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1「全て君の所為だ(オンリーワン・オールレッド)」
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ふっと真っ暗だった視界に光が戻ってくる。同時に自分を包む温かさ、柔らかさを知覚しながら、同時に自分のものとは到底思えない僅かな甘さを含んだ匂いを感じ取る。
自分がベッドに寝かされているのに気付いた彼は、震える両腕に力を籠めてみたけれどしかし動かすこともできず。随分と疲弊してしまっているな、と自虐するでもなく思うのだった。
「っは、あ……」
口から漏れた声。それに対し、彼に背を向けて学習机で何やら作業をしていた少女がぴたりと手を止め。
くるるん、と言いながら彼の方を振り返る。
「目、覚めたね。かーくん」
「……そうだな。これで行き倒れたのは何度目だろうな」
もう判らないよ、と彼女は返す。
「大体、家に帰れないとかいうのなら、うちに住めばいいのに。なんで遠慮してるの?」
そんな何度も言われた提案に、そうは言うけどさと彼は戻す。
「そんなことをしたら、お前に迷惑が掛かるだろ? 楓、あまりオレには関わらない方が良いって解っているくせに―――」
そんな言葉に楓は右の頬を膨らせる。
怒ったようだが、元の顔が柔らかすぎて今ひとつネガティヴな感情は伝わりにくい。
「バカだねえ、困っているかーくんをほっとかないって、昔に言ったはずだよ? 忘れたのかな」
約束だもの、と当然のように口にするその在りようは。
「…………毎回、敵わないって思わせるなよ。死にそうになる」
「でも、死にたくないんでしょ?」
「生きている意味もないけどさ」
なんだか、どつぼに嵌まっているような不思議な感覚。少年には、その感覚は重すぎる。少なくとも、中学一年生が持っていることなど例の少ないものだろう。
「そういえば、訊いてなかったけど。どうしてかーくんの家、遠田家は疎まれてるの?」
直接的な質問に、しかし少年は応えない。
少なくとも、答えられる類の質問でないのだと、楓だって知ってはいるのだ。
「わからない。家全体というのは副次的で、たぶん原因そのものはオレなんだよな」
そうなの? と首を傾げる楓を無視するような形で、少年は視線を動かして記憶を探るが。しかし自分がどこで意識を失ったかは思い出すことはできない。
「かーくん。今日は学校の玄関で倒れてたよ? しかも鞄の中身ぶちまけて」
「…………そうか、まあ記憶はその辺飛んでいるな」
「憶えてないの? 誰にやられたとか」
全然だ、と返す。常に弱っているような状態で、外界のことをうまく認識できない上に無意味なリンチを喰らって、生きている方が不自然だとは思うのだから。
「…………そんなんだったら、もう学校なんて行かなくていいのに。不登校は珍しくないんだよ? 権利なんだよ?」
「わかってるさ。この時代はそういうものだって」
まあでも、街をうろついてたら補導されるけど? そう返すと、楓は黙ってしまった。
「まだまだそういう認識だろう、不登校ってのは。特にここは田舎だからな、人々の理解も遅いのは否めない」
居場所がないのだから、仕方なく学校に居るだけだ。
別に耐えられないことでもないだろうし、とは言うも。それは楓が斬り裂くように否定した。
「ここでこうやっていること自体が、耐えきれていないってことでしょ」
「……別に、腹が減ってるだけだよ。体力が普通だったら、って仮定だ」
言いながら、彼はゆっくりと起きあがる。回復の早さは普通ではあるけど、ただ一つの要因が彼を未だ現世にとどめている。
「持久力だけは人一倍だものね。そんな粘り強さは幸か不幸か、って感じだよ」
「生きていられるならそれでいいさ。人生なんてそんなものだろ?」
「かーくんだけハードモードすぎるよ……痛くないの? 怖くないの? 悔しくないの?」
「いや、特に何も思わないけど」
麻痺してる、と楓は唖然としながら、しかし直後に表情を翳らせる。その色は淡い蒼。
「……むう」
「どうした?」
十年以上の付き合いで、そんな表情を見るのはほんの数回。というか二回しかなかったけれど、そのどちらもが少年に対して不満を爆発させる兆候だったので、少年は意識を少しだけ硬くする。
「かーくん……っ!」
と、楓が声を荒らげる寸前、部屋の扉がばたんと勢いよく開かれる。
「楓ー! 夕食の支度できたよ!」
「あう。おかーさん、タイミングが悪いよ」
「いや、むしろベストじゃないかな?」
楓の母親がこういう時に押し留めるのは、別に初めてでもない。今までに何度も、感情を高ぶらせる楓を宥めてきている辺りは、流石に親なのだと少年も理解している。
「落ち着きなさい、ここでケンカしてもしょうがないでしょ? 先に空腹を解消して。それから落ち着いて話し合うのがいいんじゃないかな?」
ねえ、海人くん。と、母親は同意を求めてくる。
そんな彼女に、海人は「そ、そうですねえ」と引き攣った声で返すのだが。
「さあ、おいで二人とも。今日の夕食はカレーうどんとかき揚げだよ」
その組み合わせに微妙な違和感を覚えた二人は、自然と顔を見合わせていた。
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