32. 月の啼く聲

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「ん。そうだな」  彼が頷くと、十馬はにこりと笑った。 「孔蔵さんは、やさしいね」  そんな言葉を誰かに面と向かって言われたのは、恐らく初めてだった。孔蔵は全身がむず痒くなるように感じ、ぶるりと首を振った。 「んなこたねえよ。普通だ普通。それにな、しばらく一緒に歩いてるうち、この糞坊主って思う時が嫌でも来るだろうからな。いい顔ばっかしてらんねえぜ。路銀の心配もしなきゃなんねえし」  あははと、十馬が笑う。 「孔蔵さん、おでこが赤くなったよ」  冬を越している間に、十馬は生意気を言うようになったようだ。 「うるせえ。それよか金の話は本気だからな。行き倒れたら元も子もねえぞ」 「行き倒れそうになったら、農家に行って畑で働かせてもらえないかな」 「あのな、農作業ってな重労働だぜ。やらせてもらえても旅費を稼ぐとこまでいかねえだろうし」 「そっかぁ……孔蔵さんは、旅先でどんな人を助けるんだっけ? お金は貰える?」  孔蔵は言葉に迷った。彼は、自分が役に立ちそうなことなら何でもする気だ。しかし、金を貰えるかどうかはわからない。  すると、十馬が続きを喋った。 「やっぱり、孔蔵さんなら鬼退治かなぁ」  それを言われて、孔蔵はつい十馬の足元を見た。今そこには、何の変哲もない影がある。  ところで、十馬は京で目覚めた時から影を見なくなっていた。それが、宋十郎と彼が十馬から鬼が落ちたと断じた理由のひとつでもあった。  しかし一方で、孔蔵は京での宵を境に、以前より色々なものを見るようになっていた。  それまで彼は呪文で悪鬼を散じることはあっても、影のように曖昧なものを見ることは稀だったが、あの日以来、鬼でなくともこの世ならぬものを見ることが増えていた。  そして、その孔蔵の視界をちらつくものがある。  再会した昨日から時々、十馬の足元に何かが見える気がするのである。  しかし、はっきり何がと見えるわけではなく、確証もない。明確に言えることは何もない。 「ま、鬼が出りゃあやるしかねえよな。まあ結局、金の話は後回しだな」  彼が言うと、十馬は微笑んだ。 「おれの鬼も、落としてくれたもんね」  そう、もしまた憑いたら、落とせばいいのである。  孔蔵はつい寺の子供たちにするように、斜め前にある十馬の頭を手の平でかき回した。 「おう、任せとけ」  髪を乱された十馬が、楽しそうに笑った。 *
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