32. 月の啼く聲

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 門前で待っていた十馬に案内され、孔蔵は屋敷の中に入った。  座敷へ通され、十馬と並んで庭を望む縁側に座った。 「出迎え、どうして俺が今日来るってわかったんだ」  孔蔵が訊ねると、十馬は首を傾げて答えた。 「今日来るのは、知らなかったよ。孔蔵さんそろそろ来ないかなって、最近昼くらいになると、門のところに出てたんだよ」 「待っててくれたってなら嬉しいな。しかし、そんなぶらぶらしてて宋どのに怒られねえのか」  冗談交じりに彼が笑うと、奥の座敷に座っている宋十郎がこちらを向いた。しかし宋十郎より先に、上機嫌の十馬が答えた。 「昼以外は、豊松と勉強したり、宋の手伝いもしてるよ。色々思い出せないから、あまり役に立てないけど」 「まあ、もし旅に出ちまうんなら、色々お役目もらってもなあ。あ、そうだよ、あんたが旅に出る話、どうなったんだ」  彼が問うと、十馬は答えた。 「うん。行きたいって言ったら、みんないいよって言ってくれた。おれ、孔蔵さんと一緒にどこにでも行けるよ」  それはいい。旅は一人でもできるが、連れがいれば孔蔵には楽しい。  おうと頷いた孔蔵の背後で、今度こそ、宋十郎が言った。 「このような世情ゆえ旅には危険も伴うが、深渓にいても戦がある。……孔蔵どのがご一緒ならば、私には安心だ」  十馬が、歯を見せて笑った。 「おれ、孔蔵さんを守って、孔蔵さんの手伝いをするよ。托鉢も手伝うよ」 「そりゃ助かるなあ。しかしな、托鉢したいならあんたも坊主になんなきゃなんねえぜ。 経典も読まにゃなんねえけど、まずは剃髪して袈裟を着ねえとな」  孔蔵が笑うと、十馬は大きく首を振った。 「じゃあ、やめとく」 「なにい? なんでだよ」  すると十馬は、自分の癖毛の先を掴んだ。 「禿げ頭は嫌だもん」  それを聞いて、彼は思い切り眉を歪めた。 「おい、俺のは禿げじゃねえよ。坊主頭っつうんだ」  その時、くすくすと笑う声が聞こえた。  振り返ると、伊奈が部屋に入ってくるところだった。伊奈の背後には、茶の盆を持った豊松が続いてくる。  十馬が立ち上がり、豊松に歩み寄って盆を手に取った。  伊奈が言う。 「朗らかなお声が聞こえました。戦続きの世だなどと、今ばかりは信じられません」  蕾が開くような伊奈の声が、ふと孔蔵の目を庭の梅へ向けさせた。  宋十郎も庭を見渡し、目を細めた。 「……戦続きの世も、いずれ終わりを迎える。変わらぬものがないのなら、それは乱世とて同じだろうか」  それは朗報だ。  孔蔵は言葉を継いで言った。 「夜が明ければ、朝が来ますからね」 *
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