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3. 発端
記者とは、情報を伝える仕事だ。
正しく、質のいい情報をより多くの人に届けることが私の役目。
……それに、背いたことがないわけでもない。
生きていく限り、綺麗事ではやっていけないのが世の中だ。
そうやって歩んできた生に不満がないとは言えないけど、自分がそこそこ恵まれている方だとも理解している。それでも……どこかで空虚な感情を抱いていた。
本音を言えば、つまらない日常を変えられるだけの「何か」を欲していたのかもしれない。
***
ロデリックの家に押しかけ……じゃない、行くのは初めてだった。
向こうは極度の出不精で、喫茶店で話を聞くとなるとかなり予定を遅らせてくる。……電話でササッと済ませる手もあったけど、ネタすら固まらなかった以上、実際に顔を合わせてじっくり聞き出すしかない。ついでに言えば、ロデリックにも多少ネタを考えてもらいたかった。ほら、あいつ、作家だし。
「……あれ、ロッドのお客さん?」
マンチェスターにある彼の家に向かうと、玄関先で見知らぬ青年と鉢合わせた。中性的な顔立ちで、なかなかの美男子だ。左目の泣きぼくろがセクシーな感じもする。身長は男性にしては少し低めで、私より少し高いくらい。
家事手伝いサービスの職員にしては格好がラフだし、友人……かな? ジョギングかウォーキングでもしていたのだろうか。
「取材させてもらいに来ました。サンダースって言えば通じると思います!」
「サンダースさんね。ちょっと待ってて、呼んで来るから」
そう言うと彼はにこりと笑って、家の中へと入っていった。
しばらくして、ロデリックが寝ぼけた顔で出てくる。この前会った時よりだいぶ痩せているけど、あまりに痩せすぎてて逆に心配になる。それなりに男前な顔つきだろうに、無精髭に野暮ったいメガネはわざとなんだろうか……?
「早かったな……」
「早めに来たら奥さんにも会えるかなって」
「……じゃあ良かったな。早速会えたじゃねぇか」
ロデリックの視線の先で、さっきの青年がきょとんと首を傾げる。
……もし『City of Loser』に書かれた出来事が実話……でないとしても実話を元にしたものだとするなら、彼の妻が中性的なのも納得できる。
っていうか、この外見でアラフォーって方が納得できない。どこからどう見ても20代前半じゃん……?
「アン、彼女はオリーヴ。……って、知ってるか」
「……誰だっけ」
「……俺のメル友で……まあ、この前ちょっと騒ぎあったろ」
ロデリックの妻……アンドレアは長い間半死半生の状態にあり、生きながらにして亡霊のようになっていたらしい。
そこが実話だと有り得ないって言われてるんだけど、この際信じておこう。その方が面白いし。
「……?」
「忘れてんならそのまま忘れとけ」
「えっ、何だよそれ」
「いいから」
2人の会話は、傍から見ても「仲が良いんだな」とわかるくらいテンポが噛み合っていて、お似合いの夫婦だとよくわかる。
「へぇ……」
「んだよ」
「幸せそうじゃん」
私がそう言うと、ロデリックは顔を真っ赤にして「……うるせぇ」とぼやいた。
隣で奥さんが微かに笑ったのも見える。……死の淵から帰ってきた、ロデリックの愛しい人。
「つか、そんなに毎日運動して身体大丈夫かよ」
「少しぐらいは鍛えた方がいいだろ。筋肉ってすぐ衰えるし」
「……すげぇな……」
「ロッドも一緒にウォーキングする?」
「そ、それは……その……」
「……嫌なんだな」
「うっ」
楽しげに語らう二人を見ていて、うっかり、記憶の蓋が緩んだ。
──オリーヴ
嫉妬するなんて間違っている。そんなこと、わかっている。……わかっているのに。
──まだ、死にたくないんだ
どうして、あいつは帰って来ないの?
バカな感情だって、自分でも思う。
くだらない、幼稚な妬みでしかないって……痛いほどわかってる。
だけど……だけど、私だって彼に帰ってきて欲しい。もう一度会いたい。もう一度、触れ合いたい。
「サンダースさん?」
ハッと顔を上げる。
ターコイズブルーの瞳と目が合った。
「大丈夫?」
アンドレアは死者の世界から帰ってきた。
……もし、死者の世界に行けば、……その世界に向かえば、私も「彼」に会える?
「……俺、飲み物取ってくるわ」
「わかった。じゃあ、見ておくね」
ロデリックの提案に、アンが頷く。
些細な掛け合いにも信頼関係が見えて……「絆」を感じさせる。
「す、すみませんボーッとしちゃって! でも、もう平気です!」
口ではそう言いながらも、私のドロついた感情はなかなか収まらない。
──ねぇ、おいで
その時、「何か」の声が聞こえた。
まるで、私の欲望に呼応したかのように……目の前で闇が渦巻く。
「……え?」
何ひとつ状況が理解できないまま、呑み込まれた。
深くて、暗くて、何も見えない闇の中、本能が絶えず警笛を鳴らし続けている。
──危ない!
聞き覚えのある声が私を止める。
抗おうとしたけれど……為す術もなく、私の意識は暗闇に取り込まれて行った。
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