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1.坂本千紗の憂鬱
1.坂本千紗の憂鬱
その日私は会社帰りに恋人の浩司と待ち合わせをしていた。残業で遅れるというメッセージを受け取ってからかれこれ三十分ぐらい経つ。先にお店入っててと書いてあったので一人イタリアンレストランの窓から秋の夕日をぼんやりと眺めていた。
(さすがに今日は言えないよな。別れようなんて)
私の浩司への愛情はとうに冷めていた。他に気になる男性もいる。一刻も早く別れたいと思いつつもなかなか別れを切り出せないでいた。浩司は私がそんなことを考えているなんて夢にも思わないだろう。今日も私の誕生日ということでこうしてレストランを予約してくれているぐらいだ。
(ほんと、面倒だなぁ)
昨日ネイルサロンで施術してもらったばかりの深紅に輝く爪を見る。施術中、うとうとしていた私も悪いのだがオーダーよりもかなり色が濃い。やっぱり文句を言ってやればよかった。これじゃまるで……血塗れの爪だ。
(付き合い初めてそろそろ半年。私にしてはよく続いた方よね)
私は恋人と長く続いたためしがない。つき合い始めはこの人しかいない、とばかりに尽くすのだがそれも最初だけ。惚れっぽく冷めやすい性格ですぐ他に目移りしてしまう。別れを切り出された相手は突然のことに戸惑い、必ずといっていいほどすぐには納得してくれない。まぁ当然だろう。
(悪いとこがあるなら直すから、とか言われるのかな。そういうことじゃないのに。ただ)
――飽きただけ。
もう一度深いため息をつきながらふと店の外に視線を彷徨わせる。店の前には古びた民家が二つ並んでおりその間が狭い路地のようになっていた。
(ん?)
いつの間にか路地の入り口に誰か立っている。小学一年生ぐらいの背丈で長い髪をおさげに結った少女。目が合った瞬間、少女はニタリと嗤った。
(なによ、気味が悪い)
不気味に思った私は視線を逸し、再び浩司との別れ話に頭を悩ませる。
(そうだ。電話も着信拒否してSNSのアカウントも全部消して音信不通に……なんてできないよなぁ。ホント面倒くさい。ああ、いっそ)
――いっそあいつ、死んでくれないかな。
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