。 「ここからは別行動だけど、帰りは部屋を間違えるなよ。俺の方が早いと思うから、風呂出たら先に部屋に戻ってる。とにかく色々気をつけろよ」 「大丈夫! 子どもじゃないんだし」 「だからだよ」  社会人になって、眼鏡からコンタクトにかわった真孝の少し明るめでツヤっぽい瞳。  ただの同級生で卓球仲間だった時は感じなかったのに。意識し合って気持ちが通じ合うと、こんなに胸がときめくんだ。  恥ずかしさを隠して、女湯と記してある赤い色ののれんをくぐった。  湯けむりの中に、広々とした豪華な大浴場が広がる。石造りでも、壁に一部使われているからか、(ひのき)の香りがほんのり漂う。  温泉なんて、ほんとしばらくぶりだなあ。  広いお風呂最高!! 真孝感謝!  寝る前とか明日の朝にももう一度入ると思うし、今は早くあがって、真孝に渡すお礼のお土産をこっそり売店に見に行こう。  お土産選びに思っていたより時間をとられてしまったらしい。  部屋の前に、なぜか真孝が怖い顔して立っていた。 「利衣(りい)! 遅い」 「ごめん、ごめん。温泉が気持ちよくて、ゆっくりしちゃった!」  売店に寄ったことは内緒にした。 「心配した。どこかの部屋に連れ込まれたんじゃないかって。スマホに連絡してたのに」 「え? 見てなかった。気が付かなかった」 「なんでもないならいい。旅館だと、酔った客とかもいるから、油断するなよ」  真孝に肩を抱かれながら、部屋に戻った。入口の引き戸を後ろ手に閉めた真孝に、すかさず抱きしめられた。その力強さに驚く。  真孝ってこんなに心配性だったっけ? 「利衣って、こんなに華奢だったんだ」 「へ?」 「もっと肩とかがっちりしてると思ってたから」 「う、うん」  とにかくこういう会話すら気恥ずかしい。  真孝は恥ずかしくないの?  視線を上に向けると、真孝もほんのり赤くなってる?  突然身体が浮いた。  安定を無くして、真孝にしがみつく!  私の足からはスリッパが落ちた。  真孝は、私を抱え上げたまま部屋の中に移動した。  はわわわっ!!  これは憧れのお姫様抱っこというやつやん!? 「おも……ったより軽いな。起きてるからか」 「嘘! 重いって言おうとしたでしょ?」 「そんなことな……」 「無理しなくていいから降ろしてよ」 「り、利衣、暴れるなって!」  足をバタバタさせたら、やっぱり耐えられなくなったらしい真孝と、もつれながら布団に崩れ落ちた。  ありがちなシチュエーション!!  が、自分に起こるとは!?  布団に横たわる男女の図。  でも、私の方が真孝(おとこ)の上に乗って、頭の脇に手を着いて見下ろしてる形になっている。  上下逆じゃん!  もう、この際、私からキスでもして襲ってやろうか!?  と、思った瞬間、  ピンポンパンポーンと館内放送が鳴った。  私たちの動きは止まったまま。 『ご宿泊の皆さまに、夕食のご案内を申し上げます。本館二階、鳳凰(ほうおう)の間におきまして、和洋バイキング形式のご夕食の準備が整いました。本マグロの握り、牡蠣のグリル、米沢牛のヒレステーキ、松茸の土瓶蒸しなど、人気のメニューには限りがございます。どうぞ、お早めにおいで下さいませ。なお……』  心躍るフレーズ満載の夕食バイキングの案内が始まって、聞き入ってしまった。  本マグロ? 牛ステーキ! 牡蠣、松茸!?  お腹空いた。  お昼はお蕎麦だけだったしなあ。  卓球して動いたし、温泉に入ったし。 「はー、やっぱりな。利衣は色気より食い気か。社会人になっても」  真孝が私の下でクスッと笑った。  ので、そのまま抱きついて真孝の耳元で囁いてやった。   「お楽しみは、あ・と・で・ね」  どうだ参ったか真孝! この色気のあるセリフ!  真孝がビクビクってなったことに満足して、身体を起こそうとしたら、 「へ、……っ!?」  あっという間の、早業!  上下が入れ替わってるし!?  形勢逆転というやつ。  私の方が、真孝に見下ろされているし。 「あんまり煽るなよ。こっちは我慢してんだから」  ぇぇええ。  慌てふためく私の動きは、おでこへの真孝の一撃(キス)で止められた。  仰向けで、少しぼーっとなったままでいると、 「利衣、バイキング」  その真孝の一言で、妖夢の世界から呼び戻される。  クスッと妖艶な笑みを浮かべる妖魔(まさたか)に手を引っ張られ、身体を起こされた。  その後、私たちは、豪華なバイキングに舌鼓をうち、おなか一杯食べて、そしてまた温泉に入った。  私はずっと、笑っていたと思う。  私が温泉から部屋に戻ると、真孝は広縁の椅子に座って外を見ながらお茶を飲んでいた。 「ただいま~。いいお湯だった。もう、広いお風呂いいね。外の露天風呂も最高だったよ!」 「ああ、露天風呂、良かったよな。今度来るときは、露天風呂が付いてる部屋にしようか」  今度!?  しかも部屋に露天風呂とか! 付いてる部屋あるんだ!? 「え? じゃあ一緒に入るの?」 「だめ?」 「ま、真孝は恥ずかしくないの?」 「正直少し恥ずかしい。でもそれ以上にゆっくりふたりで露天風呂を楽しみたい」 「か、考えておく」  ふたりで広縁の肘掛椅子で、ライトアップされている夜の庭を眺めながら、お茶を飲んで過ごしていた。  お土産、渡すなら今だ!   「真孝、ここに連れてきてくれて本当にありがとう。これね、売店で一目惚れしたから、お礼にあげる」  温泉のロゴの入った小さめの紙袋を渡すと、真孝は目を丸くした。 「利衣が俺にこれを? あ、ありがとう。見て良いか?」  真孝は顔を綻ばせながら、袋を開けて中身を取り出した。  それは、眼鏡をかけたペンギンが卓球のラケットを持っているマスコット付きのストラップ。  寸胴(ずんどう)の眼鏡のペンギンが可愛いし、ラケット持ってるなんて珍しくない?  実は内緒だけど、おそろいで私も一緒に同じの買ったんだよね。私のは、眼鏡じゃなくて頭にピンクのリボンをしてる。ふふ。  真孝は立ち上がって、わざわざ私の座る椅子の方にやって来ると、手を伸ばして抱きしめてきた。 「利衣、ありがとう。嬉しいよ!! たとえ斜め上を行くセンスでも。これに一目惚れ……って。よく見たら手にしてるのは卓球のラケットじゃなくて、しゃもじじゃないか? まあ、(たで)食う虫も好きずきとはよく言ったものだ。……俺か」  真孝にギュッて抱きしめられていたから、何かボソボソ言っていたのは聞き取れなかった。  でも、喜んでくれていたのはわかった。  良かったぁ、喜んでくれて! 「そろそろ寝るか」 「うん」  心臓がドクッと鳴った。 「じゃあ、おやすみ」  真孝はスっと私から離れると洗面所に行って、歯磨きをしてトイレに行った。そして、戻って来るとさっさと布団に入ってしまった。  しかも、私のほうに背を向けて。  え? 私は拍子抜けした。  一連の流れは、これで終わり?  さっきはあれだけ思わせぶりな態度をとっておきながら。今だって、混浴とか匂わせておいて。  何も無し?  まあ、確かにここで何かあっても困るといえば困るんだけど。  おやすみのキスも無し? なの?  私も歯を磨いて、そのまま寝るつもりだったけど、真孝の背中を見ていたら、せっかくの温泉旅館なのに何か物足りない気持ちがムクムクと湧いて来て、真孝にいたずらをしかけたくなった。  私は、真孝の布団にササッと潜り込んで、真孝の大きくて広い背中にぴとっとくっついてみた。 「り、利衣、何してる?」    真孝がピクッと動いて、声は硬く上ずっていた。 「さっさとそっち向いて寝ちゃうなんて寂しい。添い寝しないの? 添い寝ならしても良いよ」 「……そ、添い寝だけって、意外と難しいんだからな。人の気も知らないで。早く自分の布団に行け」 「やだ」 「襲われたいのか?」 「いいよ~」  真孝だし、きっとキス止まりだよね。 「軽々しく言うな」  ふふ、真孝の反応が面白くて、さらにいたずら心に火がついた。 「じゃあ、背中に書いた文字を読んでくれたら、自分の布団に行くから」 「変なこと書くなよ」  真孝の背中に、【バカ】って書いた。 「おいっ!! 子どもか」  くくく、可笑しい。  【ダイスキ】  そう書いたら、真孝がピクリとも動かなくなった。  あれ?   次の瞬間、真孝は物凄い勢いで起き上がると、横を向いていた私を転がして仰向けにして、両肩を掴んでのし掛かってきた。 「きゃっ、ま、さ……?」  さっきとは違って強ばった顔をして、私のことを見下ろしている。 「俺の背中に書いたこと、利衣の口から直接聞きたい!」 「バカ?」 「利衣、こっちは限界なんだ。本気で襲うぞ」 「う、うそうそ、ダイスキだよ。真孝。いつも好き……」  真孝が大きく息を吐いた。 「うっ、もう、ダメ……。少し襲わせて」  そう言った真孝の唇の猛攻を受け、さっきとは比べものにならないくらい容赦なく貪られ、無駄口もたたけない状況に追い込まれた。  真孝の熱に私はトロトロに溶かされてくたりとなったけど、ぎっちり真孝の腕にホールドされて幸せな眠りについた。  うーん、なんだか苦しい、暑い、重い。 ◇  チュンチュンという鳥たちのさえずり。  真孝の腕枕で目覚め……なかった。  あれ? 一緒に寝たはずなのに、なぜか真孝が隣の布団にいた。 「ごめん、利衣の寝相がひどすぎて、朝まで一緒の布団無理だった」  な、んで。うそ、憧れの朝チュンが~。  起き上がると、布団がずり落ちた。 「て、え? あれ、浴衣着てない!? ちょっと、真孝脱がせたの? いやらしい」  焦って掛け布団を持ち上げて身体を隠す。 「待て、利衣が夜中暑い暑いって、自分で脱ぎだしたんだよ。俺はちょっと……帯を手伝っただけで、脱がせてない。いいじゃないか、中にちゃんと着てたんだから」 「み、見たの?」 「そりゃ、浴衣脱いだんだから自然と見えるだろう。男と温泉旅行に来てるのに、色気なさすぎだし。タンクトップにスポーツブラ、膝までのスパッツの上に浴衣着てたなんて。さすがに萎える。き、気持ちがな」 「だって、温泉卓球しに来たんだし。真孝がそう言ったんじゃない。いつ卓球に誘われても良いようにしてたの」 「むっ、俺を弄んだ罰」  布団ごと真孝にきつく抱きしめられた。 「いい加減、観念しろ。利衣」 「真孝?」 「これからも、年とっても俺と卓球しような。利衣と卓球してる時が一番楽しい。ずっと俺のパートナーでいて欲しい」 「うん。ずっと、パートナーでいてあげる」 「子供は最低二人な。卓球はひとりじゃできないからさ」  ん? 子供?  パートナーって、卓球の? じゃなかったみたいだね。  って、まさか、プ、プロポーズのつもりじゃないよね。  見上げると、真孝が笑ってる。  私と一緒にいて、笑ってくれている。  だから、まあ、どっちでもいいか。  今、真孝の一番近くにいる女子は私だけだって、知ってるし。    真孝のこの優しい笑顔を、ずっとこの先も一番近くで見ていたいと思った。
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