2「全部を渡して(ギヴアンドギヴ)」

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 軋るような声。  誰かの苦悶だろうか、悲鳴だろうか。  どちらにせよおぞましい。  現代日本でこんな状況だというその現実から、無意味に目を背けてしまいそうになるけれど。いくら見ないでいたところで、現実が消えて無くなるわけじゃあない。  逃げられるものなら死んでしまえと、至極当然のように言われてしまうそれさえも、この世界においては通常の価値観でしかないのだ。 「なんにも変わらねえな、どこへ行こうと」 「何か言ったかい? 少年くん」  そんな嫌に気取った台詞が最高に腹立たしい。 「クソがよ……」  苦く渋い胃液のような台詞を吐き捨てながら、向かい合う敵から距離を取る。  解っている。  おそらく、自分の実力ではこの相手とまともに立ち合うことなどできはしない。  異能者でありながら自分の力の扱い方をまるで会得できていない現状を、勘違いできたならあまりにお目出度い頭をしているとしか思えない。  別に追い込まれているわけでもないけれど。  戦闘、誰かと敵意をもって向かい合うことに慣れていなさすぎる。平和ボケしているだろうし、寧ろ慣れているのならそれはそちらの方が異端だっただけだ。 「異能自体に使い道がない。ということかな」  にじり寄る相手に見下ろされ、海人もまた右足を引いている。  距離を保つような意図はなく、単純な反応現象。  意識もできない脊髄反射でしかなかった。  手元にある小さな石を、少しだけ強く握りしめる。  視線を切らないまま、意識をわずかに移したことはおそらく察知されているが。だからといってそうしなければどうにもならない、そうしたとてどうにかなるとも思えない場面でしかないのだ。  ほとんど死んでんなあオイ、なんて内心で毒を吐いても吐ききれず。単純に思考を蝕んでくるだけで厄介だった。  別にどこかに損傷があるわけでもない。  それでも吹き付ける殺気で死にそうに痛い。  狂いそうだ、狂い死にそうだ、苦しく苦しくくるくるしていく、終わりない考えがやかましい。  ウロボロス、とか。 (ふざけてる場合じゃねえっつの)  奥歯を強く噛みしめる。何かが染み入るような柔らかい疼きが歯茎にわだかまっている。  怖いだなんて、思ったこともないのに。 「朴鞍哀歌(ほおぐらあいか)。初めて会って左様ならだ、とでも言いたいけれど」 「丁寧に名乗ってくれんのか、律儀だなあ」 「昔の合戦の礼儀だそうだよ。面白いよね」  海人の知識にもそれはある。国内の戦争において、事前に名乗りを上げることの意味合いというのもどこかで聞いたはずだった。  だが今はどうだろう。  そんな考えを巡らせる暇もなく、相手が口を不思議に動かしていた。 「愁響(エレジエッタ)―――」  思わず膝をついていた。脚に力が入らない。  音響を扱う異能者も魔術師も存在していることだけは知っていたが。  ここまで直接的に脳を揺さぶるような攻撃をされたことはなかった。  音圧、振幅、さらに音の密度。  間近で受ければ、そんなものは衝撃波とほぼ変わりない。  全身を共振で砕かれないだけましだという程度では、一縷の救いも見えやしない。 「なんて喉してやがんだ―――」 「特製でね。そんなものを受けて耳が生きている君も驚異的に丈夫だね?」  否定はできないな、と海人は口をつぐんでいた。とはいえ、丈夫だから死なないわけじゃあないとは知っているはずだが。  末端の戦闘なんざ、実際に価値もない。  学生に戦闘を強いて犬死させることにどれほどの意義があるのかは、やはり中枢の人間にしか理解できないのだろうに。 「……悲観的だろう、諦観的だろう、絶望的だろうよ。揺らいでいるのがわかるよ」  かけられた声に、まるで否定を返せない。  内心の抵抗する気力が弱っているのだと知れた。 「音を操る、ということか。正確には音楽使い、というべきかな」  慧眼だね、と哀歌が首を傾げた。面白そうにしているのはポーズなのか本心なのか、判別はできない。  耐えきれているのなら、反撃の目があるだろうか。 (オレにそれができるわけでもないが)  悲観も諦観も絶望も、海人にとって致命的な傷ではないだけだから、単純に耐性があっただけのことだ。  いきなりこんな相手と向き合うことになるという面倒くささに辟易しながら、しかし本質的に自分も同類であるという現実も認識しなくては意味が無いと感じ始めている。  こんなものと自分が別物だと、そんなおこがましい考えを持てるほどに海人だって自惚れてなどいない。  痺れている脚に活を入れ直し。  右脚の方に重心を移動させる。  その動きに哀歌の方も、目に見えて警戒を見せたが。  動揺というより単に驚いただけのように、小さく首を傾げている。こともなげに、すぐに平静に戻ったところを見るに。 (見縊られてんな……)  致し方ないとはわかっていても。  それ以上を求めることは、今の海人には不可能だと察せてしまう。  ただただ、自分の惰弱さを噛みしめながら、生き残ることだけを考えるしかない。  死にそうに苦しく。  その事実だけが、口惜しい。  相手との間合いは数メートルもないなら、おそらくこっちの行動は大抵が出端で潰されるだろう。勘の鈍い海人がそう感じるほどに、彼我の差が大きいのが理解できる。 「逃げの手を探っているんだね? その割には刺すような眼を向けているけれど」  視線で刺し殺せるなら誰だってそうしている。  それができないからそうしているという、矛盾するようで何も不思議のない行動。 「何のための行動なんだよ、これは」 「訊かれて素直に応えると思ってないでしょ」  まあね、と引き攣った顔で応じる。見ようによっては笑顔にも見えるような歪み方だ、なんて自分で思う辺りは余裕がありそうだ。  なるほどとも思えない。  こんな迷惑行為が放置されているのは社会的におかしいとしか感じない。  そして、自分の力でどうにかできるような類の問題ではないと認識できてしまうことが腹立たしい。  胃がもたれそうで。 「や、それはさっきのアレか」  呟いたと同時に大きく跳び退る。  相手は追ってこない。そうするまでもないと判断したようだ。  一秒にも満たない猶予。ならばとそのまま、慣れきった投球モーションに移り。  右手の小石を全力で投げつける。 「……っあ⁉」  予想できなかった攻撃だったのだろう、哀歌の眉間にクリーンヒットした石が上方向に飛んでいくと同時に。  がくり、と相手の脚から力が抜けていた。  うまく脳を揺らせたのだと思いつつ、屈みこむ哀歌に対して追撃をしようなんて気にもならずに立ち竦んでいると、相手の体躯が小さく跳ねて。  二、三回繰り返し。 「か、ぁ、……ふっ」 「な、」  崩れ落ちた哀歌の後ろに、京太が立っていた。  ……軽い電気ショックで行動不能にしたということだろう。  海人からすれば彼の戦法がよくわからないけれど、しかしそれでも電気系だとわかっているのならそれでいいのかもしれない。 「良い感じに隙を作ってくれて助かった。こいつ、常に周囲を窺っているから近づけなかったんだよ」  音を扱う能力を持っていれば、周囲の音を聴き取って警戒するというのも不思議はない。  ないとしても、そんなものを実用に耐えるレベルで運用できることが異常とも、思えるけど。 「ここで警察に引き渡すんじゃあだめなのか?」 「無理だよ。それを過去にやっているし、全てのケースでどこかから圧力掛かって有耶無耶だ」  そういう相手にどうしろっていうんだろう。  巨大な組織って厄介だなあ、と他人事のように思いながら。それでも自分がその渦中にいることなんてわかりきっているのだから、やりきれない。  海人のそんな表情を見たわけでもないけれど、京太が同じように濁った溜息を吐いているのは同じようなものなんだろうと想像できる。 「そういう問題が表立っていないことも悪質でさ」  そこで不自然に言葉を切った。何だろうと京太の方を見ていても、遠くの方を見ているばかり。  つられるように視線の先を追うと、「雹が降ってきた」雪雲なんて出るはずもない空の筈が、異様に重く暗い。  天候に干渉できる異能者が居るというのも、別に珍しいことでもない。  ただ、記憶を探る限りはそれを実際に見たことはなかった。 「時期がおかしいだろうに」 「まあ初夏だからなあ」  場所による、と思うもこの辺りはそんな北方の地域なんてこともなかった。  気圧の変化、それとも――――なんて考えているうちに、京太が動くぞと声を掛けてくる。いつまでもここで棒立ちになっている理由もないと気付き、頷くが。 「訊きたいんだけど。お前、大量の放電とかしなかった?」 「……んー」  濁った声が返ってきた。というか思い当たる部分があるような詰まり方だ。 「ならいいさ。切っ掛けになったってだけだろ」  向こうも引いていくようだから、と視線を送れば。向こう側から湿った色の視線が投げつけられていた。  その色にどうしてか見覚えはあるのだけど、それがどういう既視感なのかは掴めない。 「珍しいことだと思ったよ、正直」 「そうなのか?」  京太の本当に意外そうな声色に、自分自身では違和感があった。妙にズレている認識に唸る海人を見ながら、本当にどうしたのかと不審がるように問われるとさすがに苛立ちが出てくる。 「オレ、そこまで逃げ腰だったか?」 「自分でそうは思わなかったのか……」  あまり追及することでもないかとそれ以上は続かない。海人の右肩に巻かれた包帯を雑に切って止めた後に、保険医がその上から手を置いた。 「無理をするから、肩が耐えきれてないみたいだね。張り切るのもいいけど、自分の力をちゃんと知っとかないと」 「普段と同じ感覚だったんだけど、なんか合わないんですよ」 「ふうん? 脳に異常でもあるかな」  そこは病院に行ってもらわないと、と深くは考えなかったようだ。  それにしてもこの人、座っている自分と視点があまり変わらないなーとぼんやり見ていると。 「幼いお姉さんがお好きですかー?」 「別にそんなんじゃねえんですけど」  即答で否定したら、それは割り切りすぎだろうかと直後に考え込んでしまう。  それでも向こうは何とも思っていないようだから、まあいいかと切り替えた。 「有島先生、アンビューキット無くなりかけてますよ」 「えー、多めに発注しといたのに? 最近はお向かいさんも苛烈になってきたねー」  そう言って向こうへ歩いていったので、海人も椅子から立って保健室を後にした。異能「治癒促進(ファストエイド)」なんてものを買われてここにいるらしく、割と希少な人材だそうで。 「すぐに動いても問題ない、なんて物凄いな」 「傷の回復なら簡単だろうけどね」  京太は京太で目立った傷もない。全身にまんべんなくダメージを受けている海人とはレベルが違うのだろうかと思っているのは変わらなかった。 「ま、朴鞍哀歌ってのを捕捉できたのは大きいかな」  助かったよ、と軽い礼を言われた。  いいよ、なんてなんでもないように返して。  しかし平静なわけでもない。数秒間顔を背けて、左の頬をこねてから向きなおった。 「しかし、なんでこう変なのに絡まれてんの? この学校」 「変なやつしか周囲に居ないからじゃないか」  暴論だなあと失笑を漏らす。その『変な奴』に自分が入っているのなら、別に構わないけど。 「国家機密の一部が何故かここに保管されているらしい」  噂程度の信憑性だがと言ったが、海人も同様に眉唾な話として受け取った。  無理くりな理由付けと考えた方が自然だという話。それでも辻褄の合う話を好んでいるってだけなのが人間だ。  しばらく呆けていると、校内放送で通常のタイムテーブルに戻すと告げられる。しばらくして普段通りの光景と喧騒が戻ってくる。 「俺は報告してから戻るんで」  手を振って別方向に歩いていく京太に、無理はするなよと声をかけておく。無意味なのは分かっていたけど。  ぐるぐると肩を回して、動くことを確かめる。  本当に異常を感じない。  それはよくとも、こっちの身体は肩を使い慣れていないみたいだと感じた。記憶を探ってもそう言った運動には手を出していないようだし……(なんだか記憶が曖昧だな、二重になってるのは何故だ?)正気に戻ったような気付きにも疑問を払える答えはなく。 「学校単位での抗争って、いつの時代だよ」  海人の認識でもあまりに古すぎる。  時代を感じるようなドラマ的状況だなんて感じていた。  時世は戦時らしいが、それは本当に想像もつかなかったはずの情勢で。 「それでもそれなりに穏やかだってんなら、危ないわけじゃないのか」 「一人喰われたって。瀕死だよ」 「…………。…………」  教室に戻って一番に言われた言葉がそれでは、反応に困ってしまう。  カニバリストでもいたのかと問うと、違うよボケんなとなかなか辛辣に返ってきた。 「吸血鬼? そんな感じのやつ。致死量ぎりぎりまで血を抜かれてるみたいだから」 「ああ、そういう」  そんな化物も当たり前にいるのか、と異様なはずなのに不思議はない。  おかしいとまでは、不合理とまでは思えない。  周囲に居る人物もそこに何も思わないらしく、平常通りの雰囲気のままだ。 「死んでもおかしくないのに、逃げないんだよな」 「まあ、結局ここが安全圏だかんなー」  他の場所で何人も死人が出ている。年々増加傾向にある戦闘と死傷者は、すでに隠せるようなものではなく。  ―――そもそも、彼らは隠す気もなかったようだけど。 「でなきゃあ、拠点として設計された意味もないだろうってのは……どこで聞いたんだっけ」 「いや知らんけど」  稔の緩んだ表情が、なんでか危機感を弱めてくる。それでいいのかもと思うのも無理からぬことだ。  俺ら兵士か、なんて突っ込みそうになった。  それでもあんまり間違ってないような気もして、あまり面白くはなさそうだ。 「三日前に呼び出された時じゃね」 「なんで生徒会室だったんだろう」  その辺りのことは思い出せない、あまりに興味がなさ過ぎて雑にあしらったみたいだ。 「何言われたんよ」 「無気力、危険、死にたいのか、みたいなことだった気がする」 「ぶはっ」  笑われた。さもありなん、と怒る気にもならない。 「なに笑ってんだよ」  なのにこんな反駁が出てきたのには驚くけど。  いいだろー、と向こうは何とも思っていない様子だ。まあ本気で争う気もないからそれでいいんだけど、首をかくりと動かしてから戻る前に風のような冷たさを覚える。 「で、ここどこ」 「健忘症か? 寮に行く道だろ」  そういえば学生寮併設だっけ、となんでか他人事のように思う。  昨日は月に一度の大規模清掃だったのに、そんな疲労も気になっていない。  異能を抱くというのは、そういうことなんだと知ったのは、ここにいる皆の例に漏れず十歳の頃だ。 「気付いたらここに放り込まれてたもんなあ」 「基本面倒な人種だからね、異能者なんて」 「それでも人外よりはマシな部類だとは思うけど」  近辺の街で三頭の大蛇が暴れているとか、なんでそんなもんがと耳を疑うようなニュースばかりが流れてくる。それがヒトによるものなのか、それ以外の何かによるものなのかが判別しづらいのも非常に厄介だった。  異能者の他にも、特殊な技能を扱う人は掃いて捨てるほどにいるらしい。  この学校に居る限り、目にすることはないのだろうけど。
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