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幼馴染ではない
はっきり言って、私と加宮真孝は幼馴染ではない。
なのに、あいつは私のことを幼馴染だと言う。
だいたい幼馴染というのは、小学生くらいまでに仲良くなった友達のことだと思う。
真孝と初めて出会ったのは中学一年生の部活。だから同級生だけど幼馴染ではない。二、三年は同じクラスだった。部活も一緒だったから、それなりに話はしたし他の男子よりは仲は良かった。だからといって幼馴染ではない。
高校、大学は別々。真孝は頭が良かったから県立高校、国立大学に進学。私は近場の私立高校、そのまま推薦で大学までエスカレーターであがった。
中学を卒業しても真孝と繋がりを持っていたのは、ただ単に卓球仲間だったから。技術が同レベルだからというのもあるが、受験勉強の合間とか気晴らしとかを理由に、よくふたりで誘い合って近所の市民体育館で卓球をした。
大学を卒業して、お互い地元の企業に就職した今でも、週末は用事がなければふたりで卓球を続けていた。
そろそろ親元を離れて、独立しようかと考えていたある日、真孝から好条件のアパートがあると持ち掛けられた。
お父さんとふたりで親子ローンとかでアパートを建てたそうなのだ。つまり、真孝が大家さんなのだ。一部屋だけ借り手が付かないので、私にどうかと提案してきた。家賃を幼馴染価格にしてくれるというので、一人暮らしに憧れていた私は二つ返事で飛びついた。真孝が大家さんなら色々便利だし、安心だ。
◇◇◇
「今日はちょっと飲み過ぎたなあ~、こんなに足に来たの久しぶりかも」
今日は金曜日、一人暮らしスタート記念に会社の同期たちと飲んで、タクシーでアパートまでやっとこさ帰ってきた。
酔っ払って帰って来たって、午前様だって、親に文句を言われることもない。
自由だあああ~! でも階段上がるの面倒くさい。
私の部屋は2階だ。
外階段をふらふらと上がりながら、鞄から部屋の鍵をエイっと取り出したのはいいけれど、鍵が勢いよく手すりを飛び越え飛んで行った。
え? あ、ヤバイ!! 部屋の鍵、下に落とした~、嘘!!
手すりに掴まりながら階下まで降りて行って、ふらつきながら鍵を探したが外灯だけでは薄暗いというのもあって見つからないし、見当たらない。
どうしよう。あ、こういう時のためにあいつがいるんだった。
私は一階の103号室に行って、インターホンを押した。が、何度鳴らしてもいくら待っても返事はない。部屋から灯りは見えないし物音ひとつしない。
真孝いないの!? スマホで連絡するか。
スマホ、スマホ、って、うわっ、電池切れじゃん。なんで、今日に限って真孝いないの!?
ま、真孝だから外泊なんてしないだろうし、そろそろ帰って来るよね。
私は酔いが回ってたし眠気にも勝てず、どうでもよくなってきた。鞄からエコバッグを出すとそれを真孝の部屋の前に敷いてその上に座って待つことにした。
『利衣、大丈夫か? ほら、起きろ、立て』
『……ん、真孝? ……眠い、立てない、寝る』
『起きないと、襲うぞ……』
『……へへ、いいよ……』
『ぐ……。見返りなしで面倒見てやるのは、幼馴染のよしみだからな』
『だから、私たちは、幼馴染じゃな……い』
頭にもやがかかっていたけど、真孝とのそんなやり取りは覚えている。
真孝がいるなら、安心して眠れる。
『み、水、水が飲みたい、喉渇いた……』
ん、夢? 誰かが潤いをくれた。
チュンチュン……。
微かに聞こえる鳥たちのさえずりが心地良い。
ん? これはお味噌汁の匂い?
なんで? それにカチャカチャと食器の当たる音もする。
私、一人暮らしになったのに?
昨夜、実家に帰って来たんだっけ?
「お母さん?」
「誰がお母さんだ」
ん? 低めのトーンで抑揚の少ない男の声。
まだあまり働いていない脳みそから、それでも目を開けるように指令が出る。
それに従うと、ぼんやりと視界が広がった。
「ま、真孝!?」
すなわち、このアパートの大家さんかつ幼馴染もどき……の無駄に整った顔。
布団に横になっている私を無表情で見下ろしている。
「な、なんで、真孝が私の部屋に?」
てか、違うっ! 私の部屋じゃない!?
私ベッドだし! 今寝てるのは布団!
「覚えてないのか。おまえ、昨夜、俺の部屋のドアの前にだらしなく座り込んで寝ていたんだぞ」
「へ?」
「おまえの行動は大方予想がつく。昨夜仕事帰りに、酒を飲んで酔っ払って帰ってきた。金曜日だったから、少し飲み過ぎたんだろ。ようやく部屋までたどり着いたのに、部屋の鍵を落とした。これな」
「あああ」
真孝が私の部屋の鍵を手にぶら下げている。
アパートに入居するときに渡された203というタグ付きのもの。
まだ入居したばかりなので、キーホルダーも付けないで、そのまま使ってたやつ。
「危ないだろ。夜遅くに女子が、酔っ払って外で寝てるってどういうことだよ。ここで俺を待ってればなんとかなると思ったのか? 面倒くさがりのおまえは鍵を探そうともせず、合鍵を持っているであろう大家の俺を訪ねてきた。ところが、俺は昨夜は残業だったから留守で当てが外れた。インターホンの画像を見たけど、スマホは電池切れだったから、俺に連絡できなかったんだろ? おまえの嘆く姿が録画されてたよ。残念ながらスペアキーは別の場所に厳重に保管してるから、ここには置いてないんだよ。まったく……俺が一晩帰って来なかったらどうする気だったんだよ」
滔々と私の昨夜の行動をお経のごとくリフレインする真孝の声は子守歌。
意識が遠のいていく。
「おい、二度寝するな」
「ご、めん」
ぶつくさと母親のように私にお小言を言う真孝。これじゃ一人暮らしの意味ないじゃん。
まあ、でも確かに真孝の言う通りで、鍵を落として探す気力も無くて、真孝を頼ってしまった私は何も言い返せないんだけど。
着ていたジャケットは脱がせてくれたみたい。ブラウスとスカートはそのまま。当然と言えば当然か。私たちは恋人でも幼馴染でもない。ただの同級生。
「おまえは熟睡していて、起こしても全く起きなくて。おまえを抱えてアパートの階段をあがるのは危険だと判断した。だから、しかたがなく俺の部屋に泊めた」
しかたがなく、が強調された。
はい、そうですよね。
「ほんとに、ごめん。迷惑かけて」
私は布団から降りて、畳に正座した。
部屋を見渡すと、布団は一組しか敷いていない。
て、ことは、真孝はどこで寝たんだろう?
布団の横に昔ながらの小さいちゃぶ台があって、そこにまだ湯気の出ているご飯にお味噌汁、目玉焼き、もやしとほうれん草とわかめ? のおひたしが二人分並べてあった。
「まあ、せっかく用意したから、朝飯食ってけよ」
「これ、真孝が?」
「一人分も二人分も準備の手間は同じだし」
「ありがとう。じゃあ、遠慮なくいただきます!」
お味噌汁には、大根とねぎと豆腐が入っている。何かの出汁の味もして、すごい、美味しい。
絹ごし豆腐が、、、、見事に三角に切られている!?
真孝、何者?
「ああ、簡単だよ。包丁を斜めに入れればいいんだよ」
そんな、さらりと言うなんて。何者?
「……お味噌汁、美味しい……」
程よい熱さと味噌の濃さが、丁度良い感じに二日酔いの身体に染み渡る。解毒効果がありそう。
ふう、と大きく息を吐いた。脱力。
フッと、真孝の声が漏れた。
「それは、良かったな」
出た!! 最近大人の色気が出てきたのをいいことに、たまに私に向けてくる瞬殺微笑!
真孝は中学時代、鼻筋の通ったわりかし整った顔立ちで秀才だったから、それなりに目立っていたとは思う。
でも、色白でひょろっとしてたし眼鏡だし地味な卓球部だったし、体育は苦手っぽかったし、よく学校を休んでたし。だから、女子にそれほど人気は無かったようだった。
当時は今よりもずっと無表情で、いつも静かで感情を抑えた話し方をしてた。動きも少なくて、みんなから蝋人形とかアンドロイドとか言われてた。
味噌汁を飲んですっかりくつろいでしまった私の惚けた顔を、じっと見ている少し薄い茶色の瞳。男子なのに陶磁器のような滑らかな肌。今ではすっかり成人男性の体格になって、物憂い雰囲気は色気を醸し出している。いまだに彼女っていないんだろうか。
いたら私と週末に卓球なんてしてないか。
私はと言えば、真孝とは真逆の容姿。良く言えば、目は大きいけどそれだけ。眉は太いし鼻は低い、肌は焼いてもいないのに年中小麦色。身長体重は平均。まあ、胸も普通、コンパクトな体型だ。
今は寝起きのぼさぼさ頭、メイクは昨日のまま、顔も洗ってないから目やにもついてるかも。
そんなにじっくり私の顔見ないでよ! さすがに恥ずかしい。
一人暮らしするようになって、まともにこんな朝食を食べたのしばらくぶりかも。ついつい、トーストパンとコーヒーくらいで済ませてたからなあ。
うわ、このおひたしも美味しい。もやしはシャキシャキの歯ごたえ、ほうれん草の緑は鮮やか、めんつゆであえてあるみたいで、まろやかな味わい。わかめの風味がなんともいえない。おひたしにもわかめって合うんだ。
目玉焼きに、私は醤油をたっぷりかけたけど、真孝は塩? だけ? だった。
まあ、好みはそれぞれだからね。
ご飯とお味噌汁もおかわりするほど美味しかった。お礼に食器の片付けは私がして、真孝がその後お茶を出してくれたので、それをふたりでくつろぎながら飲んでいた。
「本当に、何から何までありがとうね。泊めてもらっちゃって、美味しい朝食までご馳走になって、真孝が大家さんで幼馴染枠の同級生で助かった」
私がそう言うと、真孝の目つきが厳しいものに変わった。
「枠ってなんだよ? 俺たちれっきとした幼馴染だろ?」
「え? 中学からだとたぶん同級生の括りで、幼馴染とは言わないんじゃない?」
「概念の分類としては、出会ったのは12歳だから幼馴染でいいんじゃないか?」
「くどい。出たよ~、真孝の【幼馴染論】。概念とかカテゴリーとか出して来て、語ると長くなるやつ……」
「……わかったよ。そんなに言うなら、もう俺はおまえの幼馴染枠はやめてやる」
「え?」
一瞬、寂しいという思いが私の胸に湧いたのはどうしてだろう。
「……そうだ。泊めてもらったお礼をしないとね」
「礼はいらない。俺もおいしい思いをさせてもらったからな」
「おいしい思い?」
私が首を捻ると、真孝は静かに口角を上げた。
なんだか、美しい悪魔のように見えたのは気のせい?
「俺は利衣が思うほど、聖人君子じゃない。おまえを介抱したのは見返りは求めないが、下心ありだった」
「はい?」
真孝が、下心なんていう単語を使うはず……、
「酩酊状態で熟睡している無防備なおまえを抱き上げ、部屋に引き入れ、ジャケットを脱がせ、ブラウスの胸のボタンをふたつほど外し寛がせ、自分の布団に寝かせたんだぞ。それに……。いや、なんでもない」
……ないと思ってたのに。まあ、堂々とカミングアウトしてるのに、かすかに恥じらってる顔、ちょっと可愛いんですけど。
「外で声を掛けて起こそうとしたけど、おまえは朦朧としてて……」
確かに、記憶が断片的で、あんまり覚えてない。
「おまえは力無くくたりとしていて、俺にその身体をすべて委ねてきた」
身体を委ねるって、言い方!
「全体重をかけてくる女を支えるんだから、自然と身体のあちこちに触ることになる。だから肉付きや身体つきはわかる。靴を脱がせる時には足首も触った」
誰? こいつ。真孝の仮面をかぶった別人? 全身が熱く火照ってくる。
「布団に寝かせる時は、腕に抱えたおまえの頭部を支えながら、衝撃を与えないように緩やかに静かに枕に降ろした。当たり前だが自然と顔も近づく。ほくろの位置、肌の荒れ具合、毛穴、唇の形状、酒臭い息、のわりに甘い体臭。俺の五感すべてでおまえを堪能した」
ご、五感すべてって、ど、ど、どういう意味?
五感って言ったら、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚だよね。
えええ~? 何か寝てる間に……味覚って、状況あった?
「利衣の鎖骨と首筋、肩から肘までの腕のラインは適度に筋肉がついていて綺麗だと前から思ってた。痩せてるのに、均整がとれている。ふくらはぎも太腿も引き締まっていて、その、魅力的だ。慎ましい胸より目がいってしまうのは鎖骨のすぐ下のほくろ。今までずっと見ないようにしてた。夏場はかなり困りものだった」
あ、え、っと、これは、どういう展開なの? 慎ましい胸ね。
「あの、真孝?」
幼馴染枠はやめてやると言った真孝が、私との物理的な方の距離を急に詰めてきた。
「限界だったから、丁度いい」
「はあ!?」
「不可抗力とはいえ、おまえに触れてしまった以上、俺の欲望は抑えることは不可能だ。全力でおまえを落とすことにする」
「な、何言ってんの!? 私たち、ただの幼馴染じゃなかったの?」
て、混乱している私がここに来てというか、幼馴染って、なんで今になって言ってるの!?
「俺は、もうずっとおまえが好きだったんだよ! 悪いか鈍感女、不感症! 俺はおまえに一番近い男でいたかった。幼馴染っていうカテゴリーって、特別感あるだろ? おまえの特別でいたかった。俺は欲望の無いアンドロイドでも蝋人形でもない。生身の男だ」
鈍感はいいとして、不感症って何? 聞き捨てならないんだけど……。
真孝がサッと私の手を握ってきた。
「ああああ、わあああ、ほんとだ~あったかい」
「……っ」
私のリアクションがおバカすぎたのか、真孝の目が死んだ。
「ごめん。真孝?」
真孝はそれこそ蝋人形のように美しく怖い顔をして、私を食い入るように見つめてきた。
なんだか、色々な意味で、身の危険を感じる。
「あの、いったん帰るね。なんか、なんだかよくわからないけど、わからないなりにわかったから」
「なんだそれ?」
「そうだ、着替えて体育館行こうよ。しばらくぶりで、卓球しない?」
ここ二週間は、真孝の仕事が忙しくて、週末、卓球ができていなかった。
私がそう言うと、真孝の表情がいつもの見慣れたものに変わった。
「……する」
「じゃあ、えっと、今は八時だから、十時に階段下で」
「わかった。必ずだからな」
真孝はそうして強く握りしめていた私の手を離してくれた。
私は、ここでしばしの猶予をもぎ取ったのだった。
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