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初は食膳を抱えて廊下を渡っていた。
新しいお客は、大柄な坊主と、若い男が二人だった。
一人は殿さまが着るような上等な召し物を着、左目に眼帯を着けているが、随分若く見えた。他方は町民風の着物を着ているが厳めしい太刀を二本と脇差を帯び、着物の黒い染みは古い血糊のようにも見える。
事情を抱えていそうなことは、一目瞭然だった。
太刀と坊主は、眼帯の護衛だろうか。初の頭の中では、また別な物語が広がる。
坊主は大名家臣の当主がかつて入道させた庶子であり、主家の危機に際して寺を出た。父の臣下の案内のもと、東国の寺社に隠されていた将軍家の胤を京へ届ける旅をしている――というのはどうだろうか。
自分で創作した物語に満足しつつ、初は三つの膳を客室の前へ運び終えた。
「お膳をお持ちいたしました」
膝を突いて声をあげると、格子戸の向こうでぼそぼそと話していた声が止み、戸が開いて坊主が顔を出した。
「おお、悪いな。頂こう」
そう言うと、坊主は自ら膳の一つを掴み、座敷部屋へと運び入れた。
初も失礼しますと頭を下げつつ、膳を客人の前へ持ってゆく。
本人たちには悟られぬよう、ちらりとお客の顔を見比べる。
太刀のほうは着ているものは襤褸だが、肌の色は白く、涼しげな目元の貴公子然とした容貌をしている。こちらが将軍家の胤であるほうが、物語は盛り上がりそうである。
対して綺羅を着た若者は、どちらかというと貧相であり、まとまりのない癖毛を総髪にしている。背丈など初よりは高いだろうが、別室におわす姫君とは同じくらいかもしれない。
青年は膳を置いた彼女に向かって「ありがとう」と子供のような言葉で言い、隠していない右目で笑いかけた。
「すぐに、お茶をお持ちします」
初は頭を下げると、台所に母が用意してくれた鉄瓶や急須を取りに行った。
茶の盆を抱えて客室へ戻ると、格子戸の向こうで、太刀の男の声がした。
「明日の朝、あの主従が川を渡れば、すぐに私達に追いついてしまう。渡しの者たちにも口止めしたわけではない。昨夜どんな客を渡したかと訊ねられれば、私たちがこの辺りにいることはすぐに知られてしまうだろう」
どうやら、こちらのお客も追われているようである。初が思わず息を殺すと、坊主の声が言った。
「篭どのは、どうしても目立ちますからねえ。何を着てたとしても、左目を隠した若い男っていうだけで、目星がついちまう」
「ならば、病者のような頭巾でも着るか? いや、かえって目につくか……」
太刀の男と思しき声が、溜息交じりに言った。
「左目を隠してるって悟らせないように左目を隠す方法がねえかってことですか。いや、参りますね」
坊主が唸る。
目を隠さずに顔を隠す。そう聞いた初の脳裏に、先ほど読んでいた物語と、別室の姫君の麗らかな顔が思い浮かんだ。
方法は、ある。
初は盆を抱えたまま、部屋の前を離れた。
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