11. ある死者の追憶

1/1
前へ
/46ページ
次へ

11. ある死者の追憶

「引き離される前に、素性(すじょう)について聞けるだけ聞いておくぜ。教えてくれるかい?」  レニーの問いに、各々頷く。向こうも原因を調べなきゃいけないみたいだし、大変そう。できる限り協力しないとね。 「んじゃ、名前と住んでるトコからササッと聞いておくかね」 「メモとか大丈夫?」  (あたし)が聞くと、レニーはにしし、と笑い、自分の頭を指さした。 「気遣いあんがとよ。だが、ココで充分だ」 「つか、メモした方が忘れんだっけか」 「……ったく、余計なことばっか覚えてんだなてめぇはよ」  あー……記憶方法ってそれぞれだもんね。脳の作りも違うし……。  ……。幽霊に脳の作りとか、関係あるのかな? まあいいか。 「私はマノン・クラメール。住んでるのはアヴィニョン辺り」 「マノン、ね。マノン・レスコーと同じ綴りかい?」 「そう。クラメールは数学者のクラメールと同じ」 「はいよ」  マノンに続いて、私が話そうとしたら、 「……と、お前さんのことはロデリックから聞いてるぜ。植物のオリーヴ、雷鳴のサンダーにsでサンダースだろ? んで、ケンブリッジ在住」  と、返されたので、頷いておく。そうそう、私、ケンブリッジに住んでるんだった。ロデリック、覚えててくれてありがとう……!  いつ引き離されるか分からないなら、全員の情報をなるべく素早く、満遍なく集められた方がいいよね。  ちら、とポールの方を見る。 「ポール・トマだよ。住んでたのは確か、パリ郊外かな」 「シンプルだな。覚えやすくて助かるぜ」  レニーの言葉に、ポールは「あ、でも」と素早く制止した。 「ポールの綴りがね、間違われやすいんだ」 「へぇ? ポール・シニャックと同じじゃねぇのかい?」 「違う違う。ぼくの場合、語尾にeがつくんだよ」 「えっ、そうなの? あれ、誤植(ごしょく)じゃなかったんだ」  話に割り込むように、マノンが()頓狂(とんきょう)な声を上げた。 「それ……女性名じゃ?」  私が突っ込むと、ポールは「うん」と頷く。 「ぼく、男じゃないからね」 「知らなかった……」  マノンは心底びっくりしているっぽいけど……まあ、そうだよね。見た目じゃ分からないことも多いよね。  ふと、周りの空間に違和感を覚えた。  今……闇が渦巻いたような……? 「エレーヌと付き合ってたんでしょう?」 「すぐ飽きられちゃったけどね」 「エレーヌは知ってたの?」 「さあ……?」  マノンとポールの会話をしり目に、レオナルドが話し出す。 「やっべ。ビアッツィの綴り忘れちまった」 「安心しな兄弟。俺のがよく覚えてら」  どろりと、足元になにかが絡みつく感覚に思考を持っていかれる。  ……何、これ? 「……と……おいでなすったか」  レニーが呟く。 「良いか。これから先どうなるか分からねぇ。だが……」  足元から闇がせり上がる。視界が明滅(めいめつ)し、何も見えなくなっていく。 「自分が何者か……それだけは忘れんなよ。どんなことがあろうが、それが指標になるんでね」  意識が闇に飲み込まれていく間際、 「んじゃ、また会おうや」  レニーの声だけが、鮮明に聞こえていた。  *** 「私」でない、誰かの記憶が流れ込む。  ***  暗闇はあまり好きじゃない。  あの、狭い部屋を思い出すからね。 「……ヴァンサン」  弟の名前を呼ぶ。  母に殴られ、ボロボロになった身体を起こすこともできず、ヴァンサンはすすり泣いていた。 「大丈夫かい」  声をかけると、弟は苦しげにぼやいた。 「うるさい……」  痣だらけの手で、ヴァンサンは自分の顔を覆う。 「あんたが羨ましい……」 「お母さんに、愛してもらえて……」  途切れ途切れの言葉が、ぼくを責める。 「ごめんね、ヴァンサン」  同じことをしたとしても、ぼくは母さんに褒められ、ヴァンサンは罵られる。理不尽だね。ぼく達に流れているのは、同じ血のはずなのに。  でも、ぼくは今日もきみを守ったんだよ。  殴られるきみを庇って、盾になったじゃないか。  ……なんて言ったところで、きみはぼくを認めやしないのだろうけど。 「冷蔵庫にチーズを見つけたよ。きっと、まだ食べられる」  チーズの欠片をちぎって、唇の切れた口元に運ぶ。  飢えたようにがっつきながら、ヴァンサンはじろりとぼくを睨んだ。  ぼくと同じ、ペリドット色の瞳。  ぼくと同じ、漆黒の髪。 「……消えてよ……」  頭を掻きむしりながら、ヴァンサンは言う。 「あんたさえ……あんたさえ、いなかったら……!!」  ぼくの胸に拳を叩きつけ、ヴァンサンは叫ぶ。  ぼく達はどこまでも孤独で、ぼく達の気持ちはどこまでも重ならない。 「大丈夫だよ、ヴァンサン。ぼくが、守ってあげるから」  傷ついた身体を抱きしめる。  ぼくは、きみを救いたかった。  *** 「弟」の幻影が遠ざかる。  押し潰されるような痛みの中、私の意識は暗闇へと溶けていった。
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加